灰男小説 | ナノ


▼ 権力者たちの空19

 煙に巻かれ視界は明瞭ではない。瓦礫が落ちる音が聞こえるが、どうなっているのかはまるで分らない状態だ。
「……無事ですか?」
 アリシアの言葉に神田が唸る。
「うるせえ、黙れ」
 隣のリンクが大きく深呼吸した。ポポロ宮の天井は大穴が開いて熱により溶けている。威力の凄まじさを物語っていた。ぽっかりと開いたた穴からは綺麗な月夜が見えた。
 アリシアはかすれた声で笑う。
「軽口叩けるなら大丈夫ですね」
 アリシアは緊張がゆるんで背にもたれかかる。
 あれで生きていたらもはや人間ではない。跡形も残らず死んだだろう。
 ふとアリシアは思う。しかしティキは何者だったのだろう。AKUMAでもなく、人間とは思えない能力を持ち、千年伯爵の味方をする。
 まるで聞いたことのない存在だ。コムイなら何か知っているだろうか。それとも中央庁がこの存在をひた隠しにしているのかそれはわからない。だがこれからのことを考えると報告は絶対的な義務だ。
 アリシアはだんだんと眠気が意識を奪っていくのを感じた。とっておきを使うと必ず眠くなる。抗えずに意識を奪われるので諸刃の剣なのだ。また撃ってしまったが、仕方のないことだろう。それだけに相手が強敵だった。
 リンクがアリシアを抱き上げる。
「さて、とりあえず仲間がこの街まで来ているはずです。二人とも満身創痍でしょう? 早く引き上げますよ」
 その言葉に神田が舌打ちする。
 立ち上がると神田は少し足を引きずりながらリンクとアリシアに近づいた。
 その背後にすっと殺気が混じる。
「退けっ!」
 神田がそれに気づいて二人を突き飛ばした。
 神田が刀を構える先にそれは立っていた。
 肩口の半分を抉り取られ、顔の半分も吹き飛ばされていても、それが笑っているのがわかった。
 三人に緊張が走る。
 ティキ・ミックはそれでも生きていたのである。
 ティキは顔を歪めて笑った。
「流石にやばかったな」
 六幻を遠くに放り、大地に突き立てる。
 神田は舌打ちをした。
 そしてティキの体は急速に復元されていった。近づく度に人の形に戻っていく。アリシアはサルガタナスを手に取ろうとしたが、眠気が襲ってきて指を満足に動かせなかった。
 リンクは後ずさる。だが神田は逃げようとはしなかった。
「おい、二連ボクロ」
「リンクです」
 何度目かの舌打ちを神田がする。
「チビ連れて逃げろ。時間は稼ぐ」
 リンクがゆっくりと下がり始めた。アリシアがあえぐ。
「ダメです。神田……わたしも」
 ハッと神田が笑う。
「お前もう限界だろ。足手まといはいらねぇ」
 ティキはニヤッと笑った。
「自分を犠牲にってやつか泣ける話だな」
「違ぇよ」
 好戦的に神田は笑った。
「オレだけでもテメェを倒せる。それだけだ」
「言うじゃない。けどお前には用がないんだ」
 アリシアはおぼろげな視界の中手を伸ばした。
「か、んだ。おねがい。いっしょに……」
「行け! さっさと逃げろ!」
 リンクがアリシアを抱え直し神田から遠ざかっていく。
「やだ、リンク。もどって!」
 かすむ視界の中でアリシアは手を伸ばし続けた。
「かんだ……いやです。かんだぁ!」
 揺れる視界がだんだんと閉じられて最後には真っ暗になった。
 
 ***
 
 ティキは焦りも見せず肩を竦めた。
「やれやれ面倒だな。出来れば穏便に通してもらいたいんだけど?」
 神田が吐き捨てる。
「するか馬鹿が」
「ですよねえ」
 神田はちらりと六幻の位置を確認した。ティキの背後にある。今ここから取りに行けばまっすぐにアリシアのもとへ直行するだろう。
 神田は自嘲気味に笑う。
 誰かの為に命を捨てる気はない。
 見捨てればよかった。
 けれど胸の奥が違うと叫んでいる。暴れて暴れて仕方ない。
 みすみす命を捨てる気はない。
 こんな絶望的な状況でも思考は回る。どうやれば生き残れるかの算段はつかないけれど。
 ティキが呆れたように声を漏らした。
「本当にイノセンスなしで戦うつもり? かったるいな」
「うるせえ」
「じゃあ、さっさと来てよ」
 神田は走り出す。なにも変哲のない突進だ。ティキは神田が殴り掛かった瞬間神田の体を透過して心臓だけを握りつぶした。神田は一瞬動きを止める。が止まらなかった。
 六幻を掴み、構えたのだ。
「昇華、三幻式」
 つぶやくとティキに斬りかかった。だが、勢いはなくティキは避けて今度は頭を掴み、透過して骨を通り、脳を潰した。
 けれど神田は止まらなかった。六幻をティキの胸に突き立てたのである。ティキはわずかばかり顔を歪め、つぶやく。
「本当にイノセンスってやつは厄介だ」
 神田の意識はそこで途切れた。
 
 ***
 
 ティキ・ミックは苛立っていた。
 さんざん邪魔をされみすみすターゲットを逃がしてしまった。腹立しいことこの上ない。横たわっているエクソシストを見て蹴飛ばそうかとも考えたが、流石に良心が咎めた。
 それならとエクソシストが掴んでいるイノセンスを破壊しようと手を伸ばす。
「やめて欲しいな。それは大事なファクターなんだ」
 聞き覚えのある声が耳を通った。
 穏やかなテノールの声だ。
 ティキはこれ以上ない表情で彼を見る。彼はティキの表情を見て苦笑した。
「やれやれ僕は本当にいろんな人から嫌われるなぁ」
「それは、お前のうさん臭さのせいだよ」
 ポケットから辛うじて無事だった煙草に火をつけてティキは白い息を吐いた。
「心外な。僕はこれでも優しい人間なんだ」
「……どうだか」
 少し怒っている様子を見せたが、恐らくブラフだろう。
 うさん臭さが服を着て歩いているような奴だ。信用できない。
「それで? そのファクターってやつはオレたちに有利になるわけ?」
 男は顎に手を付けて唸る。
「まあ、なるっちゃなるし。後数年後にしかわからないかなぁ」
「あっそ」
 芝居がかった声にティキはうんざりした。
 すっかり興醒めしたティキは男に背を向ける。
「あれターゲットはいいの?」
「……お前が来たってことはもう今は必要のないことなんだろ?」
 男はくすりと笑った。
「流石だね、伊達に苦労してない」
「うるせえよ」
 ティキの背中をポンと叩き、男は肩を組んだ。
「一杯おごるよ。何が良い?」
 ティキは腕を振り払って男の言葉を無視した。


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