灰男小説 | ナノ


▼ 権力者たちの空12

「で? どこ行くんだよ?」
 宿屋の前で大きく欠伸をしながらラルフが問う。ネイサンは少しおどおどとしているがラルフと一緒にアリシアを見ている。ラルフたちは完全にアリシアについてきて遺産を貰う算段らしい。アリシアたちが逃げないようにホテルに泊まって二人で見張っていて頃合いを見て引っ付いてきたわけだ。たくましい根性だとアリシアは思う。まあ親があの状態では子供たちがどうにかしなきゃと思うのは切実な願いなのかもしれないけれど。
 じっとアリシアがネイサンたちを見つめているとラルフが怪訝そうに見てきた。
「なんだよじっと見て、気持ちわりぃな」
 あんまりな言い方にアリシアは顔をしかめる。
「ほんっとに口が悪いですねあなたは! 神田みたいになっちゃいますよ?」
「俺を巻き込むな馬鹿チビ」
 ギッとアリシアは神田をにらみつける。先ほどまで喧嘩していたというのにまだ足らないというのだろうか。両者がにらみ合っているとラルフがため息を吐いた。
「いいからどこに行くか教えてくれよ」
 神田をにらむことを止めたアリシアがラルフたちに尋ねる。
「そういえば神父はどうしたんですか?」
 ラルフとネイサンが顔を見合わせ合い、ポケットから折られた紙きれを取り出してアリシアに渡す。もうすでに嫌な予感しかしない。アリシアは受け取ると開いた。文面を目でなぞる。内容は簡潔だった。
 ――お仕事入っちゃったからごめんぴ!
 アリシアは頭を抱える。神田も横からスッと内容を見て同じように顔をしかめた。ラルフたちも同様だ。
「サボりですね」
「サボったな」
「あんのクソ神父」
 アリシアは紙切れを握りつぶす。今ゆうゆうと教会で寝ている姿が簡単に想像できて今度会ったら十倍働かせてやると思った。だが今は鍵の捜索である。
 アリシアは空を見上げる。今日は晴天で雲もほとんどないいい天気だ。雨が降ると移動が面倒なので探し物をするにはいい日だろう。空を見るとどうしても遮るように無数の塔が青空を遮るけれど。アリシアはラルフたちに尋ねる。
「次の暗号は空から街を見ろでしたね?」
 二人は頷く。ラルフは両手を頭の後ろで組んで空を見上げた。
「空からって飛べるわけでもねぇのにどうしろってんだ?」
 ラルフの言葉にネイサンはこくこくと頷いてアリシアを見た。
「お姉さんは何かわかりましたか?」
「まあある程度は」
 二人が表情を輝かせる。
「流石ですお姉さん!」
「昨日はどうなることかと思ったけど、やっぱやるじゃねぇか!」
 ラルフの言葉にアリシアはくわっと目を見開く。
「一言余計なんですよあなたは! まあ行動が遅くなったのは謝りますが」
「どこだ?」
 神田が説明を求めてくるのでアリシアは胸を張って答えた。
「この街の一番売りってなんだと思います?」
「いいからさっさと話せ馬鹿チビ」
 神田の言い方にむっとするがアリシアは無視してラルフたちに問いかける。
「この街にあって他の街にないものです」
 二人して首を傾いでいる。あまり難しい問題ではないと思うのだが、二人は答えが出てこないようだ。神田がそっと耳打ちする。
「大人しいほうは家から出されず、騒がしいほうは二年前から記憶がないらしい」
 ちらりと神田のほうを見てあまり表情を変えずに頷いた。リンクは流石に会話を聞き取れるほど近くでは追えなかったらしい。
 アリシアは表情は明るくする。
「仕方ありませんね、答えはあれです」
 アリシアが指をさす方向へ三人の視線が動いた。そこにあったのはこの街の観光の売りである塔だった。ラルフは眉間にしわを寄せて首を傾げる。
「空からじゃねぇじゃん」
「当たり前です。人間は空を飛べませんからね。限りなく空に近い場所ってことです」
 唸りながら口を尖らせたラルフと違いネイサンはアリシアに困惑したように言う。
「でも、塔は現存しているのは五十六棟あるんです。どこにあるんでしょう?」
 アリシアはにっこりとしてラルフたちの肩に両手を乗せる。
「そこであなたたちの出番です」
 二人はアリシアの言葉の意図がわからなかったらしい。アリシアは微笑んだ。
「ケリーさんはどこに登っていましたか? ケリーさんと一緒に登った塔は?」
 ネイサンは申し訳なさそうに首を振った。どうやら一緒に登ったことはないらしい。ラルフは唸って考え込んで、はっとした表情になった。
「グロッサの塔だ! 俺が一緒に行った!」
 アリシアは頷く。どうやら目星がついたようだ。
「案内できますか?」

 ***
 
 グロッサの塔は神父がいるであろうポポロ宮のすぐ側だった。叩き起こすこともできるが、労力の無駄と判断され、一行はグロッサの塔を上っている。
 十四世紀に造られたこの塔は上に上がれば上がるほど細くなっていき、最終的には人が行きかうことも出来ないような狭さになっている。真ん中は突き抜けになっていて、その時代ではこれほどレンガを積み上げること自体難しかったことだろう。
 グロッサの塔には連日ガラの悪いものが並んで手がかりを探しているらしい。だが何も噂が立たないということは余程巧妙に隠されているのだろう。
 通常何時間か地上で待たされるらしいが、身内の特権を使い今アリシアたちはグロッサの塔の階段をひたすら上っていた。高さが結構あるので、子供たちは息を切らしている。神田やアリシアは鍛えているのでさほど意気は上がらない。最初に音を上げたのはラルフだった。
「もう無理、死ぬ……」
「頑張ってラルフ……僕も頑張るから」
 二人がゆっくりと進むので神田たちは先を行っている。一番最初に頂上に着いたのはアリシアだった。
「わあ!」
 アリシアは感嘆する。街のすべてが見渡せた。街を見おろせとはこのことだったのだろう。確かに気分がいい。風が吹きつけてアリシアの髪を揺らした。神田も上り終えたらしく周りを見ている。
「暗号、あったか?」
 続いてラルフとネイサンも到着したようだ。流石に四人は入れないので、アリシアと神田が周りを探す。頭上には鐘がついていて家紋が浮かび上がっている。それ以外は特に目立ったものはない。
 アリシアが唸りながら考え込んだ。
 暗号は空から街を見おろせと書いてあったはずだ。ならば街に何かしら仕掛けがあるに違いない。だが、一見しても普通の街並みで目立って何かがあるわけではない。ラルフがアリシアの横に来て街を見おろす。その表情は少し陰っていた。
「ただの景色だよな」
「ええ、とても見晴らしがいいですね」
 ラルフはじっと空を見つめながら言った。
「ばあちゃんはオレたちになにがさせたいんだ?」
 悲しそうな表情だ。先ほどまでとても楽しそうだったのにどういうことだろう。アリシアは少し間を取って尋ねた。
「ケリーさんと登った時どんな話をしたんですか?」
 ラルフは視線を落として言う。
「……別に、何も」

 ***
 
 黒服を着たばあちゃんは背筋をぴんと伸ばして墓の前に立っていた。今日は最初の祖父の命日で、この日グロッサ家では黒服を着て花をたむけるのがばあちゃんの指示だった。他に花を贈ったのは親父だけ。その親父も仕事があるからとさっさと立ち去ってしまい、残るはオレとばあちゃんだけだった。何とも寂しい命日だった。
 白い花を墓石の前に置くと、俺はいたたまれない気持ちになる。
 たった二人しかいないのにもう十五分は会話がない。気まずいことこの上なかった。
 ばあちゃんは寡黙な人で滅多に口を開くことはない。楽しい会話も気の利いたジョークなんて言っていたら天地がひっくり返るかもしれない。そんなにこりともしないばあちゃんだった。
 ただばあちゃんはじっと墓石を見つめているだけだ。祈ってもいないし、聖書も持っていない。いたたまれなくなって俺はばあちゃんに聞いた。
「ばあちゃんって悲しむことあるの?」
 今思い返せばずいぶん失礼な言葉だったと思う。けれどばあちゃんはこちらをちらりとも見ず、怒りもしなかった。そしてたった一言オレに言った。
「……ついてきな」
 ばあちゃんが歩き出したのでオレもついて行った。ばあちゃんは一回も後ろを振り返らなかった。オレが一緒に来ててもいなくても良かったのだろうか。
 たどり着いた場所はグロッサ家が所有しているこの街で一番高い塔だった。これまたばあちゃんは無言で塔に登っていくのでオレもつられて足を持ち上げた。子供にはつらい階段を登り終えた先には綺麗な空と街を見おろせる絶景だった。
 オレが絶景ではしゃいでいたらそれでもばあちゃんは何も言わず、煙草に火をつけた。
 ばあちゃんは大きく息を吸ってふかす。白煙が口から出てきてそれが妙に様になっていた。オレは顔をしかめる。
「ばあちゃん医者から煙草禁止されてなかった?」
 ばあちゃんは初めてオレを見て言った。
「いいんだよ、どうせ生い先は短いからね」
 好きにさせろということだろう。あまり文句を言うと殴られることはわかっていたのでオレは黙った。ばあちゃんが煙草をふかす音だけが二人の間にはあった。でも居心地が悪いわけではない。穏やかでなんとなく清々しい気持ちにさせる、そんな空間だった。ばあちゃんが唐突に口を開いた。
「辛いときは空を見な。この世界において平等なのは空と死だけだからね」
「……愛は違うの?」
 俺の問いにばあちゃんは答えなかった。それからずっとばあちゃんは煙草を吸いながらただひたすらに空を見上げた。どこかそれが寂しそうにも見えたのでばあちゃんなりの悲しみかただったのかもしれないとのちにオレは思った。オレを連れてきた意味をずっと考えていたけれど今でもわからない。
 それからすぐにばあちゃんは死んでしまった。あの日の言葉は遺言となり、悲しいときは空を見ることが多くなった。
 ばあちゃんは寡黙で厳しくて時々優しい。わかりにくいけれど、優しい人だったのだ。
 
 ***
 
 じっと空を見始めたラルフにアリシアは口を開いた。
「そういえばなぜラルフくんは遺産が欲しいんですか?」
 するとラルフは顔をくしゃりと歪めて吐き捨てた。
「決まってる。遺産でこの街を出ていくんだ」
 アリシアはラルフの表情を見て、ウォルフ親とミケル親を思い出した。打算的で利己的な二人を見て育ったらきっと気持ちが荒むに違いない。
 ラルフはぱっと表情を明るくする。
「ネイサンはオレの親友だからずっと一緒なんだ! この先もこれからもずっとずっと!」
 無邪気に笑う彼がなんとなく微笑ましくてアリシアは何度も頷いた。
「そういえばラルフくんとネイサンくんはどうやって仲良くなったんですか?」
「それは――」
 びゅおっと強く風が吹いた。ラルフの帽子が飛んで慌てて掴もうとして体勢を崩す。足がよろめいて後ろに倒れていく。真ん中は突き抜けになっているのだ。アリシアはとっさにラルフの胴を片手で捕らえたが、もう片方の手がどこにも掴めなかった。思わず背筋が凍る。
 ――落ちる!
 アリシアがぎゅっと目を瞑ると自分の腕を神田に掴まれた。ラルフとアリシアは吹き抜けで宙ぶらりんになったが、すぐに持ち上げられた。すごい筋力である。
 足が地面に着くと神田が怒鳴った。
「助けようとしててめえも落ちてどうすんだ馬鹿!」
「……すみません」
 素直に謝ると神田は大きく息を吐いてそっぽを向いた。
「大丈夫ですか? ラルフくん」
「う、うん」
 そしてアリシアははっとした。もう一度屈んで吹き抜けを覗いたのである。神田の怒気の孕んだ声が上から降ってくる。
「おいてめぇまた落ちてえのか? 落としてやろうか?」
「違います! よく見てください!」
「ああ?」
 アリシアが見つめる先には一番下の場所である。そこには星のマークが描かれていた。神田が片眉を上げる。
「……星?」
「きっとこれが次のヒントです!」
 アリシア以外の三人が首を傾げる。だがアリシアは満面の笑みで頷いた。


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