灰男小説 | ナノ


▼ 権力者たちの空11

 アリシアはシャワーを浴びて団服に着替え終わると、一階にある食堂へと降りて行った。早朝のせいか客はまばらですぐに黒い団服が目についた。神田だ。
 神田は無表情でパンを食べており、まだこちらに気付いていない。アリシアは苦悶の表情をした。
 ――どうしようかなぁ。
 どう言い訳しようと昨日お酒で酔っぱらって迷惑をかけたことは事実である。だが素直に謝れるような関係性ではないのだ。知り合って五年、まともに謝ったことなど一度もない。それに謝ったところで許す許さないの関係性でもない。神田がアリシアを見た時、最初のリアクションはなんだろう、罵声だろうか。アリシアはあらん限りの想像をしてすべて振り払うように首を振った。無視してしまったらいいのだ。任務に支障は出るけれども。
 百面相しながら悩んでいるとアリシアの視線に気が付いた神田がこちらを向いた。アリシアは思わずびくついてしまう。
 すると神田は――。
 思いっきり舌打ちして食事へと戻っていった。
 言葉ですらない。
 流石にカチンとしたのでアリシアは自分の非を忘れてブーツを鳴らして近づいた。
「おはようございます。神田」
 見事な営業スマイルを張り付けてアリシアは挨拶をした。だが神田はまるでアリシアの存在がないかのようにパンに貪りついている。アリシアは気にせず話しかけた。
「見事な無視ですね。うんうん、語彙が脳内にはないと見えます。流石神田ですね」
 神田の眉がピクリと動いたがそれ以上の反応はない。完全に無視するつもりだ。アリシアの口角が引きつる。こちらが悪いとはいえこの態度はないのではないだろうか。アリシアも何か言われまいと無視しようと考えていたのを棚に置いて。しかし悪いのはアリシアなのだ。この事実は変わらない。アリシアは煮えたぎる心中を無視して頭を下げた。
「ごめんなさい。私が悪かったです。情報を教えてください」
 周りのフォークやナイフが皿に当たる音が聞こえた。しばらくその状態が続いてアリシアはまた無視されたかなとちらりと神田を見た。
 神田は眉間にしわを寄せながらもこちらを見ていた。
 視線が合う。
 神田は向かい側の椅子に視線を誘導して顎で座れと促してきた。思わぬ反応にアリシアはびっくりしてしまう。また無視されて嫌みの応酬になるかもしれないと思っていたのだ。あんぐり口を開けていると神田が痺れを切らしたかのように言葉を放った。
「さっさと座れ馬鹿チビ」
「あ、すみません」
 椅子を引いて座ると神田はじっとこちらをみながら最後の一切れを口の中にいれた。まるで猛獣に見られているかのように視線が鋭い。とりあえずアリシアは現状把握の為に質問してみることにした。
「昨日バーの後何か不審なことは?」
 食べ物を咀嚼して飲み込んだ神田が答える。
「特にねぇ」
「黒い蝶は見ましたか?」
「見てねぇ」
「そうですか、じゃあケリーさんの暗号はなんでしたか?」
「空から街を見ろ」
 アリシアは唸りながら思案した。一見簡単そうな暗号だ。なにかひねりがあるのかと思ったが今までのことを考えると意外と安直なものが多い。むしろケリーさんはこの宝探しを楽しんでもらいたいと思っているような、彼女を知っていれば解ける内容なのだ。ならばひねりはないのだろう。とりあえず思い浮かんだ場所をしらみつぶしに探そうと結論付けた。
「他は?」
「え?」
 意図がわからなくて首を傾げるアリシアに神田は舌打ちする。
「お前が酔っぱらった時の状況とか聞きたくねぇのかよ?」
「ああ、それはリンクに聞きましたから」
 神田の眉間にしわが寄る。これ以上ないほど険悪な表情で舌打ちした。よほどアリシアの酔っぱらい方が酷かったのだろう。そういえばリンクも同じように顔をしかめていた。もう二度とお酒は飲むまいと誓った。
 気まずい時間が流れる。やはり相当怒っているのだろう。神田がパートナーになってから叱責ばかりされている。なんだか申し訳ない気持ちになってアリシアはうなだれる。最近自分の悪い所ばかり目につく。今まではおそらくアールがアリシアに気を使っていたのだろう。傷つかないように、気を病まないようにずっと見てくれていたのだ。
 コムイの言葉がちらつく。もうアールには頼るべきではないというのはこういうことだったのだろうか。悔しいけれどコムイの言うことは当たっていたのだ。
 覚悟が足らない。
 エクソシストとして、神の使徒として、誰かを助けるものとして、神田にあってアリシアにないものそれが如実に表れているようでなんだか悔しい。
 アリシアはぼそりとつぶやいた。
「悔しいなあ」
「ああ?」
 機嫌が悪そうな神田にアリシアは首を振る。
「なんでもありませんよ。ただ、ちょっと情けなくなっただけです。自分の色々な所に」
 荒く息を吐いて神田はまた舌打ちをした。
「お前はお前だろうが」
「え?」
 神田はじれったそうにこちらを見た。
「前の任務でお前は誰も死者を出さなかった。普通任務ってのは誰かが死ぬもんだ。それをお前は最小限の被害で済ませてイノセンスも回収した。俺には出来ないことだ」
 アリシアは目を見開いた。神田はこちらの表情など気にせず続ける。
「たかだか酔っぱらったくらいでしょげてんじゃねえ。俺には俺がやれることをお前にはお前にしか出来ないことやりゃいいんだよ」
 二度と酒は飲むなよと釘を刺しながら神田は置てあったカップを持ち上げて傾けた。ふいにアリシアは顔を俯かせる。胸が熱くなって思わず泣きそうになってしまった。胸が絞られるように痛くて苦しい。しかもあの神田に慰められることがあるなんて、天地がひっくり返ってもないことだと思っていたのに。
 アリシアはくすくすと笑う。
「神田毒でも飲んだんですか? 今日は空から槍が降るかも」
「はっ倒すぞ」
 アリシアは神田をじっと見て微笑んだ。
「ありがとう」
 神田はアリシアの顔を見て目を開いた。アリシアを見て固まってしまう。そんなに驚くことだろうか。確かに本部では喧嘩ばかりしていたけれど、礼など言ったこともないけれど。神田はすっと視線をそらした。アリシアは首を傾げる。
「神田?」
「……なんでもねぇよ」
 今日の神田はなんだか変だ。思わずアリシアは手を伸ばし、神田のおでこに触れる。神田はぎょっとしたようにのけぞった。
「なにしやがる!」
「いや、熱でもあるのかなって思いまして」
「ねぇよ!」
 腕で顔を隠した神田にアリシアはくすくすと笑う。なんだか今はとても穏やかで居心地がいい。いつもは隣にいてもイライラしかしていなかったのに、とても不思議だ。
「なあ、お前らってデキてんの?」
 突然の声に二人はぎょっとしてテーブルの端を見る。するとラルフがこちらをジト目で見ていた。アリシアは今までのことを思い出し赤面した。
「い、いつからそこに!」
「いやあ、兄ちゃんがコーヒー飲み始めたくらいから。でも雰囲気がカップルだったから言うに言えなくて」
 つまり大分前から居たのだ。
「か、かか、カップル!?」
「違うのか? 喧嘩するほど仲がいいってやつかと」
「ち、違いますよ!」
 アリシアは思わずどもってしまう。カップルというのはそういうものなのだろうか。想像してアリシアは真っ赤になった。だが対する神田は冷静だった。
「こんなチビが恋人なわけねぇだろうが」
 神田は吐き捨てるように言い、アリシアはカチンときた。赤くなった頬は一気に冷めて、はっと嘲笑う。
「こんな脳筋野郎のことを好きになる女が居たらびっくりです。頬を叩いてあげますよ」
「ああ?」
「やりますか? やりましょうか?」
 一気に険悪になった雰囲気にラルフがため息を吐く。
「夫婦喧嘩は犬も食わないってやつか」
「違うわ!!」
 トレーを持ってやってきたネイサンが二人の剣幕に驚くのは数秒後の話だった。


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