▼ 権力者たちの空9
太陽が沈んでいく夕方、一行はバーから出て路地を歩いていた。
「かんだー! ホテルはまだですかあ?」
「うるせえ! 黙ってねぇと振り落とすぞ!」
キャッキャと騒いでいるのはアリシアである。数時間経っても調子が変わらなかったので仕方なく連れ出したのだが、まともに歩けず神田が舌打ちせんばかりの酷い顔でアリシアを背負っていて周りはそれを見て笑っている。主に神父が。
「いやあ、神の使徒って言っても普通の人間なんだね」
神田はその言葉には答えず、ぎろりと神父をにらみつける。
「おい、こっちが近道でいいんだろうな?」
神父が頷く。
「うんうん。僕の勘だとそんな感じだね」
「そんな、感じ……?」
凶悪な表情になった神田に神父が震えあがってネイサンの後ろに隠れる。ネイサンは引きつった苦笑いで神田に言った。
「神父様はこの街に常駐しているわけではないんですよ。忙しいときのピンチヒッターなんです」
「流石使えねぇ神父だな」
「酷ッ! 突然の悪口に神父さんびっくりだよ!」
「お前らは知らねえのか?」
ネイサンとラルフが首を振る。
「僕はほとんど外に出してもらえませんでしたから、ラルフは……」
ラルフは両手を頭の後ろに添えて笑った。
「オレは二年前からしか記憶がなくて大変だったんで」
「記憶喪失か?」
「まあそんなとこ」
ということは頼りない神父しか地理のわかるものがいないのだ」
神田は舌打ちする。
「……いいからさっさと行くぞ」
本当なら路地を歩きたくなかったが、神父が近道だからと言ってきたのである。AKUMAに攻められでもしたら今の状態じゃアリシアしか守ることが出来ない。まったくエクソシストだというのにこの失態はどういうことなのだろうと神田はさらに舌打ちする。
代わりに彼女を背負えと神父に命令したが笑って断られ、六幻で脅そうとしたがアリシアが神田に引っ付いてきてしまって離れないので仕方なく背負っているのである。今度アリシアと調査でバーに行くことがあっても絶対に酒を飲ませてはならないと神田は心の中で固く誓った。
目の前から見るからにガラの悪い連中が四人歩いてきた。狭い路地に四人が横に並んで歩いてくるので迷惑極まりない。思わず眉間にしわを寄せるが、関わり合いになるのが面倒だ。神田は難なく避けたのだが、背後でネイサンが小さな悲鳴を上げた。
「ネイサン!」
背後を振り返るとネイサンが尻もちをついておりラルフがかばうように前に立っている。ゴロツキたちはそれを見て人の悪い笑みでにんまりと笑った。
ぶつかったであろう一人が腰をさすって屈む。
「おお、いてえ! これは折れちまったかもしれねぇ! いてえ、いてえよお!」
周りのゴロツキが下卑た笑い声をあげる。聞くことも不快だが、ネイサンが怖がって立ち上がれていない。面倒な状況だ。
「こりゃ慰謝料請求しねぇとなぁ。それとも子供背負ってる、ねぇちゃんアンタがお相手してくれるかい?」
神田のこめかみが震える。ゴロツキが無遠慮に手を伸ばしてきたので神田は強く払いのけた。神田の拒絶にゴロツキどもは笑う。
「気が強いじゃねぇか! 相手のし甲斐があるぜ」
神田は嘲笑する。
「生憎、お前らなんぞに構っている暇はないんでな」
神田の声にゴロツキどもは目を丸くした。
「男ぉ!? けっなんだよ、女みてえな顔しやがって」
神田は逆立つような怒りを感じた。ゴロツキ共は神田には興味を失くしたようだが、代わりにアリシアに視線がいった。
「なぁ、まだガキだけどこいつ案外かわいいからこっちで楽しもうぜ」
ゴロツキどもが頷いた。完全に神田たちは相手ならないでのされることになっているようだ。神田の怒りが頂点に達した。ちらりと背後を見て神父に言う。
「こいつ持ってろ」
「あ、はいはい」
神父は素早い動きでアリシアを持ち上げようとしたが、アリシアは離れない。むしろ神田の首が締まりそうなほどの腕力で抗ってくる。神父が焦った声でアリシアを言い聞かせた。
「エクソシスト様〜? いい子だから手をはなしてくださ〜〜い?」
アリシアは首を振る。
「やですう! これがいいんですう!」
神田がくわっと目を開いてアリシアを怒鳴りつける。
「いいから離れろ酔いどれ馬鹿チビ!」
「いやですう〜〜!」
神田が力いっぱい剥がそうとしても全然解けない。むしろ抵抗されればされるほど首が締まるので、やりようがなかった。これはもうどうしようもない。神田がうつむいて大きくため息を吐いてくつくつと笑い始めた。
「いいぜ、これはハンデだ。いいから来いよ? 全員ぶっ飛ばしてやる」
つまり抱えている手は使わずに全員倒してやると言っているのだ。
ゴロツキの表情が変わる。馬鹿にされたと判断されたようだ。
「てめぇ、どうやら痛い目に遭いたいらしいな?」
「それはそっちのことだろ? お前らみたいなゴミ屑に俺がやられるかよ」
「んだとこらぁ!」
ゴロツキの一人が腕を振り上げて突進してきた。神田は無駄なくすれすれで避けて飛び上がってゴロツキの後頭部を蹴りつけた。ゴロツキは一瞬で意識を失い、倒れこむ。神田はなんともなしに着地して残りのゴロツキどもを見て嗤った。
「まだやんのかよ?」
鮮やかな手際にゴロツキどもは警戒したのだろう、少し距離を取られる。そしてポケットからナイフを全員が取り出した。一人のゴロツキが言う。
「全員でかかるぞ? いいな?」
他二人が頷いたのを見て神田が舌打ちした。
自分だけが避けるのは簡単だが、アリシアが傷ついてしまうかもしれない。そこまで考慮して動くとなると骨の要る作業だ。神田は黙り込んで、ふっと笑った。
「おい、馬鹿チビ?」
アリシアが耳元で叫ぶ。
「アリシアですぅ!」
「耳元で叫ぶな馬鹿! 少し腕を緩めたら楽しい事してやるよ」
アリシアが腕を緩めた。
「どんなことしてくれるんですか?」
どうやら期待しているらしい。神田はにやりと笑って腕を掴み、アリシアを持ち上げた。
「こうしてやるんだよっ!」
神田はアリシアをハンマー投げのようにぐるぐると回し上空へと放り投げた。アリシアは笑いながら二十メートルほど体が上がった。当たり前のように落下してきているが、アリシアは子供のように笑っている。
そこからの神田の行動は早かった。驚いていたゴロツキの一人の顔面を殴り飛ばして吹っ飛ばし、二人目を回し蹴りでこれもまた吹っ飛ばした。三人目には掌底を食らわそうとして避けられてナイフが近づいてきたが、足でナイフを弾き飛ばす。そして遠心力のままに横から裏拳で殴りつけて気絶させる。アリシアを地面へと叩きつけないように地面で待った。すると背後から叫び声が聞こえた。
「ぶっ殺してやらぁ!」
最初に顔面を殴りつけたゴロツキだ。どうやら力加減を間違ったらしい。ナイフを前面に押し出し突っ込んでくる。だが、ゴロツキの対応をしていればアリシアは地面に叩きつけられてしまう。神田は舌打ちした。どちらを取るか迷いはしなかった。
神田はゴロツキに背を向けてアリシアを受け取る体勢になった。ナイフを甘んじて受けてから攻撃に転じようとしたのだ。ゴロツキは凶器に満ちた叫び声をあげた。刺されると神田が思った瞬間、アリシアが銃を構えて続けて二発、発砲した。ゴロツキのナイフは弾き飛ばされ足を穿たれた。絶叫が聞こえる中、神田はアリシアを見た。
アリシアはとろけるような表情で神田に微笑んだ。
「よかった」、
神田は目を見開く。
時が止まったように感じた。
本当にアリシアが自分の身を心配して笑いかけ、助けたのだ。そう思うと胸が変な風に疼いた。呆気に取られて神田はアリシアを掴み損ねる。思わず血の気が引いた。
そこに真紅の何かが割り込んできて、寸でのところでアリシアを抱きとめた。リンクだ。
ばっとアリシアを見るが、彼女は安らかに寝息を立てている。神田はほっとして息を吐いた。だが安心したのもつかの間、鋭い視線に射抜かれる。
「どういうおつもりですか?」
彼女を抱き上げて立ち上がった。底冷えする声音でリンクが神田に問う。
「間違えば彼女は死んでいましたよ?」
神田は黙り込む。
「エクソシストは希少な存在です。それなのにあなたのきたら、こんなくだらないことに……!」
明らかに自分に非があると思ったから言い返せない。返答がこないと苛立ったのかリンクは声を荒げた。
「彼女はあなたみたいには頑丈に出来ていないんです! セカンド!」
神田は目を見開く。こいつはどこまで知っているのかという驚きと憎しみが膨れ上がる。やはりルベリエの部下なんて信用ならない。むしろ信用していい人間なんて教団にはいないのだ。アリシアとしても同じことだ。すっと表情を失くして神田は傲然と言い放つ。
「知ったこっちゃねぇんだよ。鴉野郎。お前は影からこそこそ見てて助けようともしなかったんだろ?」
リンクが目を開いた。まるで仇のように神田を激しく睨みつける。どうやら図星だったようだ。結局神田もリンクも変わらない。けれどリンクはアリシアを大事そうに抱きしめている。そのことにまた何故だか腹が立った。
神田は嗤う。
「そんなにそいつが大事ならちゃんと自分の手で守れ」
さらに険悪になろうとした雰囲気を切るように神父が割り込んでくる。
「まあまあ! みんな無事だったんだからいいじゃない! さっさとホテルへ行こう! ほらほらお腹も減ったでしょう? 牛乳飲もう! きっと苛立った心も溶かしてくれるよ?」
神田もリンクも黙り込んだ。それを見て神父はにんまりとわらう。
「いやあ、若いっていいね! 青春のほとばしりって感じでぼかぁもうおじさんかもな!」
笑い始めた神父にラルフが腰らへんを殴りつける。
「馬鹿言ってねぇでさっさと行くぞ! そいつら誰も死んでないんだから」
「はいはい、ラルフはせっかちだなぁ」
神田はなんだか馬鹿らしくなって服をはたく。リンクも同じ気持ちになったのだろう。 皆が歩き出した。
もう夜に染まりかけた街をまっすぐに。
***
「ちくしょう、ちくしょう!」
路地裏で一人の男が叫ぶ。足を撃たれて動けず、仲間も未だに起きてこない。助けを呼んでいるがゴロツキのいっぱいいるこの街では見て見ぬふりをされるのが当たり前だ。自分たちを助ける者は誰もいない。
だから男は苛立って拳を地面に何度も何度も殴りつけるしかなかった。手がジンジンする。だがそれよりも心の痛みのほうが強かった。
「――ろしてやる、殺してやる!」
次あいつらに会えば、真っ先にいけ好かない顔の少年から殺してやるのだ。そして自分を撃った少女を嬲り殺す。そう考えると痛みも和らいだ。笑みが零れてやがて哄笑に変わる。
ただ自分は貧しさに飢えて仲間と一緒に宝を見つけようとしただけなのに、どうしてこんな地を這うように惨めに生きなければならないのか。哀れで悔しくて怒りが溢れる。
男は空を見上げた。
空は満月が輝いている。自分はこんなにも惨めなままなのに、空はただじっとこちらを見ているだけだ。この街に来たときは天をも掴めるような気がしていたのに。
ふっと目の前に影が現れた。人だ。
月が雲に隠れて、路地裏は真っ暗になる。
まるで闇に溶かされたように。
男は人間に言う。
「お願いだ、助けてくれ。怪我してるんだ」
人間はふっと笑ったような気がした。それがとても無邪気に笑ったように見えたのでつられて男も笑う。人間はにまっと笑った。
「ダメだよ」
そして男はいつの間にか人間に胸を貫かれていた。男は悲鳴も上げることも出来ずに、口から血があふれ出す。人間は淡々と言った。
「あれはオレの獲物だ」
そして周りには黒い蝶が飛んでいる。ひらひらと優雅に死を誘うように。人間は男から手を引き抜くと何事もなかったように去っていく。男の意識がなくなることにはもう誰もそこにはいなかった。
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