灰男小説 | ナノ


▼ 権力者たちの空8

 ラティス邸を後にしたアリシアと神田は教えてもらったバーへと足を進めていた。
 だが背後には二人分の足音が付いてくる。アリシアはどう言おうか悩んでいたが、神田がこめかみを抑えて後ろを振り返った。
「おい、付いてくんなガキども」
 ネイサンは怖々付いてきていて足音はひそやかだったが、ラルフは隠そうとせず大股で歩いてくる。足音はもちろんうるさい。ラルフはおくびもなく言った。
「けちけちすんなよ。お前らだってガキじゃん」
「ああ?」
 今にも神田が怒鳴りかかりそうだったので、アリシアが口を開いた。
「少なくとも私たちに付いてきてもバーには入れてあげられませんよ? あなたたち十歳くらいでしょう? お酒を飲まないにしても不謹慎です」
 ラルフは半眼になってアリシアを見る。
「お前も背が小さいから十歳くらいに間違われるんじゃねーの?」
 アリシアは口の端を引きつらせて、言い返す。
「私はこれでも十五歳ですよ。間違われたこともありません」
 ラルフとネイサンは目を丸くする。ラルフがアリシアを頭からつま先までしげしげと見つめて憐れんだ眼差しで肩を叩く。
「それにしてはどこも発達してないというか……ドンマイ」
 ラルフの手を跳ね除けながらアリシアは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「う、うるさいですよ! まだまだ私は成長期ですから! これからどんどん育っていくんですよ!」
 話がそれてきたところで神田が冷めた口調で言う。
「お前の幼児体形のことなんかどうでもいいんだよ。こいつらどうするかって話だ」
「よ、幼児っ……!」
 わなわなと震えだすアリシアの頭に誰かが手を置いて撫でてくる。神父だ。
「まあまあ彼らはニア様と話すときにいてくれたらとっても助かると思うよ? ばあさまの話も聞けていいこと尽くめじゃないか。それに彼らと君たちの利害は一致している。僕はいいと思うけどな」
 神田は神父を睥睨して見る。
「AKUKMAが出た時はどうすんだ? 御守りはごめんだぞ」
 アリシアがどこかで聞いたことがある言葉と思いつつも納得する。エクソシストの任務には危険が付きまとう。彼らを守り切れるかなんて保証はない。神父はわかったようにうんうんと頷いた。
「その時は僕が彼らを安全な所へ誘導するよ。迷惑はかけない」
「はっ! エクソシストでもねぇ奴がそんな大口叩いて大丈夫かよ?」
 神田の言葉に神父の眼鏡の奥の目が薄く細められた。
「大丈夫。AKUMAは来ない」
 アリシアは神父の確信めいた言葉に首を傾げた。
「――確証があるんですか?」
 神父は一瞬黙った後、だらしなく笑った。
「いやあ、ただの勘だよ! あはは! エクソシスト様頼りにしてるぅ!」
 アリシアは脱力した。いまいち掴み処のない人間だ。なんとなく口論するのが馬鹿らしくなってアリシアは神田に向けて視線をやる。すると神田も諦めたようにため息を吐いた。
「好きにしろ」
 神父は朗らかに笑った。
「いやあ、よかったねー二人とも! これで心置きなく宝探しが出来るぞ!」
 ラルフやネイサンが顔を合わせて笑いあう。アリシアはそれを横目で見ながら神田を窺うとすこぶる不機嫌そうだがこれ以上反論する気はないらしい。アリシアとしても利点があるなら付いてきてもらったほうがいいと思う。まだ昼を過ぎたあたりだ、特に帰す理由もない。神父が前を見ると道の角で立ち止まり、頭上につるされている看板を指さした。小鹿の形が浮き彫りなっている鉄製の物だった。どうやら目的地に着いたらしい。
 だが中に明かりはついていない。バーなのだから夜から開店するのだろう。アリシアがドアを叩こうか迷っているうちに神父がけたたましくドアを殴りつける。
「ガン爺ー! 上客だよー! 神父さんも飲みに来たー! 開けて開けて!」
 あまりにも派手にドアを叩くものだから行き交う人々もぎょっとしてこちらを見た。少し恥ずかしくなってアリシアは小声で神父に言い募った。
「し、神父まだ開いてませんから時間を見て……」
 神父はにっこりと笑みを返した。
「大丈夫、大丈夫。こんなのしょっちゅうだから」
 笑いながら言う神父が勢いよく開けられたドアによって吹っ飛ばされる。見事に数メートル飛んだ神父をよそにドアから現れたのは小柄ながら筋肉隆々のおじいさんだった。おじいさんの眉間には青筋が立っていて神父に向かって唾を飛ばしながら怒鳴り散らした。
「煩いぞこのもじゃもじゃ頭が! 人が健やかに寝ていたところを起こしよって!」
 神父は起き上がりながらにこにことだらしなく笑った。
「いいじゃん、いつものことでしょ? 今日はとってもいい客も連れてきたんだ」
「ああ?」
 言われて初めてアリシアたちに気が付いたらしい。じっと見つめられて鼻で笑われた。
「どいつもこいつもまだガキじゃねぇか。他あたれ」
 閉められそうになったドアにすかさずアリシアが足を挟み込む。そして笑顔を作り、ガン爺に微笑みかけた。
「すみません、私たちは黒の教団のエクソシストです。ケリー・グロッサさんについてお話が聞きたくてお伺いしました」
 ガン爺の片眉がつりあがる。
「おっちんだババアのことなんてなんも知らねぇぞ?」
 ドアの隙間からにらみつけるガン爺に物怖じせずアリシアは言う。
「もしかするとここのバーに手がかりがあるかもしれないんです。せめて中を調べさせてくださいませんか?」
「あのババアの関係者か。あいにくとここはただのバーだ。飲んで食べてを楽しむ場所なんでな」
 ぎゅっと力を込めてドアを閉めようとするガン爺にアリシアの頭上から神父が笑いながら言う。
「だぁから、僕らはただ飲みに来たんだって。そしたらガン爺はお酒を提供してくれるでしょ? 昔語りでいいから聞かせてやんなよ」
 ガン爺は神父をじっと見つめるとゆっくりと扉から手を離した。
「客なら問題ない。好きなだけ飲んでいけ」
 アリシアが呆気に取られていると、神父が小さい声で囁く。
「真摯に訴えてもダメなときは相手の要望を応えてあげなきゃね」
 ばっとアリシアが神父を見る。すると神父は何も気にしていないようにドアを大きく開いて中へ入っていった。その一瞬で微かに甘いコロンの匂いがしてアリシアはちぐはぐな彼の印象に戸惑いつつも中へ入っていった。
 
 ***
 
 バーの中はとても年季が入っていてこじんまりとしていた。十人は入れたらいいぐらいの狭さで一人で回すにはちょうどいいのだろう。薄暗くて煙草の匂いが染みついているが、まったく汚れなどはなく、一見分かりにくいが清潔さがあった。アリシアたちはカウンターへと案内され、神田とアリシア、神父の前にはナッツの皿が置かれて子供達にはカクテルに使うのだろう果物が切られて皿の上に鎮座した。
 ガン爺は無言で用意してくれたところで、神父が手を挙げた。
「ガン爺いつもの!」
 ガン爺は黙ってウイスキーグラスを用意して氷をグラスいっぱいにいれるとマッカランを注いだ。その手慣れた様子を見てアリシアは尋ねる。
「もしかして神父にとっても馴染みの場所なんですか?」
 ガン爺はちらりとこちらを見たが何も言わない。代わりに神父が氷を回しながら答えてくれた。
「そうだよーばあさまがよく連れてってくれてね。昼から飲むこともしょっちゅうだった」
 そうなると合点がいく。彼に手紙を預けたのも、堅物そうなおじいさんが神父には気安く話せているのも頷ける。
「じゃあ、神父何か知ってたんじゃないですか? ここに来なくたって」
 神父は首を振る。
「ぼかあ酔っぱらいすぎて最後はよくわからなくなってるからホットワインをばあさまが最後に飲んでたかなんてわからないよ」
 神田が舌打ちする。
「使えねぇ」
 神父はニヤニヤしてアリシアたちを見る。
「さあ、君たちご注文は?」
 アリシアが困惑したように首を振る。
「私まだお酒飲んだことなくて……」
「あらそう、じゃあ甘いカクテル出してやってよ」
 ガン爺が無言で頷くと今度は神田のほうに視線が向けられる。
「君はどうする?」
 神田は眉間を震わせて神父をにらむ。
「オレたちは遊びに来たんじゃねぇ。用件が済んだらここを出る」
 神父がおどけて神田に笑いかける。
「あれれ、いいのかなぁ。そんな頑なだからガン爺が教えてくれないのに。お酒を飲んだら客とマスターだ。世間話ぐらいはしてくれるはずだよ?」
 神田は舌打ちして一言ビールと言った。ガン爺は頷いてジョッキを出してビールを注ぎ神田に渡した。神田は無言で受け取り一気にあおる。アリシアは目を丸くした。
「神田! そんなに一気に飲んだら……!」
 慌てるアリシアをよそに神田は飲み干してしまった。神田はジョッキを荒々しく置いて神父をにらむ。神父は満足そうに笑った。
 そうこうしている間にアリシアの前に白濁色の液体が入ったグラスが置かれる。アリシアは怖々と持ち上げると少し舐めた。驚いたように目を開いた。
「美味しい」
 ガン爺がぼそりとつぶやく。
「カルーアミルクだ」
 アリシアはコーヒーの味のするカクテルをゆっくり嚥下した。神田はじれったそうにガン爺に話しかけた。
「ケリー・グロッサはここでホットワインを飲んでたか?」
 ガン爺は無言で店の奥に引っ込んでいき、大きな樽を持ってきた。それをカウンターにどんと置いてにやりと笑う。神父が噴き出した。
「これを飲んだら教えてくれるって」
 アリシアはぎょっとして神田を見る。とても飲める量ではない。だが、神父は楽し気にクスクスと笑う。
「ばあさまは酒豪だったから、毎回これぐらいは飲んでたよ?」
「嘘ですよね!? 人が飲める量ですかこれ!」
「いやあ、それが本当なんだなぁ」
 神父が少し遠い目で懐かしむように宙を見た。
 神田がぎろりとにらみつける。そして盛大な舌打ちをすると樽を持ち上げて飲み始めた。アリシアが声を上げる。
「神田っ! あなた馬鹿だから知らないでしょうけど急性アルコール中毒というものがあって……!」
 だが、アリシアの言葉など聞かずに神田は喉を鳴らして飲んでいく。流石に周りにいた神父もガン爺も驚いていた。子供たちは驚きすぎて口から果物を落とした。
 休む間もなく飲んでいく神田にあっけにとられているうちにどんどん樽を傾けて最後には樽をどんとカウンターに置いた。そしてガン爺をにらみつけた。
「これでいいんだろ?」
 一瞬の間を置いた後ガン爺が大笑いし始めた。あまりに呵々と笑うのでアリシアたちはびっくりしたが、あんなに頑なそうだったガン爺が笑うのは打ち解けた証拠だろう。ガン爺は笑いながら言う。
「ババアはよく酔いつぶれたそこのもじゃもじゃ頭をよそに飲んでたよ。アンタみたいに豪快じゃなかったけどな」
 神田は口元を拭いながら問いかける。
「ケリー・グロッサはここでホットワインを飲んでたか?」
 ガン爺は頷く。
「ああ、最後の最後に飲んでたよ。このカップを使ってな」
 そう言って取りだしてきたのは陶器で出来たマグカップだ。真っ白で特に変わったところはない。神田はアリシアを見る。
「おい、どう思う?」
「はいぃ?」
 するとアリシアはゆっくりと神田のほうを向いた。アリシアの表情に神田はぎょっとする。赤ら顔で焦点が合っていない。神田はアリシアの頭を叩いた。
「しっかりしろ馬鹿チビ! こんな量で酔っぱらうんじゃねぇ!」
「えへへ、そんらこといってもぉ、わたし分かんなーい!」
 といってゲラゲラ笑い始めたアリシアにため息を吐く。頭脳労働専門はアリシアのほうなので神田は頭を抱えそうになった。けれどアリシアも話は聞いていたようでケリーのマグカップを手に取って表面を撫でた。
「これぇ、もしかしたら熱いもの入れてみたらいいんですよお」
 神田ははっとしてガン爺に注文する。
「ホットワインを」
 ガン爺は言われるままにカップにホットワインをそそいだ。すると文字が浮かび上がる。みんな集まってその文字を見た。
『空から街を見ろ』
 アリシアがきゃっきゃと笑い始める。
「空を見ろだってー! あははは!」
 一同が首を傾げるばかりだ。この暗号の内容を推察できそうなアリシアが酔っぱらってしまってはもう動きようがない。眉間の皺が寄りまくりの神田の肩に神父が憐れむように手を置いた。
「今日はもう無理だ。ここで過ごそう」
 そこですかさずラルフが半眼で神父を見た。
「いや、お前が酒飲みたいだけだろ」


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