▼ 権力者たちの空7
次の日、ラティス邸を訪れた一行は昨日の剣呑な雰囲気が嘘のように屋敷に迎えられた。勿論仲介をしたのは神父だが、当たり前のように寝ていたので神田が六幻で脅していた。今日、リンクは一緒ではなく、彼には別の用事を頼んでいる。合流するのは後になるだろう。
正直アリシアは色々と肩透かしを食らったような気分だ。どうやら昨日顔をっ真っ赤にして怒っていた当主が不在だという所為もあるのだろうけれど。
「いや、流石立派なお屋敷ですね」
邸内は神経質なほど掃除が行き届いており、調度品もそれなりにある。けれどなぜか違和感を覚えた。それが何かはわからないけれど。
「周り見てねーでさっさと行くぞ」
神田からの言葉にアリシアはむっとしたが黙って付いて行くき、メイドに案内されるままある部屋へと通される。するとその部屋にはベッドに座っているニアの姿があった。服はネグリジェであまり顔色がよくない。ニアがこちらに目を向けて頭を下げる。
「このような姿で申し訳ありません。今日はちょっと体調が悪くて……」
そう言って咳き込み始めてしまった。するとネイサンが部屋に飛び込んできて母親を抱きしめる。
「母様! 話なら僕がするって言ったじゃないか! いいから休んで」
ニアが苦笑しながら首を振る。
「あなたが私の心配をしてくれるのはわかります。けれどこれは私の口からお話ししたいの」
アリシアはニアのことを芯の強い方だと思った。昨日の険悪な状態からして子供に権力争いの話などさせたくないということだろう。アリシアはその感情を無碍には出来ず、二人に微笑んだ。
「では、出来るだけ安静にしながら話してください。私たちもゆっくりとお聞きします」
アリシアの気遣いがわかったのだろう。ニアは顔をほころばせ柔らかく笑んで頷いた。
「ではまず金庫についてお話ししましょう。――あれはおばあさまの葬儀の後でした」
***
ざあざあと雨が降る。
その中でシャベルが土を落とす音が聞こえていた。
黒い服の群れが静かに棺が埋められていくのを見守っている。だがその中で誰が彼女の死を心から悲しんでいるものがいるのだろうとニア・ラティスは思った。
ラティス家の当主であるミケルは終止悲しげな顔を取り繕ってはいるが、莫大な遺産をどうやって自分のものにするのかだけを考えているだろうし、グロッサ家の当主であるウォルフ親も笑顔を浮かべて参列者に笑いかけている。
とても悲しい式だと思った。薄ら寒いとも言ってもいい。ニアが顔を俯かせていると自分の手をぎゅっと握りこむ存在がいた。ネイサンだ。
ネイサンは唯一、式でおばあさまが亡くなったことで涙を零している。
ちらりとラルフを見たが、歯を食いしばって涙をこらえているようだった。悲しんでいるのは恐らくこの三人だけ。
それだけケリー・グロッサは苛烈な人だった。
旦那からの話だと幼少期に学校のテストで百点を取らなければ意味がないと叱責され顔を張られたらしい。その他にも優秀であれ、人の上を行けと事あるごとい言われ、頭を撫でられたり抱きしめられたりなどは一切されたことがないと憎々し気に言っていた。
それもケリー・グロッサの半生を知れば仕方がないかもしれないと思える。
結婚して身ごもった直後に旦那が突然急死し、家督を誰が継ぐのか揉めた時に誰も任せられる人物がおらず困惑しているときに結婚を申し出た男がネイサンの祖父だ。
二人は恋愛結婚というより、家名を汚さないように親戚が無理やり結婚させたと聞いている。そして旦那を身ごもった数年後ネイサンの祖父も事故死している。
ケリーは呪われた女だと囁かれ、家督を誰にも譲らず、誰にも笑顔を見せなくなったという。鉄の女の出来上がりだった。
それからグロッサ家はケリーの手腕により莫大な富を得ることになる。家族というものを代償にして、ケリー・グロッサは名声を得たのである。
ニアにとってケリーは悪い姑ではなかった。
特別優しくされたことはないが、冷たくあしらわれたりしたことがないし、お祝い事があれば高価な品を贈ってくれた。つわりが辛いときは産婆をつきっきりでつけさせてくれたし、持病が悪化した時は名医を呼んでニアが苦しくないようにしてくれた。
決して悪い人ではなかったと思うのになぜこうも子供たちは憎み合うのだろう。哀れでならない。雨はしばらく降り続けるのだろう。誰かが遺産を手にするまで。
式が終わり、遺品整理をしていた時、神父がやってきた。ケリーから預かっていた手紙だと。みんな誰が家督を継ぐのか書かれているのだろうと思っていたが違った。
手紙の内容は金庫を開けることが出来た者に家督を継がせるというものだった。それには人種も出自も何も関係がないとも書かれていてその噂はあっという間に広まった。
おかげで街は噂を聞き付けたゴロツキ共が溢れかえり、治安が悪くなった。
ミケルが言っていた。結局、母は誰も血縁の者を愛せなかったからこのようなものを残したのだと、言葉を吐き捨てた。
金庫は街の役場に置かれ、ありとあらゆる手段で誰もが開けようとした。鍵開けの名人、金庫を壊して取ろうとする者、塔から金庫を落としたもの様々だった。
けれど未だに金庫は開いていない。
ただの鉄の塊ではないことを街の誰もが知ることになった。開かないならばと今度は鍵を探すことに躍起になっているのである。
***
「なるほど、だから開かずの金庫ってことなんですね」
ある程度資料で読んでいた内容と似通っているが、ケリー・グロッサの話を聞けるならば鍵は探しやすいだろう。アリシアが黙り込むと神田が口を開いた。
「話に出てきた神父ってのはこいつか?」
一番後ろで黙っていた神父を指さす。突然のことに神父は目を丸くした。
「あ、うんそうだよー僕がケリーから預かっていたんだ」
神田が神父をにらみつける。
「なら手がかりになるようなことは聞いてなかったのか?」
ぶんぶんと神父が首を振る。
「ないない。ないよー。あのばあさまがそんなヘマするわけないじゃない。僕はただ自分が死ぬまで手紙を預かれって言われただけだよ」
神田が舌打ちする。アリシアはニアに向けて話しかけた。
「手紙には何かヒントはありましたか?」
ニアは申し訳なさそうにうつむいた。
「すみません、ただ一文だけ『この金庫を開けられたものだけ家督を譲る』と書かれていただけですので」
「その手紙は今どこに?」
「それは――」
窓が突然開き、アリシアと神田はイノセンスを構えた。だが窓からはひょっこりとラルフが現れた。
「オレが持ってるぜ」
突然現れたラルフにネイサンが眉根を寄せた。
「ラルフ! また君は玄関から入ってこなかったの?」
「お前の親父がうるせーんだから仕方ないだろ? このほうがいいんだって」
どうやら日常茶飯事らしい。構えた武器をアリシアたちは降ろし、ラルフに尋ねる。
「手紙をどうしてあなたが持ってるんですか?」
ラルフは得意げに鼻をこする。
「そりゃオレとネイサンが見つけたら俺たちが遺産をもらえるからだって」
「それで手がかりは何かわかりましたか?」
ぐっとラルフが言葉を詰まらせた。
「それは、まだだけど」
アリシアがにっこりとしながらラルフに手を差しだした。
「手がかりを見つけたいんです。見せてください」
ラルフは顔をしかめてアリシアを不審そうに見つめる。
「遺産はオレたちが貰うぞ?」
アリシアは笑顔で頷いた。
「ええ、私たちはただイノセンスであるかどうかを調べたいだけなので構いませんよ?」
「本当に?」
「ええ」
「嘘ついたらぶっ飛ばすからな」
「大丈夫です。お金には困ってないですので」
ラルフはじっとアリシアと神田を見つめてしぶしぶ後ろのポケットから手紙を取り出した。アリシアは手紙を受け取ると、紙を広げて光に当てたり紙をなぞったりしてみた。そして唸りながらネイサンに尋ねる。
「蝋燭と火をください」
ネイサンが首を傾げる。
「何に使うんですか?」
アリシアは得意げに笑う。
「ちょっとした実験です」
ネイサンが部屋の隅に置いてあった蝋燭とマッチを持ってくると、アリシアは蝋燭を神田に渡した。
「テメェ何する気だ?」
「まあまあ、すぐわかりますから」
アリシアがマッチをこすり火をおこすと蝋燭に火を移す。手紙をその上にやってあぶり始めた。周りが目を大きく開いた。
「何してんだよ!」
一番大きく反応したラルフが手紙を取り上げようとして飛び掛かった。けれど、簡単に避けてアリシアは動じない。
「ほらよく見てください」
ラルフに手紙を見せると、彼は驚いた。
「文字が浮かび上がってる!」
周りの人々が寄ってきてその浮かび上がった文字を見た。
「私は熱々のホットワインが好き?」
アリシアが満足そうに頷く。だが周りは首を傾げている。
「ばあちゃんボケてたんかな?」
ネイサンも苦笑いしている。周りの反応も似たようなものだった。アリシアが指を人差し指を立ててちっちと振る。
「つまりはこれは私たちしかわかってない暗号なわけです。他より一歩先に行きましたよ。次の目標は決まりましたね?」
要はホットワインというキーワードから連想できるもの、ケリーの性格を加味して探せばいいのだ。
笑みを深くするアリシアにラルフが周りでぴょんぴょん飛びはねる。
「すげーじゃねぇかドチビ!」
アリシアは顔を引きつらせたが、何も言うことはなかった。代わりにニアに尋ねる。
「おばあさまはお酒がお好きだったんですか?」
ニアが頷く。
「無類のお酒好きでした。たいそうお酒が好きで酔ったところは見たことがありません」
「ではどこで飲んでいたのかわかりますか? ホットワインですから寝る前とかに飲んでたのかもしれません」
「でしたら、一軒いつもお一人で飲まれるときに懇意にしていたバーがありました」
ラルフとネイサンが顔を合わせ目を輝かせる。神田も話が進展したのでほっと息を吐いた。アリシアがニアに礼をする。
「情報ありがとうございました。また何かあれば尋ねてもいいでしょうか?」
ニアは微笑んだ。
「ええ。いつでもどうぞ。ラルフが入り方を知っていますので」
つまり不法侵入しろということだろう。ラルフを見ると得意げににやりと笑った。
神田も深く礼をする。
「情報感謝する」
アリシアは彼の姿を見てオルゴールの街でのことを思い出した。誰かに感謝して礼をする。当たり前のことなのにそれがどうしてこんなに意外で美しく見えるのか。アリシアがじっと見ていることなど知らずに神田は深く礼をしていた。
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