▼ 序章3
「で、なんなんですか? 重要な話って?」
足を組み替えながら、 アリシアは脇にあるひじ掛けをトントンと指をせわしなく動かしていた。今は室長室でアリシア、神田は長椅子に座っている。
イラついているのは神田も同様で二人は同じ椅子に座ってはいるが、端と端に座っていた。二人の関係性を物語っている。
リーバーは焦ったように机に突っ伏している人物をずっとゆすっている。
「さっさとしろよ、リーバー」
神田も大分イラついている。
だが、当の呼び出した本人であるコムイは机に突っ伏して動かない。寝ているのだ。
リーバー班長が揺り起こそうとしているが、全く起きる気配がない。殴っても効果はなかった。
リーバーもため息をつく。
いっこうに会話が進まずもう十分は経っている。空気も悪い。アリシアは思わず苛立ちで声を荒げた。
「ていうか一時間前にあんなに元気だった人がなんでこんな寝てるんですか!」
コムイが一度寝てしまうとなかなか起きないのは長年の付き合いで知っている。だが、呼び出しておいて寝に入るとはどういうことなのだろう。
リーバーが疲れたように頭をかく。
「俺も聞きたい……さっきまで起きてたのに」
リーバーの目の下には濃いクマが出来上がっている。恐らく寝ていないのだろう不憫だ。
じれたのか神田がリーバーに対して問いかける。
「内容は聞いてねぇのかよ」
アリシアもこの意見には同意だ。コムイの話がなくてもリーバーから内容が聞ければ問題がないのだ。むしろ手っ取り早い。
リーバーはため息を吐いた。
「俺が聞いたのは二人に話をするからってだけだったんで、内容は聞いてないんだよ」
イラついた息を吐く音が三つ重なる。つまりはコムイが起きてくれないと何も始まらないらしい。
「仕方ないですね」
アリシアがすっと立ち上がり、コムイのそばに歩み寄る。突っ伏しているコムイの耳元に小さな声でささやいた。
「リナリーが神田と結婚するって言ってますよ」
神田が目を丸くする。リーバーは震えあがった。
「な!?てめっ!」
「シャレにならんことを!?」
先ほどまで死んだように眠っていたコムイが幽鬼のようにふらつきながら立ち上がった。
アリシアは避難してコムイの背後に回ってしゃがんでいる。息をのむ二人。コムイは目を開いて神田を見つめる。どこから出したのかわからないが手には銃器が携えられている。
「やばい!」
リーバーが慌てて止めにかかる。だが、それも手遅れだった。
かっと目を見開いてコムイは叫んだ。
「僕のリナリーと結婚するなんて認めなーい!」
一気に銃口から火が噴き出す。神田は椅子の背後に隠れた。リーバーはアリシアの隣に避難している。もうこうなってはリーバーは止められない。コムイはリナリーの兄だ。それもかなりのシスコンっぷりをみんな知っている。誰かと結婚するなんて考えられないのだろう。だが、標的のはずである神田に向けられるだけでなく、いたる所に銃創を作っていく。錯乱しているのだ。
「アリシア! お前が責任もって止めろ! お願い止めて! 止めろください!」
リーバーはもう止められないと悟ったのだろう。アリシアに懇願する。神田は我関せずと避難したまま動こうとしない。これでは話が進まない。アリシアは溜息を吐いた。
「……わかりました。標的を見定められないなんて計算外ですね」
血走った目でリーバーが怒鳴る。
「そもそも試そうとすんな!」
アリシアは肩をすくませてコムイの状態を見た。状況を見ると泣きながらコムイは銃を乱射している。コムイ特製のため装弾数もわからない。それに弾切れを期待しても、さらに凶悪な武器が出てくるかもしれない。
仕方なく、 アリシアは立ち上がる。射線を読みながらゆっくりとコムイへと近づいていった。時々射線が重なりそうになったらひょいとよけて、簡単にコムイのもとにたどり着いた。そして思いっきり頬を殴りつける。
動きが止まったその瞬間に アリシアはコムイの耳を引っ張りつぶやく。
「大丈夫です、リナリーは誰とも結婚しませんよ」
コムイの表情がみるみるうちに平静になっていく。まるで魔法の言葉だ。
アリシアは収まった状況に満足そうにうなづく。
「やっと話が進められそうですね、まったく」
「誰のせいだ」
リーバーは恨み言を吐きつつ、大きなため息をついた。
***
「いやー、ごめんね? ちょっとだけ寝ようと思ってたらずいぶん寝てたみたいだね」
平謝りするコムイに誠意は感じられない。むっとしている二人をなだめようと軽く謝罪を繰り返した。
「で? 要件ってなんだよ」
いくぶんか棘が増した言葉で神田が尋ねる。コムイは苦笑いしながら二人をじっと見た。
「それよりまずちょっとした話を聞いてほしいと思う」
二人の顔が一気にくもる。長くこの状況から脱したいと思っているのが丸わかりだ。だが、そんな二人の表情なんてものともせずコムイは体の前で両手を組んだ。コムイの表情も真剣なものへと変わる。
「エクソシストの生存率の話だ。君たちは年間何人の人間が死んでいるか知っているかい?」
コムイの言葉に神田は顔をしかめる。
「エクソシストで死ぬ奴なんか、顔も合わせないうちに死ぬ奴がほとんどだろうが」
「その通り、入団が浅いものが死ぬものが多い」
アリシアは首をかしげる。
「でも、それは仕方ないことではないですか? 養成機関が私たちにはないですし」
唯一AKUMAを倒すことができる。エクソシストはずっと人手不足だ。それはAKUMAを倒すために最前線に送られるというのもあるし、イノセンスの適合者は星の数よりも少ないというのもある。探し出すのも面倒だというのに育成機関がまるで整っていないのも問題だ。何より一般人であった者が急に戦闘しろと言われても無理があるのだ。
教えようとも、形状も武器の種類もまるで違う。イノセンスの扱い方の感覚ぐらいしか教えることが出来ないのだ。つまり実践、戦場で学ぶしかないのだ。
「そうだね、だから元帥について任務をこなすものが多い、そこが問題なんだ」
首をかしげる二人にコムイは熱心に説明していく。
「元帥たちは大きな仕事を追っている。つまりは敵も強いんだ。カバーに入るのも難しい時が多いんだよ」
神田はその言葉にハッと馬鹿にしたように笑う。
「つまりはそいつが弱いからだろ?」
コムイは目を鋭くして二人に語りかける。
「エクソシストは貴重な戦力だ。死なせるのは我々にとって重大な損失なんだよ」
神に選ばれるものは少ない。だからこそ死なせるのは問題なんだろうとアリシアは思った。沈黙が部屋の空気を重くする。だが、なぜそんな話になるのだろうか。関係性がわからない。自分や神田が呼ばれたのかわからずに首をかしげた。
「それで、私たちはなぜ呼ばれたんですか?」
コムイはアリシアの質問に微笑んだ。
「僕はこれから少し実験的なことをしようと思っている」
いぶかしそうにこちらを見ている二人にコムイは笑顔で受け流す。
「入団歴の長いエクソシストと新しく入団したエクソシストでパートナーを組ませるんだ」
アリシアの問いにコムイは満足そうにうなずく。
「つまり、任務をペアにして遂行させるんですか?」
「その通り、簡単な師弟関係だね」
「なるほど」
それならば確かにいい案かもしれない。危険度が低い任務に当たらせ、かつ経験が積める。自分は誰と組まされるんだろうかと考え始める。
納得したように思案し始めた アリシアにとは反対に神田は嘲笑した。
「つまりおもりしろってことかよ、ごめんだな」
立ち上がろうとする神田をまだ終わってないよとコムイは言い、手で制する。
「神田くんには新人君はつけないよ」
「どういうことだよ?」
意図を測りかねた神田がコムイをにらむ。その眼光をものともせずにコムイはにこやかに言い放った。
「キミには アリシアちゃんと組んでもらうから」
一瞬の間。そして沈黙。コムイの言葉が頭に届いた瞬間、二人は立ち上がる。
「ハァっ!?」
おもしろそうにコムイは笑い二人をながめる。
「ほら息ぴったり」
僕の人選は間違ってなかったってことだね、なんて嬉しそうに言っている。
「じょ、冗談じゃありませんよこんな奴と!」
神田を指さしながら アリシアは神田をにらみつける。
「こっちから願い下げだ」
言って立ち上がる神田。もう視線はドアに向いている。そんな神田にコムイが目を細める。。
「神田くん君は命を軽視しているね」
「あぁ?」
神田が振り返った。これ以上鋭くならないというほどに表情が険しくなる。
「キミと一緒になるエクソシストは生存率が低い、それは君が連携を取ろうとしないからだ」
「弱い奴と連携してなんになるんだよ?」
コムイは神田に言い聞かせるように話す。
「いいかい? ボクらは助け合わなきゃ。ボクたちは絶対的に不利なんだよ」
それに、とコムイはしゃべり続ける。
「キミが連携を学ぶには彼女が適任だと思ってね」
神田は馬鹿にしたようにアリシアを見て鼻で笑う。
「まぁ、こいつは弱すぎて使い物にならないから俺にぴったりってことだろ」
言い返そうと口を開いたアリシアを制して、嘲笑う神田にコムイは首を振る。
「そうじゃない。彼女はすごいんだよ」
その言葉に神田は肩をすくめる。
「使えないって話がちらほらでているのにか?」
エクソシストの陰口なんてどこでも聞こえてくる。 アリシアも当たり前のように言われているのだ。 アリシアは神田をにらみつけるが彼はものともしない。
「AKUMA破壊に対してはあまりいい成果を出してるとは言えない、けどね……」
「一緒に出向いた人たちの生存率は高い、どうしてだと思う?」
もうほとんど面倒そうに神田は言葉を吐き捨てた。
「知るかよ」
「それをキミは彼女から学ぶべきだ。いいね、これは室長命令だ」
シンと張りつめた空気が部屋を包む。だが、コムイが折れる様子はなかった。その様子に神田は舌打ちをする。
そして、立ち上がりドアを蹴破るようにして出ていった。
コムイは乾いた笑いをしながら、今度はアリシア方を向く。
「アリシア、君はどうだい?」
アリシアは眉間にしわを寄せながら目線を下げる。
「どうだいってもう決定事項ですよね? なら従いますけど」
もごもごと言葉を言い、でも、と アリシアは言葉をつづける。
「生存率が高かったのは私のおかげだけじゃありません。アールが私とずっと一緒だったからですよ?」
アールはアリシアが最初に仲良くなったエクソシストだ。彼がいなければこの生活を耐えきれなかっただろうし。アリシアは死んでいたかもしれない。それほどに彼の戦闘力は高かった。
「それもあるけど……」
コムイはにっこりとうなづく。
「キミも彼ばかりじゃなく誰かと任務をこなすべきだよ」
「でも……」
アリシアの表情が不安そうになる。するとコムイの表情が厳しくなった。
「彼に甘える時期はもう終えるんだ。彼のためにも」
アールに依存しているのは自分でもわかっていた。アールもそれを良しとしていたし、このままずっと一緒に任務にあたらせてくれるのかと思っていたので困惑してしまう。だが、これからは独り立ちしろということだろう。
アリシアは小さくうなづいた。
「……はい」
***
話が終わり、執務室から力なく退室したアリシアは近くの壁に寄り掛かる。
急にこれからの任務のことが不安なっていく。神田がペアだからではない。自分の実力のせいだ。
次からの任務が急に不安に思えて仕方がない。自分はやっていけるのか、もう何年も前線で戦ってきたというのに手が震える。自分は生き残れるのだろうか。
震える手を抱え込んでへたり込む。こんな時に思い浮かべるのはいつも一緒だった彼だった。
「……アール」
つぶやいたそれはむなしく廊下にひっそりと響いた。だが、誰の耳にも届かない。
***
誰もいなくなった執務室でコムイがため息をつく。まったく室長というのは嫌な仕事だ。言いたくないことまではっきりと言わなくてはならなくなるのだから。
さっきまでいたリーバーが気を使ってコーヒーを入れてくれたので、そのコップを取ろうとして手を伸ばす。
するとコムイの手が届く前にそれは持ち上げられた。
目を丸くするコムイにくつくつと笑う声が聞こえてくる。その声にコムイは顔をしかめた。
「人のものを取るなって アリシアから言われない?」
声の主は楽しそうに笑いながら答える。
「 アリシアは笑って許してくれるよ」
「アール」
責めるようなコムイの声にアールと呼ばれた青年はさらに嬉しそうに笑った。
整えられた薄い茶色の髪を揺らし、緑色の目を細める。笑いが収まらないようだった。
体は黒い団服を着ている。エクソシストだ。生身が見えなくともしなやかな体つきをしていることがわかる。
「ごめんごめん、だってすごい顔したからさ」
目尻をぬぐいながら言う彼は酷く無邪気な笑顔を浮かべていた。
だが、コムイの硬い表情が崩れることはない。
「そんなに警戒しないでよ、別に怒りに来たんじゃない」
「じゃあ、何しに?」
「もちろん文句を言いにさ」
言ってアールは目を細めた。人によっては微笑んでるように見えるだろう。だが、コムイには薄く笑顔を張り付けただけの顔に見えた。
「コムイは僕のために アリシアは僕から離れるべきだと言ったね」
コムイの表情がさらにきつくなる。まるで気配を感じさせなかった。神田やアリシアもわからなかっただろう。
「聞いていたのか」
「あぁ、僕にだって関係あることだろう?」
そう言いのけるアールにコムイはぞっとする。ゆっくりとアールはコムイに近づき、顔と顔がくっつきそうなほど接近してにやりと笑う。
「さっきの君の言葉は間違いだ」
そして、笑顔をコムイに向けささやいた。
「君は アリシアのために僕を離したいんだ」
ばっと体を離すコムイにアールはくつくつと笑う。
「わかりやすいなぁ、コムイは策士に向いていない」
コムイは苛立ちながらアールをにらみつける。
「それで、君は何しに来たんだい? 文句を言うためだけじゃないんだろう?」
「流石だね」
アールはコップをあおる。飲み干したコーヒーカップを置いてアールは殊勝に何度もうなづく。
「室長の命令は絶対だ、従うよ。――だけど僕のパートナーを指定させてほしい」
「誰と組むかはボクに決定権がある」
固い声音でいうコムイにアールは口の両端を持ち上げて言い募る。
「なら、もっと上からの命令なら?」
アールがポケットから何かを取り出してコムイに向けて見せる。それは手紙だった。封には赤い蝋が使われていてマークが浮かび上がっている。教団関係者には必ずわかる機関からの手紙だった。
コムイは絶句する。その様子にアールは嬉しそうに微笑んだ。
「理解してくれたんだね、よかった」
苦虫をかみつぶしたような表情でコムイがうめく。
「誰とパートナーに?」
アールは本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。そして彼は自分のパートナーを告げた。
聞いたコムイの表情は苦しそうに歪む。アールは満足そうに笑いにこやかにその場から去っていった。
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