灰男小説 | ナノ


▼ 権力者たちの空2

 マルコム・C・ルベリエが穏やかな顔をしてティーカップを持ち、中に入っている紅茶を嗅いだ。カップを傾けて少量口に含むと、小さく頷く。
「やはりダージリンに限りますねぇ」
 客室の隅にいるルベリエの部下が銀のトレイを持ちながら小さく礼をする。急に始まったお茶会に眉根を痙攣させながら耐えるアリシアは口を開くかどうか迷っていた。何しろ警戒してアリシアがにらみつけるとルベリエは肩をすくませて笑って言ったのだ。
『そう固くならずともちゃんと説明しますよ』と。
 だが、説明されず既に十五分は経っている。この茶番はいつ終わるのだろうかと思っていると隣に座った神田が痺れを切らしたように口を開いた。
「中央庁が何の用だ?」
 中央庁とはアリシアたちが属する黒の教団の上位の機関である。実働して動くのが黒の教団の室長が管理するのであれば、中央庁はコムイや他の支部の不正を正すための特別な所である。故に黒の教団の後ろ暗い所を全て知っていて、かつ暗躍する機関だ。その為、中央庁の監査が入れば一大事となる。これまで中央庁が横やりを入れてきていい結果になった試しがない。
 だからだろうか、神田は誰に対しても刺々しいが、ルベリエに対しては更にきつく感じる。
 だがルベリエは表情を変えずに答えた。
「焦らなくてもちゃんと話します。――ところで」
 視線を二人に向けてルベリエが首を傾げた。
「あなたたち何故そんな端っこに座っているんですか?」
 アリシアと神田はできうる限り両端に座り、なんなら肩までぴっちりと壁に付けている。それはそれは滑稽に見えただろう。アリシアと神田は同時に叫んだ。
『さっさと用件を話せ(してください)!』
 あまりの剣幕にルベリエは少し目を開いたが、すぐに表情は戻った。
「コムイ室長が始めたパートナー制度だが、私はちょっと疑問に持っていてね」
 アリシアが意外な言葉に身を乗り出す。
「もしかして室長は中央庁に了承を得ずに始めたんですか?」
 だとすれば大問題だ。だがルベリエは首を振る。
「いや、ちゃんと許可はあります。だが、疑問も多い」
 肩透かしに合ったようにアリシアは肩を落とした。もしかしたらルベリエの権力があればこの制度を止めさせられるのではないかと思ったからだ。
「疑問ってなんだ?」
 意外なところに神田が食いついてくる。神田の問いにルベリエが答えた。
「この制度は前例がない。だからもし千年伯爵の耳に入り、強いAKUMAをパートナーにぶつけられたら? 元帥たちの力を借りずに生き抜くことが出来ますか?」
 ルベリエは足を組んだ。
「私は否だ」
 一気に狭苦しくなった客室は更に圧迫感を増すように緊張感が走る。ルベリエはため息を吐いた。
「エクソシストは貴重だという癖にこのような穴のある指示しか出せないとなれば室長の首を変えることも考えなければなりませんからねぇ」
 まるでエクソシストは駒扱いだ。しかもコムイが無能だと罵っている。隠そうともしない悪意にアリシアは表情を険しくした。
 眼力の強いルベリエにアリシアは抗うように口を開く。
「……あなたは愚策だと思っているようですが、私はそれほど悪くはないと思っていますよ」
 ルベリエは眉を上げた後、挑発的に笑う。
「理由をお聞かせ願いたいところですな」
 アリシアは大きく息を吸い、真っすぐにルベリエの目を見た。
「理由は二つあります。一つは熟練度の高いエクソシストは決して弱くない。生き残っている分だけ場数を踏んでいて経験もある。現に経験から生き残るケースを多く見ています。それなら新人を付けていたとしても室長の厳選した難易度の低い任務もこなせるでしょう? 二つ目は――私が生きていることです」
 ルベリエが片眉を上げた。だが、無視してアリシアは続ける。
「ご存じの通り私はエクソシストの中では最弱に近い。それなのに生きている。なぜでしょう? それは、私が神を信じていることです」
 ルベリエが目を見開く。
「神は乗り越えられない試練を与えない――そうでしょう? 敬虔な中央庁の方ならお分かりになるのでは?」
 挑発を挑発で返したアリシアは不敵に笑う。
 ルベリエは一瞬黙った後、盛大に笑い始めた。狭い部屋に声が響いてうるさい。
 ルベリエは涙が出るまで笑い、目尻を拭う。
「いいでしょう、いいでしょう! わかりました。流石です」
 ルベリエは持っていたカップを部下が持っていたトレイに置いて腕を組む。
「ですがこちらも監査する必要がある。有用性を証明できるかどうかはあなたたち次第ですよ。探索部隊に余計な指示をされたくないのでご退場願いました。私が全員見たいところですが、それは私が分身でもしない限り無理なので部下に預けることにします。リンク、こちらへ」
「はっ!」
 髪をきっちり結った背の高い青年が一歩前へ出る。
 ルベリエは満足そうに頷く。
「彼はハワード・リンク。有能な監査官です。彼はそこらのファインダーより優秀ですから何なりとお申し付けて結構ですよ? その倍は働きますから」
 アリシアが眉をひそめる。
「それじゃあ、チームで行動している探索部隊の情報を彼一人で?」
 無理があるのではないだろうか。探索部隊は情報を集めるのに訓練された部隊だそれをたった一人でこなすなんてとてもではないができない。
 だがルベリエはアリシアの言葉を一笑に付した。
「大丈夫です。すぐにわかりますよ」
 伝声管を伝って次の駅に着くことがアナウンスされる。ルベリエは立ち上がり、襟を正した。
「では、私はこれで。イノセンスは私が預かりましょう」
 アリシアが持っていたイノセンスを取り上げると部屋のドアに手をかける。
「ルベリエ長官」
 振り返ったルベリエにアリシアは訊ねる。
「なぜわざわざ長官がここに来たんですか?」
 コムイと同じく彼も多忙だ。通達するだけなら部下にやらせているだろう。なぜそれをしないのか。
 ルベリエがふっと笑い、答える。
「久しぶりにあなたの顔を見たくなっただけですよ、アリシア」
 アリシアは全身が総毛立つ。その状況を見てルベリエはにっこりと笑った。
「そうそう、これも言っておきましょう。アリシア、あなたが敬虔な信者だとは思いませんでした。神は信じるものですね」
 アリシアの顔が怒りと羞恥で真っ赤に染まる。それを存分に見てからルベリエは部屋を出ていった。完全に足音が聞こえなくなったところで神田がぼそりとつぶやく。
「だっせぇ」
 アリシアは無言でサルガタナスを発動させ神田に向ける。
「次、同じこと言ったら頭が無くなりますからね?」
 銃口が向けられていることに恐怖を感じていないのか神田は口の端を釣り上げた。
「やってみろ、豆鉄砲。その前にオレがその首はねてやるよ」
 アリシアは乱暴にルベリエが座っていたところまで行き、簡単に手で払う。そしてどっかりと座り込んだ。そして丸まる。
「ぐぅ〜〜! 悔しい〜〜」
 言い返せない自分や神田にさえ口で負けてしまうなんて今生の恥だ。
「ムキになるぐらいなら、もっとちゃんと論理立てしてから言え」
 今度は神田にさえ馬鹿にされる始末だ。アリシアは耐えられずバタバタと手を動かす。
「ちょっとは神田も言い返してくださいよ! なに黙ってるんですか!」
「別にあいつがこの制度を無くしてくれるんならいいことじゃねーか。なにキレてんだ」
「そ、それはそうですけど。むかつくじゃないですか! あんな風に言わなくったって!」
 エクソシストは駒じゃないし、生きた人間だ。コムイも無能なんかでは決してない。それなのにあんな言い方をした人間を許せるなんて神田もどうかしている。
「オレは別にどうでもいいからな。駒であっても、何言われようと。ただ――」
 アリシアを見て神田は言った。
「エクソシストの仕事をするだけだ」
 アリシアはぐっと黙り込む。
 確かに神田の言うことも一理ある。
 エクソシストのやるべきことを全うさえすれば中央庁は何も言えない。だから神田はブレないし、まっすぐにものを言うのだろう。アリシアは神田の信念を垣間見た気がして、視線をそらした。
「まったく、そういう所は尊敬できるのに……」
「なんか言ったかチビ?」
「言ってませんよバ神田!」
 また不毛な応酬が始まろうとしたとき水を打つような声が聞こえた。
「すみません不毛な会話は止めていただきたい」
 そしてドア付近に立っているハワード・リンクという監査官を見た。今まで存在感がまるでなかったので忘れていたが、彼はアリシアたちと行動を共にするのだ。
 隙がない佇まいに、神経質そうな表情。あまり得意ではないかもしれない。どこからどう見ても堅物そうな人間だ。神田とは絶対に合わなそうだなと思いつつ、まじまじと眺めていると視線が合った。
「私に何か?」
「あ、いえ、特にというわけではないんですが……」
 アリシアは立ち上がると、リンクに近寄って手を差し出した。
「初めましてリンク監査官。私はアリシア・ボールドウィン。アリシアでいいです。あなたはなんと呼べば?」
 リンクは驚いたように目を見開いた。大げさではなかったが、確かに動揺を感じた。アリシアが首を傾げると監査官はゆっくりと手のひらを見て、視線をそらした。
「……リンクで構いません。よろしくお願いします」
 差し出した手は握られることはなく、背を向けられる。これで握手を断られるのは今日で二度目だ。なんとなく不快になりながら、彼を見ているとどこから取り出したのか束のような資料を神田とアリシアに渡してきた。
 先ほどのような動揺もなく彼は淡々と告げる。
「次はフィレンツェに行きます」


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