灰男小説 | ナノ


▼ あなたに愛が届くまで21

 汽笛が鳴る。
 駅の改札を通り抜けたアリシアたちはたった今着いた汽車を見て、ほっと息を吐いた。任務は完了したのだ。もう後は別の地へと飛び立つだけだ。
 アリシアはなんとなく後ろを振り返る。オルゴールの街はどこかきらびやかに見えたが、職人の信念が息づく確かな基礎のある街だった。これからも街は活気ずくに違いない。
 不意にオルゴールの音色が聞こえた。
 それは誰かが鳴らしたのかもしれないが、とても綺麗なメロディだった。
 アリシアがふっと微笑む。
 それは祝福にも似た讃美歌だった。
 旅路が続く我らを温かく送り出す。
 マーシャが守りたくなるのもわからないでもない。
 笑うアリシアを見て神田が顔を顰める。
「なに笑ってんだ気色悪い」
「なっ!」
 神田の渋面にアリシアは殴り飛ばしたくなったが、こんな音色が響いているのに喧嘩なんてしたくはない。アリシアは一息吐いて努めて冷静に言った。
「なんだか、すごい街でしたね」
「ああ?」
 意図がわからないと首を傾げる神田にアリシアは笑いかける。
「なんだか、この街が好きだから、ここに住む人が大切だから、各々が行動して難解に見えたけれど、結局はみんな終着点が一緒だった。だから奇怪が起こったのかなって」
 街を愛したマーシャ。母を愛した市長。オルゴールを愛する街の職人たち。たどり着いた先の気持ちは同じだったのだ。それが複雑に絡みついて、最終的にほどけた。
 神田が白けた表情をする。
「そんな綺麗なとこだったか? みんな好き勝手にしてただけだろ」
「情緒がないですね」
 アリシアが半眼になって神田を睨みつける。神田はアリシアをものともせず言葉を吐き捨てた。
「そんなものはエクソシストに必要ない」
「そうですか」
 相変わらずな神田にアリシアは溜息を吐く。
 やはり、この男は好きになれない。
 汽笛が再び鳴った。
 近くにいた探索部隊が近づいてきて二人に礼をする。
「もうすぐ汽車は出発します。お乗りください」
 準備が整ったということだろう。
 神田が一等車両に向けて歩きだす。なんの未練などないようにまっすぐ歩いていく。
 背筋が通った背中は、彼らしく凛としている。
 エクソシストとはこういうものなのかもしれない。
 アリシアはその姿に苦笑してついていく。
「待ってくれ! お嬢ちゃん! 少年!」
 背後からかかった声にアリシアは振り返る。同じく神田も背後を見た。
 すると、先日情報提供をしてくれた工房の親方とその息子が小走りでこちらに向かっていた。アリシアは首を傾げた。彼らは今日の祭りの為にオルゴールを作っていたはずである。
「出店はいいんですか?」
 息子の方がにやりと笑う。
「あんたたちのおかげで商売しやすくなったんだ。少しくらい開けてたっていいさ。――それにこれ」
 息子が持っていた鳥籠を見せてくる。中には精巧に作られただろう青い鳥がいた。アリシアはきょとんとする。
「なんですか? これ」
 息子が破顔する。
「お嬢ちゃんがが欲しいって言ったんだろ?」
 アリシアは一瞬、首をひねったがすぐに手を叩く。
「そ、そうか! そうでしたね! いやーわざわざありがとうございます」
「お嬢ちゃん絶対忘れてただろ?」
 呆れた声音にアリシアは引きつった笑いをする。
「そんなことないですって!」
「まぁ、いいけど」
 そしてアリシアは息子の方から籠を受け取った。とても綺麗な青い鳥だ。
 思わず見惚れているとさっきまで黙っていた親方が口を開く。
「あんたらには感謝している」
 アリシアは苦笑いする。
「いえ、私たちはただやることをしたまでです」
「それでも礼が言いたい。ありがとう」
 親方はゆっくりと頭を下げた。アリシアは目を丸くして両手を振る。
「そんなかしこまらなくても!」
 戸惑うアリシアに親方は頭を下げたまま動かなかった。その隣で息子が笑う。
「親父はあんたらに借りができちまったからな。礼ぐらいさせてやってくれ」
 すると親方はギッと息子を睨みつけ、頭を掴んで下げさせた。
「馬鹿野郎! お前もせんか馬鹿息子」
 息子が強制的に頭を下げさせられる。相変わらずの二人の会話にアリシアは笑った。神田は何も言わなかったが、少し表情が和らいでいるような気がした。
 親方が顔をあげてにんまりと笑う。
「また、街へ来た時は声かけてくれ。もてなすぞ?」
「ありがとうございます」
「……ああ」
 汽笛がまた鳴った。
 探索部隊が近づいてきて、アリシアたちに大きな声で言った。
「お二人とも! 列車が出発します!」
 アリシアは親子二人に笑いかけた。
「では、私たちは行きます」
 親子二人は同じように顔をくしゃりとして笑った。
「ああ、またな!」
 神田は礼をして、団服をひるがえした。先を歩き始めた神田にアリシアは続く。
 アリシアたちは列車に乗り込んで、振り返らなかった。きっと外では親方たちが手を振っている。さよならは決して言わずに。
 列車がゆっくりと動き始める。
 そうしてアリシアたちは次の目的地へと向けて飛び立っていく。
 歩みを止めずに、ただまっすぐに。
 
 誰も目覚めてはいけない。
 誰も私たちの邪魔は出来ない。
 オルゴールが鳴りやむまで。
 止めることが出来るのは同じ数奇な運命の者たちだけ。
 
 ***
 
 ガタン、ゴトンと音を鳴らして列車は進む。
 ただ二人きりの客車の中は静まり返っている。
 むっつりと黙って景色を見ている神田と向かい合って座っているアリシアは互いに視線すら合わせない。お互いのことをどう思っているのか手に取るようにわかる。
 だが、アリシアの口元はうっすらと緩んでいた。
 行きとはまるで違う。張り詰めた空気もない。
 アリシアは神田の方を向いた。
「神田」
 神田はまるで聞こえなかったかのように身動きしない。
 アリシアは相変わらずの彼の態度に口を引きつらせる。
「カ・ン・ダー?」
 神田が舌打ちする。
「……なんだ?」
 こちらを向いた神田にアリシアはにっこりと笑って手を差し出した。
 怪訝そうに神田がアリシアを見る。
 満面の笑みでアリシアは神田に言う。
「約束、覚えてますよね?」
 すると神田は苦虫を噛んだような表情をした。そして嫌そうにアリシアの手を見る。数秒迷うように視線を泳がせてそっぽを向いた。
「知らん」
 アリシアがわざとらしく首をひねる。
「あれれ? おかしいな肩が痛い。重いものでも持ったのかな」
 肩を回し始めるアリシアに神田はさらに顔を渋らせた。
「約束はちゃんと守りましょう?」
「ちっ!」
 神田は大振りに手を広げてアリシアの手の平を叩いた。
 バチンと大きな音が客車の中で響く。
 アリシアは痛みに声を上げる。
「いったー!? 何するんですか! それ握手ですか!?」
 神田は何事もなかったかのようにしれっと言った。
「手が触れることは変わんねぇだろ?」
 アリシアが震え始める。痛みではなく怒りで。
 アリシアは嗤う。
「ジャパニーズ式の握手は随分と乱暴ですね! 流石の礼儀知らずです」
「ああ?」
 ドスの効いた声で神田が睨みつけてくる。だが、アリシアはひるまない。
「ああ、なんて奴でしょう! こんな約束すら守れない礼儀知らず初めてで吐いてしまいそうです」
「テメェ……!」
「さっすが馬鹿は違います! バ神田め」
「斬られてぇか!」
「やれるものならやってみてください!」
 二人の不毛なやりとりは外の探索部隊が止めに入るまで続いた。
 そんなこと知ってか知らずか列車は進む。
 ガタン、ゴトンと音を鳴らして。
 アリシアたちの旅路はまだまだ始まったばかり。


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