灰男小説 | ナノ


▼ あなたに愛が届くまで19

 オルゴールが鳴っている。
 耳に届く音色はどこか優しい。
 懐かしい、と思った。
 聞いたことなどほとんどないはずなのに。
 いつ聞いたのだろう。自分は特別オルゴールなど好きではなかったはずなのにどこか胸を締め付けられる。
 アリシアはどこで聞いたのか思い出そうとした。けれど、思考はまとまらずただ流れるメロディーを聞いていた。
 不意に言葉が聞こえた。
「美しい音色だね」
 落ち着いた声音で優しく囁いてくれる。あれは誰だったか。
 そうだねと言いたかったが口は動かない。誰だろう。私は良く知っている。
「別れはもうすぐだ。キミに幸あらんことを」
 急激に意識が浮上するのを感じた。そこで自分が夢を見ていたのだと気が付いた。アリシアは心の中で待ってと叫ぶ。
 だが声の主は穏やかに笑うだけだった。

 ***
 
「待ってください!」
 アリシアは空に手を伸ばした。その瞬間、がばりと起き上がり荒い息を吐く。
 うなされたわけじゃないのに玉のような汗がにじんでいる。夢を思い出そうとして、もう何も覚えてないことに気が付いた。
 かすれた声でアリシアは呻いた。
 何か大切な夢だった気がする。とても忘れてはいけないような、重要な夢。
 だが、思い出せない。
 何を話して、何を告げられたのか。まるで分らない。
 ひとりでに頬に涙が伝う。
「あれ、私……なんで?」
 泣いているんだろう。
 考えているとノックされる音がした。はっとして周りを見渡す。
 昨日泊まっていた宿屋だ。ふかふかのベッドに使い古された木製の調度品。木の懐かしい匂いがした。
 戦闘はどうなったのだろう。確かアリシアは奥の手を使ってリアを撃退したはずである。急に不安になってサルガタナスを探す。サルガタナスはベッド脇のライトの下に置いてあった。一息ついて、サルガタナスを掴む。
「おい」
 誰が来たのか声でわかる。
 緊張がほぐれた。
 アリシアは身なりがどうなっているのか確認する。団服ではなくパジャマを着ていた。だが、声の主は着替えさせたりなんてしていないだろう。じゃなきゃそのまま転がしていたはずだ。
 気のない返事でアリシアは返した。
「はーい、どうぞ」
 部屋がゆっくりと開いていく。見えてきたのは漆黒の髪。とても昨日戦闘があったとは思えないほど身ぎれいになった神田だった。
「やっと起きたか」
 呆れられているような声にアリシアはむっとする。
「ずいぶん綺麗になってますけど、あれから何時間経ったんですか?」
「今は昼だ」
 ずいぶん寝ていたようだ。呆れられるのも仕方ないかもしれない。アリシアは顔を顰める。神田はベッド脇にあった背もたれのない椅子にどっかりと座った。
「探索部隊が何回も起こしに来たんだぞ」
「そうですか……」
 やはり奥の手を使うとリスクが高い。やる場所を選ばないと殺されるのはアリシアの方だ。今回はたまたまうまくいっただけなのだ。次も通用するとは限らない。
「被害は出ましたか?」
 神田は怪訝そうに片眉を上げた。
「建物の被害くらいで人は死んでない」
「そう、ですか。よかった」
 ほっと一息すると神田は溜息を吐いた。
「まだ安心するとこじゃねぇ。イノセンスのありかは?」
 昨日の通信でアリシアは神田にあらかた場所はわかったと言ったことを覚えていたようだ。アリシアが起きないと手探り状態で何もわからないのだろう。
 アリシアはふっと笑う。
「神田はなーんにもわかってなかったですもんね」
「テメェ!」
 神田が腰に下げている六幻を掴む。だが、アリシアは動じない。
「そういえば団服に入れてたメモの内容は? コムイに言いましたか?」
 昨日作戦会議中にもし自分が倒れたらと探索部隊に紙を渡していたはずだ。それならば神田が一人でアリシアの目覚めを待つのもわかる。
 神田は十枚程度の資料をアリシアに投げた。乱暴な扱いにアリシアはまたむっとしたけれど今はそれより資料の内容が気になった。文字を目でなぞる。
 数分の沈黙。
 読み終わるとアリシアは満面の笑みで神田に両手を広げる。神田は逆に冷めた瞳でこちらを見た。
「んだよ?」
「オートマタは見つかったんでしょう?」
 神田は舌打ちした。
「市長舎の部屋に投げ捨てられてたそうだ。一応壊れてはいない」
「どこにあります?」
「オレの部屋だ」
「わかりました」
 アリシアはベッドの脇に足を下ろした。
「じゃあ、行かなきゃいけないところがあります」
 神田はピクリと眉を上げた。
「イノセンスに関係してるんだろうな?」
「当たり前です。じゃなきゃ来た意味ないでしょう?」
 神田の眉間に皺が寄ったが、アリシアは気にしなかった。
 すると外で空砲が聞こえた。アリシアが手を打つ。
「そういえば、今日祭りでしたね」
 今日はこの街に来てから五日目だ。アリシアたちがイノセンスを回収すると言った期日でもある。きっと外では店がいっぱい並んでいるのだろう。少皺くわくする。
「関係あんのか?」
 アリシアはにやりと笑った。
「大ありです」
 また不快そうな表情をされる。けれど、アリシアは無視した。
「さあ、着替えるので出て行ってください。すぐに用意しますから。――それとも」
 見たいですか? とにやついて言うと神田は馬鹿にしたように笑った。
「まな板なんかに興味あるかよ」
 アリシアが顔を真っ赤にして銃をつがえる。
「眉間に弾丸ぶち込まれたくなかったらさっさと出て行ってください!」
 神田は不敵に笑って言った。
「お前のおもちゃなんか当たるかよ」
「キィー!」
「……早くしろよ?」
「わかってます」
 ゆったりとした足取りで神田が部屋を出ていった。揚げ足を取られたアリシアは顔を真っ赤にしながらしばらく地団太を踏んだ。

 ***

 アリシアは団服に着替えた後、神田と共にある一つの家へと向かっていた。
 繁華街と反対側に面している住宅街。ここまでは街の活気はあまり届かない。
 祭りは反対側で行われているせいかここは静かだ。
 アリシアたちのブーツが地面にこすれて音が鳴るのも聞こえる。
 アリシアは嘆息した。
「まさか朝ごはん一つも食べさせてくれないとは残念です」
 お腹が背中に引っ付きそうです。と神田に抗議するが、彼は無視した。
「テメェがグースカ寝てんのが悪いんじゃねぇか」
「私だって好きで寝てたわけじゃありません!」
「はっ! そうかよ」
 軽い応酬を繰り返しつつ、二人は歩みを進める。アリシアの腕には一対のオートマタを抱いていた。
「そういえば、市長はどうしたんですか?」
 神田はめんどくさそうに答える。
「あいつは警察署の牢だ。殺人容疑をかけられてる」
 リアと戦っている時マルコは政敵を殺させていた節があった。ならば殺人容疑をかけられるのは当たり前だろう。
「まぁ、仕方ありませんね。首謀者はAKUMAだなんて言って信じてもらえるわけありませんし、自業自得ですね」
 すべてマルコが悪いわけじゃない。けれど、罰は受けるべきだ。
「まぁ、私たちは彼にもう一度会わなきゃいけなくなるでしょうけど」
 神田が怪訝そうにこちらを見た。
「どういうことだ」
「まあ、あの人に会えばわかることです」
 二人の足が止まる。住宅街の片隅でひっそりと建つ家の前で。
 アリシアはドアノッカーを持ち打ち付ける。
 ドアノッカーは大きな音を立てた。すると小さく返事が聞こえた。
 ドアが小さく開けられる。アリシアは丁寧に礼をした。
「こんにちはミセス・リッツ」
 老婆は朗らかに頷きながら笑みをこぼした。
「お待ちしておりました。アリシアさん、神田さん。どうぞお入りになって?」
「お邪魔します」
 一瞬、また何かとてつもない臭気に襲われたが、アリシアはひるまなかった。神田も昨日と同じように顔を顰めたが何も言わなかった。
 マーシャは同じようにリビングに案内して、同じように紅茶が入れてあった。アリシアたちは昨日と同じように椅子に座った。
 マーシャは今日も器用に車椅子から普通の椅子に移る。
 アリシアの腕の中にあるものを見てマーシャは微笑んだ。
「私の頼み事は聞いてくださったようですね。ありがとう」
 アリシアは頬を掻きながら苦笑いする。
「まあ、これはイノセンスではなかったですけどね。まったく骨折り損でした」
「あらあら、そうでしたの? 残念でしたね」
 アリシアは笑みを深くする。
「でも、私たちイノセンスを持ってる人は見つけたんですよ」
 マーシャは目を丸くした。
「まあまあ、それは誰?」
 アリシアは真剣な眼差しでマーシャを見つめた。
「あなたが持っていたんですね? マーシャさん」
 マーシャの瞳がきらりと光った。まるで少女のように表情を明るくする。
「どうしてそう思うのか聞かせていただけるかしら?」
 アリシアは頷く。
「ええ、まだティータイムまで時間もありますし、じっくり聞いて頂きましょう」

 ***
 
 アリシアは笑みを浮かべてマーシャに語り始める。
「まず疑問に思ったのはこのオートマタです」
 マーシャは首を傾げる。
「このオートマタに何か?」
 アリシアは首を振る。
「いえ、よく見てください。これは一対になっていて手元がつながってるんです。一見、二つに見えますから初めて見た人は二体、または二つなんて言うんじゃないでしょうか? ところがあなたは一個と言いました。あの時は旦那さんの葬儀でしか見たことがないと言っていたのに」
 マーシャはにこにことしている。
「二つ目、あなたは私たちを上手く誘導して撹乱した」
 マーシャはじっとアリシアを見ている。アリシアは続けた。
「おかしいと思ったんですよ。敵が私たちを監視していたとしても来るのが速すぎるってあなたわざとAKUMAが居そうなところに私たちを走らせましたね?」
 神田がピクリと反応した。どうやら覚えがあることだったらしい。
「どういうことだ」
「考えてみてくださいよ、墓地なんてリアの能力を使うならもって来いじゃないですか。AKUMAには私たちのように一種の通信回路がある。私たちが慌てて走っていったらそれは彼らにとっていい情報だったはずです。それに市長は隠し場所をマーシャさんと自分しか知らないって言っていました。私たちを誘導するには容易かったと思いますね」
 神田が唸る。アリシアは続ける。
「つまりあなたはAKUMAも私たちの行動も読んでお互いに潰し合わせたかった。――違いますか?」
 マーシャは首を傾げる。
「もし、それが正解だったとして私は何のためにそんなことをしたの?」
 アリシアはうっすらと笑う。
「あなたは街のため、家族のためにそうしたかった。――違いますか?」
 マーシャが大きく笑った。穏やかでのほほんとした笑い声だ。突然の笑い声にアリシアは目を丸くした。神田に至っては六幻を掴んでいる。マーシャは微笑んだ。
「驚かせてしまってごめんなさい。あまりにも大衆小説のように進むから面白くなっちゃって」
「話を――」
「そらしてないわ。本当にすべてわかってて来たのね? 怖くはなかった?」
 アリシアは笑う。
「ええ、だってあなたにはもう何も出来ることはない。だって、あなたは――」
 アリシアは言葉に詰まる。だが、目を逸らさずに言いっ切った。
 
「もう死んでいるのですから」


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