灰男小説 | ナノ


▼ 序章2

 教団の朝は早い。
 夜が明けるころには誰かしら自室から出て、訓練や食事をしている。ただそれは任務にあたってない人間だ。どの班も人があれば本部から飛び立って世界中に散らばっていく。そうなれば昼も夜もない。アリシアもつい先日任務から帰還して数日のオフだった。けれど室長のコムイに呼び出されたということはまた任務が割り振られるのだろう。
 悪夢のせいかあまり気乗りしない。
 ほんの少し億劫な気持ちになりながら室長室までの道のりをゆっくりと歩いていた。
 様々な人が アリシアの横を通り過ぎていく。医療班、探索班、どの班の人も忙しそうだ。すると横を大量のの資料を持った化学班の男が小走りで通り過ぎた。彼らは昼も夜も関係がない。彼はきっと作業に追われているのだろう。普段通りの光景にクスリと笑いを漏らしながら廊下を歩いていく。
 ――それにしても重要な話って何でしょう?
 気になるのはついさっきのコムイとのやりとりだ。
 任務ですか? と聞くと違うと答えられ。
 何か事件でも起こしましたか? と聞くと憤慨されながら違うと言われ。
 重要な案件ですか? と聞くと含みのある笑い声が聞こえてくるだけだった。
 他にも何個か聞いたが、情報をくれることはなかった。全くふざけた上司である。
 コムイがそんな風に言うときは決まってふざけた内容だ。
 まぁ、考えてもろくなことではないことは確かだ。考えるだけでため息が出てきてしまいそうだ。
 先ほどより重い足取りで化学班の室長室へと向かう。
 今回はコムイのやらかした不祥事の火消でなければいいと願いつつ、いや、切望しつつ向かう。塔のようになっている黒の教団本部は上下の移動はエレベーターか、階段を使うしかない。アリシアはエレベーターを使うために塔の中央の空洞部分に向かっていた。化学班の部屋に行くにはこれが手っ取り早いのだ。
 すると目の前の十字路で見慣れた黒い団服が目に入る。黒い団服を着るのはエクシストだけだ。艶めく長い黒髪をツインテールにした、足がすらりと長い可憐な少女。アジア系の面立ちをした少女にアリシアは目を輝かせた。
「リナリー!」
 リナリーと呼ばれた少女が アリシアのほうを向く。少女はアリシアと同様に笑顔になって手を振ってきた。
 アリシアがリナリーに駆け寄る。すると彼女がいたる所に傷を作っているのに気が付いた。どれも大けがではないが痛々しい。ほんの少し上向きになった気持ちがしぼむ。
「任務帰りだったんですね、すみません」
 アリシアの言葉にリナリーは首を振る。
 「気にしないで、 アリシアと話せて私はうれしいから」
 その言葉に アリシアは胸を打たれる。疲れているのに笑顔を絶やさないのも、見ていて心地がいい。心を洗われるようだ。
 まさに天使というのは彼女のためにある言葉ではないだろうか、なんて本気で考えてしまう自分がいる。
 悶絶している アリシアにリナリーは首をかしげる。
「どうかした?」
「いえ、リナリーが可愛すぎて求婚したくなりました」
 その言葉にリナリーは口元を隠して笑う。
「相変わらずおもしろいんだから」
「いえいえ、思ったことを言ったまでです。苦労はさせませんよ?」
 役者のように大げさにかしずき、リナリーに向けて手を伸ばす。リナリーは軽く笑い手を取った。
「はい、喜んで」
 言って二人して笑い出す。幼いころから一緒に居たせいか、こういう軽口を言い合うのが習慣になっている。
「リナリー!」
 すると遠くからリナリーに手を振っている女性がいた。白い看護服を着ている。恐らく医療班だろう。リナリーは申し訳なさそうに表情を変える。
「ごめん、行かなくちゃ」
 アリシアはほほ笑みながら首を振る。
「気にしないで。体に傷が残ると美人がもったいないですからね」
「またそんなこと言って」
「私は事実を言っているだけですから」
 笑いあう二人に看護婦がまたリナリーの名を呼ぶ。苦笑してリナリーは看護婦に向かってすぐに行くと答えた。
「リナリー」
 こちらを向いたリナリーに アリシアはほほ笑んだ。
「また、話しましょう」
 また、という言葉にリナリーは嬉しそうに表情がほころんだ。ここではまた、という言葉がなかなか言いにくい。入団して一月で死んでいくものが多いからだ。二人とも入団して長いといっても自分たちは戦争をしているのだ。いつ何が起こるのかわからない。だが、あえて アリシアは彼女に言った。
「うん!」
 意図を察した彼女は嬉しそうに頷いた。そして看護婦の元に小走りで去っていく。
「あ、リナリー!」
 振り返ったリナリーに アリシアは気になっていた事を聞いてみた。
「コムイから何か重要なこと聞いてませんか?」
 リナリーは少し考え込むように顔を上げた、何か思い立ったように目を開いた。
「怪我の治療が終わったら、室長室に来てほしいって言われてるわ」
 アリシアはぐっと顔をしかめた後、ニコリと笑う。
「そうですか! ありがとうございます」
 お互い手を振って違う方向に歩き出す。 アリシアは先ほどのリナリーの言葉から推測し始めた。
 自分にだけ要件があるのかと思っていたが違うようだ。リナリーにも何かしら要件があるような言い方をコムイはしている。
 ――エクソシスト全体なのかな?
 そう考えると不安が大きくなる。何か良くないことが起ころうとしているのか。だが、それなら急用ではないというのはなんなんだろう。不安ばかりが先に立っていてはなにもできない。
 アリシアは自らを奮い起こして室長室へと向かっていく。どちらにせよ話を聞いてみないとわからない。
 エレベーターに乗って、上昇する。化学班の階に着くとアリシアは降りる。思考をめぐらしながらアリシアは目的の室長室へと歩いた。
 よくない知らせではないことはわかる。コムイは基本ふざけた人間だが、根は真面目だ。下手に混乱させるようなことは言わないだろう。考えを巡らせてもさっぱりわからない。
 もやもや考えているうちに室長室のドアの前まで来てしまった。
 開けるべきか、開けざるべきか悩むが、もう目の前なのだから覚悟を決めるべきだ。
 ――ええい、南無三!
 ドアノブに向けて手を伸ばした。
 すると同じように手が伸びてきた。驚いてそちらを見て アリシアの表情が一気に歪む。
 漆黒で染めたような長い髪。すらりとして無駄のない長身。そして女性と見まごうほどの中性的な美貌。
 その腰に納められている刀、六幻。イノセンスだ。
 神田ユウだ。
「おい、どけチビ」
 アリシアはこれ以上ないくらいのしかめっ面になる。
 確かに アリシアは西洋人としてはすごく背が小さい。だが、出会った瞬間から暴言を吐く人間に敬意を払う必要はない。 アリシアは口角を片方だけ上げて笑う。
「すみません、チビという名前は私ではないので退く理由が見つかりません」
「あぁ!?」
 片眉を吊り上げた神田に アリシアは含みのある笑みで応酬する。
「おっやぁ? ジャパニーズは理解能力が乏しいと見えますね? すみません、ゆっくりわかりやすくご説明いたしましょうか?」
「てっめぇ……! 切られてぇのか?」
「あなたのなまくらの棒で私が切れると? 片腹痛いですね」
 互いにイノセンスをつかむ。冷え切った雰囲気に殺気が混じり合う。
 だが、その空気を壊したのはたった一枚のドアだった。
「何やってんだお前ら」
 室長室のドアからリーバーが顔をのぞかせる。
 二人は目をぎらつかせてリーバーをにらむ。
 リーバーは二人の顔を見てなんとなく理由を察したらしかったが、それには触れなかった。というより毎度のことなのでなだめるのが面倒なのだろう。リーバーは頭をかいた。
「さっさと入れ、室長から大事な話がある。……二人一緒にな」
 ――一緒に!?
 思わず神田を見つめてしまう。神田も同じようにこちらを向いて目が合い、二人同じタイミングで嫌そうに顔をそらした。

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