灰男小説 | ナノ


▼ あなたに愛が届くまで15

 アリシアと神田は街外れの小高い丘に向かって走っていく。もうあたりは陽が沈みかけていて薄暗い。足元が見えにくいせいで、しげる草に足を取られそうになる。息も荒くなる。それでもアリシアたちは足を止めなかった。
 追手がまたいつ来るかわからないからである。
 AKUMAとの攻防は街から出たらすっかりなくなっていた。街にいるAKUMAはあらかた倒したのかもしれない。好都合だとアリシアは思った。
 敵はあらゆる手を使ってイノセンスを奪取するために卑劣な手を使うだろう。この戦争はいつだってアリシアたちが不利なのだ。だからこそアリシアたちは全力を尽くさねばならない。
 丘を登りきる。目の前に見えてきたのは無数にある墓標だった。墓標はどこか寂し気で空気がしんと冷えている。今は冷える季節ではないというのに、寒さを感じた。
 アリシアは規則的に並んでいる墓標を見て目を細めた。
「寂しい場所ですね」
 亡くなった人が眠る場所なのだから当たり前のことかもしれないが、思わず言葉が口をついた。
「無駄口叩いてないでさっさと探せ」
「はいはい」
 神田に感傷を期待しただけアリシアが馬鹿だった。少しむくれながらアリシアはあたりを見まわした。
 大きな十字架もあれば、簡素なものもある。神田はしらみつぶしに見ているが、アリシアは迷うことなく一つの墓標に歩いていく。それに気づいた神田がアリシアの方を向いた。アリシアは一つの墓標の前で立ち止まる。それは無骨で大きな岩から削り出したかのような荒々しいものだった。
 墓標にはダルク・リッツと刻まれている。
 神田が近づいてきて墓標の名を見るとアリシアを見つめた。
「何ですぐわかった?」
 アリシアは少し得意気に胸を張る。
「マーシャさんの御宅では手作りの物がいっぱいありました。というかほどんどそうでした。しかも、旦那さんの手作りだって言ってましたからね。もしかしたら墓石だって手作りしちゃうんじゃないかなって思っただけです」
「そうかよ」
 途端に興味を失くしたかのように神田は墓標に視線を戻した。まったく聞いておいてその言い草は何なんだろうとアリシアは思ったが、ぐっとこらえた。
「さて、棺をどうやって取り出しましょうか? 手で掘ってたら時間がかかりすぎちゃいますからね」
「……下がってろ」
「え? どうするんですか?」
「いいから下がれ」
 大人しくアリシアが後ろに下がると神田が六幻を指でなぞった。イノセンスを発動したのである。アリシアは目を見開いた。
「ちょっ! 神田!?」
「うるさい。黙れ」
 棺ごと破壊する気じゃないだろうかと内心ひやひやだったが神田は冷静だった。神田は横薙ぎに六幻を振った。
「災厄招来!」
 刀から飛び出した無数の蟲たちが土を抉った。辺りに響く轟音が耳を突く。アリシアは思わず目をつむった。だが、音はすぐ止み、静けさが辺りを覆った。
 恐る恐る目を開けると、目の前の土だけ見事に無くなり棺が姿を現していた。アリシアは驚いて口を開いた。
「へー! 器用なものですね」
 自分のイノセンスをここまで器用に扱うようになるには、よほど鍛錬を積んだのだろう。流石アリシアよりエクソシストとして長く戦っているだけある。思わず感心してしまった。だが、アリシアの賛美などまったく興味がないのか神田は棺に触れた。
「さっさと開けるの手伝えチビ」
 アリシアは少し引っ掛かりを覚えつつ、棺の端を持つ。
 大きな木から作られたであろう棺は塗装も保護もしっかりしており重厚感がある。無骨な墓とは違い職人の手によるものなのかもしれない。雨に浸食されもせず、綺麗に整ったままだった。
 二人はゆっくりと棺の蓋を持ち上げて横にずらしていく。目に飛び込んできたのは白骨化した骸骨だった。頭蓋骨は大きく砕けている。事故だったと聞いていたから、恐らくそれが死因だろう。骸骨は胸のあたりで手を組んでいたのか、指の骨があばらの下あたりに落ちていた。何の変哲もない遺骸だ。
 蓋を完全にずらして全体を見る。頭の周りには枯れた花たちが置いてある。下腹部を見てみると少し汚れた一対の人形があった。片方はタシキードを着てもう一方はウエディングドレスを着ている。
 アリシアと神田は目を見合わせた。
「これ、幻の中で見たオートマタです!」
「当りだな」
 神田はオートマタを持ち上げる。タキシードの人形はあまり汚れが目立たなかったが、ドレスを着たオートマタは血で汚れていた。その部分も幻と酷似している。
 アリシアは肩を撫でおろした。
「任務完了ですね」
「ああ」
 神田の声も棘がない。どうやらアリシアと同じように緊張が取れたのかもしれない。イノセンスかどうかはまだわからないが、恐らく当りだろう。
 結局、親しくなることはなかったが、任務を遂行できただけマシかもしれない。連携も協力もほとんどなかったけれど、終わり良ければ全て良しと言ったところだろうか。
 これからもパートナー制度が続くのかはわからないが、神田とはもう十分だ。次があるのであれば抗議しようと固く誓う。なんならコムイを殴ってもいい。もうこりごりだ。
 早くアールに会って話したい。色んなことがあったから。次の報告でアールとも話せるかもしれないと思ったら少し心が躍った。
 アリシアは自然と笑顔になる。
「さあ、コムイに報告して、マーシャさんに見せたら帰りましょう」
「そうだな」
 神田は頷いて踵を返す。神田の動きが止まった。アリシアも異変に気付いて振り返る。すると背後から声が掛かった。
「そうはいきません」
 街に近い墓地の外れから女性がいる。リアだ。髪の毛を綺麗にまとめ上げて隙が無い印象を与える彼女は何の感情も浮かばせずこちらを見ていた。
 もう市長側にばれたのだろうか。ずいぶんと速い。
 別の予想が思い浮かんでアリシアは表情を険しくする。
 神田とアリシアはすぐさま武器を構えた。
 リアは淡々と告げる。
「あなた方にはここで死んで頂きます」
 リアが手を叩くと墓所の四方八方から土が盛り上がり、骸骨化した遺骸や腐りかけている死体が這い出てきた。アリシアは顔を顰める。嫌な予感が当たった。
「悪趣味な能力ですね!」
「そんなもの私は頓着しません。道具は使うまでのことです」
 感情のこもらない声でリアは言った。アリシアは苦笑いをする。
「流石AKUMAですね。情がまるでない」
「光栄です」
 ゆっくりとリアは礼をする。
 神田が組み敷かれたのはやはり唯物ではなかったということだ。神田が舌打ちをする。
「面倒だ。まとめてぶった切る!」
 オートマタを地面に置いて神田は六幻をなぞって発現させた。
 するとリアは酷薄な笑みを浮かべて言った。
「あなたは戦闘には参加できませんよ?」
「ぬかせっ!」
 神田が走り寄る。
 リアがおもむろに手を叩いた。すると神田がぴたりと動きを止める。まるで雷に打たれたかのように硬直した。
「神田?」
 怪訝そうにアリシアが神田を見ると、先ほど置いたばかりのオートマタを手に取りリアへ向かって投げた。リアがオートマタを綺麗に掴む。アリシアは目を見開いた。
「何してるんですか!」
 敵にイノセンスを渡してしまった。驚くアリシアをよそに今度は六幻を自分の胸に向けて構える。
 神田は表情を歪めてくぐもった声を上げた。
「体が……!」
「神田!?」
 アリシアが止めようとするが、ゾンビたちが迫ってきてそちらに対応せざるおえない。
 リアがうっとりとした声音で言った。
「さようなら、東方のエクソシスト」
 神田は六幻で自分の胸に刃を突き立てる。鈍い音がして、神田は自身で心臓を貫いた。
 アリシアは手が冷えていくのを感じた。
 神田が六幻を体から引き抜く。ぼたぼたと血が地面へと落ちた。神田は血を吐き、声を上げることもなく崩れ落ちる。神田にアリシアは叫んだ。
「神田!」
 倒れ伏した神田は身動きをしない。アリシアは震えた。
「無駄です。彼は死にました」
 リアの言葉にアリシアは激しく睨みつける。その表情がたまらなかったのかリアは初めて表情を浮かべた。恍惚で顔が歪んでいる。
「さぁ、次はあなたの番ですよ? 小さなエクソシスト」
 アリシアは四方をゾンビに囲まれて、歯噛みした。神田を見ると六幻が色を失くして黒色に戻る。気絶したのか、息絶えたのかまるで分らない。
 状況は最悪だと言える。レベル1のAKUKMAほどの戦闘能力はないとしてもこの数相手に一人じゃ立ち向かえない。
 それに厄介なのがリアの能力だ。特殊な能力に目覚めたということは彼女はレベル2なのだろう。発動条件がわからないが、身体を操られてしまっては神田と同じくアリシアも死ぬだろう。
 このままではイノセンスを奪取するどころか、犬死だ。
 すぐさま殺されるかもしれないと思ったが、リアはうっとりとアリシアを眺めている。高みの見物といったことだろうか。攻撃してくる気配がない。
 その代わりゾンビたちのスピードが上がった。
 アリシアは向かってくるゾンビの頭を狙った。だが、頭が吹き飛ぶだけで足は止まらない。今度は足を狙って撃っていく。すると次は両手で這って向かってきた。操られているだけで意思はまるでないのだろう。まるで意味がない。
「いつまでもちますかねぇ」
 眺めているリアが退屈そうに呟いた。負けじとアリシアは言い返す。
「あなたが直接戦いにきたらどうですか?」
「いやです。あなたは弱いので私が直接相手をしてしまうとすぐに死んでしまいます。それではつまらない」
 恐らくずっと監視されていたのだろう。気配を感じられなかった自分に嫌気がさす。
「サドですね」
「ゾンビたちに身体を生きながら引き裂いてもらおうかと思いましたが、それもつまらない」
 想像するだけでぞっとする。アリシアは思わず顔を顰めた。
「そうだ!」
 何か思い浮かんだかのようにリアは目を輝かせる。
「いいことを考えました! あなたも自分で引き金を引いて死んでいってもらいます」
 嬉々とした表情を浮かべるリアはまるで子供のようだ。発想はおぞましく、あまりにも残酷だ。自分がサルガタナスの引き金を引いて死ぬ想像までしてしまう。
「最低ですね」
「いえ、最高です。これで伯爵様もお喜びになるでしょう。一日で三個のイノセンスが手に入るのですから」
「本当にAKUMAってものは頭がおかしい」
 吐き捨てた言葉もリアには通じない。
「さあ、私の操り人形さんたち。私の元に彼女を連れてきて」
 もう敵は目前まで迫っている。このままでは捕まるのも時間の問題だ。
 アリシアは内心舌打ちした。
 銃を二丁拳銃にする暇も与えてもらえない。隙を見てリアに直接攻撃しようともレベル2のAKUMAの装甲はアリシアには貫けず、とっておきも時間の猶予がなければ使えない。アリシアはゾンビを撃ち壊しながら、頭をフル回転させた。
 そして、一か八か一筋の希望が思い浮かんだ。
 アリシアは懐からある袋を取りだした。それを空高くに投げ、銃の標準を合わせる。
 引き金を引いた。
 一発の弾丸がまっすぐ袋を打ち抜き、空に散らばる。
 光を反射してひらひらと落ちてくる銀色の粉にリアは気を取られたようだ。ゾンビも少し動きが鈍る。リアは落ちてくる粉を掴んで掌でなぞった。
「これは? お遊戯ですか?」
 アリシアはその間に一筋の道を作り、ゾンビの群れから抜け出した。神田の首根っこを掴みずるずると引っ張る。ある程度離れることができた。
「あら、抜け出すための物だったのかしら、それにしてはお粗末ね」
 リアが手を叩く。ゾンビは一斉にアリシアのもとへ走ってくる。
 だが、アリシアは笑っていた。
「お遊戯じゃなくれっきとした武器ですよ」
 きらきらと空を舞う銀の粉に向かいアリシアは標準を合わせる。
「その粉はアルミニウムという金属です。粉塵爆発って知ってますか? 可燃性の物を空中にばらまくことによって強い爆発が起こる」
 リアはようやく意味に気が付いたようだ。だが、もう遅い。
「それではさようなら」
 アリシアは引き金を引いた。弾丸は銀粉に火を灯した。
 一気に爆炎が広まる。音が聞こえなくなるほどの大きさで爆発した。 

 ***
 
 リアが爆風に跳ね飛ばされ、土埃が収まり、墓標がほとんど破壊された時にはアリシアたちの姿はなく、残ったのは爆発で霧散した遺骸たちだけだった。逃げられたのだ。
 リアの心が大きく揺さぶられる。あともう少しで伯爵様を喜ばすことができたのに。
 激しい怒りが込み上げてきた。リア自身には制御できないような殺人衝動が。
「――殺してやる」
 地団太を踏み、リアは叫ぶ。
「ころしてやる、ころしてやる、ころしてやる!」
 絶対にあの二人を逃してはならない。そう胸の奥の衝動が言っている。引きちぎって、なぶって、いたぶって、泣いて懇願するまで殺してはやらない。
 それを考えるだけで湧き上がるような喜びを感じた。
 少し冷静になって手に持っていた人形を見やる。
「伯爵様にまずもっていかないといけませんね」
 呼び出せばいつでもどこでも駆けつけてくれる、優しい創造主にリアは、ほうと吐息を漏らした。


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