灰男小説 | ナノ


▼ あなたに愛が届くまで10

「で? 何が聞きてぇんだ」
 本当に作業をしながら親方は話をするつもりらしい。太い指で細かな作業をしている。粗野な印象とは大違いな手つきは繊細で美しい。見惚れて言葉が出ないアリシアを見て神田が口を開いた。
「この工房で死人が出たことは?」
 親方は一瞬手を止めたが、こちらをまるで見ようとしない。
「いきなり物騒な話だな」
 神田は気にせず話を進めた。
 「この街で今、おかしなことが起こっているだろう?」
「あぁ、あれ困るんだよなぁ。作業中に寝ちゃって進まねー」
 青年は何度も頷く。その様子に親方はぎろりと睨んだ。
「話の腰を折るんじゃねぇ、馬鹿たれ」
 親方が手を振って話を促される。神田は言葉を続けた。
「その中でこの工房から男が出ていく幻が出てる。そいつが通りで馬車に轢かれて死ぬところが毎日繰り返されている」
 親方の手が完全に止まり工房内が静まり返る。親方はあごを撫でて唸る。
「あいにくだが死人は出てねぇな、俺はこの工房に十五から居るがそれから四十年そんなことはねぇ」
「なら、失踪者は?」
 神田の言葉に親方は鼻で笑う。
「そんな奴、いっぱいいて覚えちゃいねぇよ」
 神田に青年が近づいてきて小さな声で耳打ちする。
「親父が親方になってから続いてんのは俺一人だけなんだ」
 親方は目をつり上げて声を張り上げる。
「聞こえてんぞ! 馬鹿息子!」
 すると工房内をずっと楽しそうに眺めていたアリシアがやっと口を開く。
「あの、あれってなんです?」
 三人が一斉にアリシアが向いてる方を見る。するとそこには二体の人形が置いてあった。子供の男の子と女の子が向かい合っている。よく見ると土台があってつながっている。
青年は鼻を鳴らしてにやりと笑う。
「あれはオートマタだ」
「オートマタ? あれもオルゴールなんですね!?」
 前のめりになるアリシアに青年はさらに熱くなり口調が早くなる。
「あれはな、人形師と職人が作り上げるもんなんだ! からくりとオルゴールの奏でるコラボレーション! まさにあれは技巧を重ねた芸術品だ! それにあれは――おごぉ!?」
 青年は崩れ落ちるように座り込み、脇腹を抑えている。どうやら脇に蹴りが入ったようだ。背後には親方が拳をふるわせて立っている。
「うるせーんだよ、お前は! で? お嬢ちゃんは見物に来ただけか? ん?」
 真上から顔を近づけてくる親方にアリシアはにっこりと笑って首を振った。
「あれと同じようなものをその幻覚で見たんです。……確か白のドレスを着た女性とタキシードの男性のオートマタでした」
 それを聞いて親方は目を見開き、数歩よろけて椅子に座り込んだ。頭を抱えて溜息を吐く。
「そこのは、俺と仲の良かった兄弟子が作ったもんだ。中身のオルゴールは俺が作った」
「……その、兄弟子さんは?」
「居なくなった。でも、死んだかどうかはわからん」
 歯切れの悪い言い方にアリシアは首を傾げる。
「どういうことです?」
「三十五年も前の話だが、俺ははっきりと覚えてる……駆け落ちしようとしたんだ、ある女と」
 なんだか、すごい話になってきている。でも、何か手がかりがあるかもしれない。喜々として神田に目を向けるとあまり興味がなさそうに目をそらされた。しかもあごで先を促すように合図される。
 アリシアは眉をつり上げたが、すぐに表情を戻した。
「詳しく話を聞いてもいいですか?」
親方は力なく頷いた。
「兄弟子はケインって名前だ。俺より十歳年上だった。前は他の街で仕事をしてたらしいんだが、ここのオルゴールに惚れこんでね迷わず辞めてここに来たって言ってた」
 だが、と言って親方は苦笑する。
「ケインはからくりは得意だったが、肝心のオルゴールはからきしでな。だから、人よりずっと努力していた」
 嬉しそうに親方は顔をあげて目をつむる。その穏やかな表情でケインという人物のことを親方が好きであることがうかがえた。
「俺はあの人のひたむきさが好きでな、気が付くといつも話をしていたよ。しまいにゃお互いになんでも話すようになった――だが、ある時あの人は変わっちまった」
 親方の表情が一変する。その顔は悲痛に歪んでいた。
「この街で有名な資産家の娘を好きになっちまったんだ。それからというものその話ばっかでオルゴールの話はしなくなっちまった。気持ちが加速するようだった。相手も好いてくれたらしくて浮かれ調子よ。まぁ、若かったから仕方ねぇともいえるが」
 しばらく沈黙が続いた。だが、誰も口を挟もうとしなった。親方はまた言葉を紡ぎ始める。
「だが、相手には婚約者がいたんだ。それが今の市長の親父」
 驚いてアリシアと神田は目を合わせる。驚きようが面白かったのか親方は軽く笑った。
「その親父さんは性格、金、容姿、三拍子そろってるって有名だったからな。勝てるわけねぇって何度も言った。でも、聞かねぇ聞かねぇ」
 手を振って親方は自嘲するような笑みを作る。
「で、俺が最後にケインを見たのは真夜中だった。奴は俺に言ったよ、オートマタを持って彼女と一緒に違う街で暮らすんだって……俺は許せなかった。もう真夜中に大喧嘩してそれきりだ」
 膿を吐き出すように語リ終えた親方の姿にアリシアは手を肩に置いた。
「……辛いお話をありがとうございました」
 その言葉に苦い顔つきながらも親方は笑った。
「いや、気にすんな。あんたら教会のもんなんだろ? 懺悔みたいなもんだ」
 軽い冗談にアリシアは微笑んで優しく肩をなでた。視線を感じてアリシアが振り返ると神田が無表情でこちらを見ていた。目が合うと視線をそらされた。なんだろうと首をひねったが、神田は親方に近づいていきもうこちらを見ようとはしなかった。
「申し訳ないがまだ聞きたいことがある。相手の女性は今どうしてる?」
 相手の女性を思い出したのか、親方は苦い顔をする。
「今は自分の生家で一人暮らししてるよ」
 ふと疑問が浮かんでアリシアは尋ねる。
「あの、ご主人と息子さんと暮らしていないんですか?」
「旦那は五年前に死んだよ。事故だったらしい。――息子とは折り合いが悪いようだ」
 そこでずっと口を閉じていた青年がたまらず声を吐き捨てた。
「当たり前だよあんな奴! あいつはこの街を潰そうとしてる!」
 あまりの勢いにアリシアは驚く。よほど青年は市長のことが嫌いらしい。
「あの、どういうことですか?」
「お嬢ちゃん、どうしてうちのオルゴールが土産屋にないのか聞いたよな? それはさ俺たちの作るオルゴールが観光客向けじゃないからさ!」
 頭の中で青年の言葉をかみ砕いていく。要するに買い手がつかないということだろうか。その疑問に親方が答えてくれた。
「観光客がみんな金持ってるわけじゃねぇ、高くて精巧なもんはなかなか売れねぇのさ。だからあの市長は精巧なオートマタより、小型のシリンダー型のオルゴールを作れって言ってきたのさ」
「シリンダー?」
 青年が木箱を指さした。それは両手で持つくらいの立派な木箱だ。
「ちなみにこれの半分くらいのサイズね。そうすると比較的安価で土産物として買えるってわけだ」
 青年は鼻息荒く説明してくれた。だが、まだ言い足りないらしい。
「そんなものばっかり作ってたらどんどん技術が落ちていっちまう! 職人は技術を伝えるのも仕事だ! だから俺たちはずっと反対してた。――そしたら土産物に置いてくれなくなっちまって」
 悔しそうに青年は拳を降ろした。怒りで手が震えている。その様子を見てアリシアはようやく合点がいった。だから、親方は市長を嫌ってもなかなか頷けなかったのだ。アリシアは深々と頭を下げた。
「情報ありがとうございます。契約の件、必ず三日以内に送ります」
 親方は青年と似た人の良い笑みでアリシアの頭をポンポンと優しく小突いた。
「おう! よろしくな嬢ちゃん!」
「はい!」
 青年がアリシアに紙切れを渡す。紙には住所とマーシャ・リッツと書かれていた。
「気を付けてけよー。人のいいばあさんだけど、さっきの話聞いてるとちょっと、な」
 心配なのか頭をぐしゃぐしゃになでてくる。アリシアは手を掴んでやめさせる。そしてにこやかな笑顔ではっきりと告げた。
「大丈夫ですよ。市長よりはきっと話ができると思います」
 その言葉に青年は目を丸くしたが、腹を抱えて笑う。
「ちげぇねぇ!!」
 二人で笑っていると親方が出てきて小さな木箱を放り投げた。神田がそれをキャッチする。
「ババアに頼まれてたものだ。ついでに持ってってくれ」
 神田が手を広げて木箱を見る。アリシアは首を傾げた。
「……オルゴール、ですか?」
 親方が頷く。
「ババアが取りに来ねぇもんだから困ってたんだ。電話してもでやしねぇ」
「そうですか、わかりました」
 アリシアは出口に立っている神田を見た。もう顔が早くしろと訴えている。出口に近づいてアリシアは振り返りまたおじぎをする。
「では、また!」
 親方と青年は手をあげた。そこでアリシアは手を振ってドアノブに手をかけて外に出る。早く出るぞと訴えていた神田が出てこない。そこでちらりとドアを開けると神田が深々とお礼をするのをみて驚いた。
「情報感謝する」
 そして、出てこようとする神田と目が合った。アリシアは驚きすぎてじっと見つめてしまう。神田は顔を顰めた。
「どけよ、チビ」
「え? あ、すみません」
 いつもなら嫌味の一つも出てくるものなのだが、それが出てこない。あんな神田は初めて見た。人に敬意を払い礼をするなんてアリシアにとって地面がひっくり返ってもあり得ないことだった。
 アリシアにとっての神田は人に対して傍若無人で不遜で最低な人間だと思っていた。でも、あの姿を見ると今までの印象がほんの少しだけ間違っているかもしれないと思えた。神田はまじまじと見てくるアリシアに眉間の皺を深くする。
「なんだよ?」
「いえ、意外だっただけです。あなたがちゃんと礼をしているところ初めて見ましたから」
 神田は顔を顰めたが、ふと表情が普段に戻った。そしてボソッと呟く。
「……オレも意外だった」
「ん? 何がです?」
 首を傾げたアリシアを神田はしばらく見つめた後、別の方向を向いた。
「……別に」
「え、なんですか?」
「うるせぇ! マメチビ!」
「な!? 怒鳴るな、バ神田!」
 その後、何度聞いても神田は答えてくれなかった。その訳を聞けるのはアリシアが絶望の淵から這い上がった後だった。

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