灰男小説 | ナノ


▼ あなたに愛が届くまで9

 窓から朝の柔らかな日差しが差し込んでくる。清々しい朝だ。腹ただしいことに。
 ほぼ寝れていないアリシアにとってはあまり良いようにはとらえられない。食堂で重い体を椅子に預け、目の下を黒くして溜息を吐いた。
 目の前には先ほど頼んだばかりの朝食が並んでいる。だが、あまり食欲はない。
 そして周りは食べ物の匂いが充満していてさらにげんなりしてしまう。本来ならば美味しそうと感じるのだろう。その証拠に厨房は大忙しだ。
 遠くからでも肉が焼ける音が聞こえる。軽快にフライパンを回して油をしみこませ、卵をその上に割り入れる。焼ける音がアリシアの耳を刺激した。ただ、何度も言うがアリシアの食欲は皆無だった。
 皿の上には目玉焼きとパンとソーセージ。豪華とは言えないが、粗食でもない。宿泊客のなごやかな会話を聞きつつ、アリシアは力なくこんがりと焼けたソーセージをフォークで刺した。先をかじり咀嚼すると肉汁が口の中で広がって美味しい。ただ、アリシアの表情は晴れない。
 美味しくともあんな待遇を受けた後なので快くは思えないが、宿の中の食堂は繁盛していた。
 恐らく数日後の祭りのせいでもあるのだろうが、席はほぼ埋まっている。
 賑やかな朝の食堂。まったくもって結構なことだ。
 とても奇怪が起こっているとは思えない。
 隣で楽しそうに会話をしている若い夫婦が嬉しそうにはしゃいでいる。耳を傾けるとどうやら昨日の奇怪の話のようだった。ご婦人の方が目を輝かして熱弁している。
「噂通りだったわね! びっくりしたわ!」
 その言葉に旦那は感慨深そうに頷いている。
「こんなことがあるんだなぁ」
「わたし音色を聞いていたはずなのにいつの間にか寝ていたわ、気がついたら真夜中だったし驚いちゃった」
「僕もだよ」
 彼らの言葉を聞きながら、アリシアはまた溜息を吐いた。
 奇怪を純粋に喜べるなんてなんて幸せなことだろう、と内心アリシアは思う。真実を知らないということはとても幸せなことなのかもしれない。寝てる間に死人が出てしまうかもしれないというのに、のんきなことだ。
 人間は不思議なことが大好きだ。
 だから噂が立ち黒の教団はイノセンスを探しやすくなるのだろうけれど。アリシアはそれを快く思えない。
 彼らの知らない間に仲間が死ぬのだから、仕方ないと思っていても皮肉を吐いてしまいそうになってしまう。
 それも調査が上手くいってないせいもあるかもしれない。
 ――あれから三日が経ってしまっている。
 初日に見た馬車と男たちは重要な手がかりだ。しかし、彼らを追うのは容易ではなかった。
 特に重要だと思われるシルクハットをかぶった青年を追いかけようとしたが、ある程度進むとかすみのように消えてしまうのだ。おかげでオルゴール音しか指針がなくなってしまっている。
 そしてアリシアの推測通り音は移動をしていた。なので余計に探しにくい。しかも、もしイノセンス自体が音しか存在しないとしたらどうやって教団に持って帰ればいいのだろうか。それとも、別の場所に置かれていてそれが幻影を見せているのか。アリシアは後者だと思っている。
 音は工房側から住居側に進んでいる。後は特定するだけなのだが、オルゴールの音が反響してどこから鳴っているのか住宅だとさらにわからなくなる。このやり方では完全に手詰まりだった。
 憂鬱でフォークを持っていた手が止まる。一人で座る席はないので向かいには椅子が置いてあった。
 だが、視線の先には誰もいない。神田は二日目から姿を消した。神田はアリシアと行動を共にすることを徹底的に避けるつもりらしい。完全にアリシアをお荷物だと判断したようだ。部屋も店主を脅し個室にしていて、訪ねてもまるで居たためしがない。
 コムイにもそのことは伝えてあるが、ひょうひょうとかわされる。彼は考えを改めるつもりがないらしい。
 アリシアはフォークを握りしめた。
「なにがパートナーだっていうんですか」
 もうこの関係は崩壊してしまっている。そもそも関係を築こうとしない人間に手を差し伸べ続けるのは苦労するのだ。アリシアも神田と行動することを諦め、一人で探すことに決めた。
 余裕がないのに無駄なことには時間を割けない。
 これがもっと仲のいい人間と組めばもっと効率がいい探し方が出来るはずだ。相談や、推測など一人でやるのは難しい。
 もしこれがアールだったらとアリシアは思う。
 二人で五日間でイノセンスを見つけ、お祭りを楽しむ余裕があるだろう。こんなにストレスを溜めこむこともなかったはずだ。何度も教団に連絡してるというのに彼とまだ連絡がつかない。どうしているだろうか。
 体がだんだんと重くなるように感じる。上手くいかない苛立ちと不安ばかりが体の中でうずまいて身動きが出来なくなりそうだった。
 積もっていく不安を振り払うように首を振る。考えても仕方がない。まだやれることはあるはずだ。弱気になっていては何もできない。
 アリシアはソーセージにかぶりつき、パンをちぎって口に放り込む。
 ――ともかくイノセンス見つけましょう!
 アリシアは頭の中でもう一度情報を整理しながら残りを食べていった。

 ***

 アリシアは考えに考え抜いた結果、あるドアの前に立っていた。
 中からは様々な音がしている。周りにくらべてこじんまりとしているが、れっきとし工房だ。絶え間なく聞こえてくる音が入るのを躊躇させるが、待っていてもなにも始まらない。アリシアは息をのみ込んでドアノブに触れた。
 するとひねってもいないのにドアは勢いよく開けられた。
「うぐっ!」
 アリシアはよけることが出来ずに木製のドアを顔面で受ける。ふらりとよろけてアリシアは顔を抑えた。
「んー?」
 ドアの向こうから声が聞こえてきて、青年が顔をのぞかせた。そして人のよさそうな顔で笑った。
「おぉ、ごめんごめん」
 青年がするりと出てきて、ドアは後ろ手でゆっくりと閉じられた。
「何か用かな? お嬢ちゃん」
 アリシアの頭を撫でてくる。にこやかに尋ねてくる青年の手を振り払いアリシアは団服のローズクロスを見せた。
「すみません、私は黒の教団所属エクソシスト、アリシア・ ボールドウィンです。こちらの責任者はいらっしゃいますか?」
 青年は不思議そうに首を傾げた。
「……最近はそういう遊びでも流行ってるのかね」
 どうやら身長のせいでまともに取り合ってくれていないようだ。任務先ではよくあることだが、癇に障る。アリシアは眉間に皺を寄せた。
「私は正式な使者です! 責任者に会わせてください!」
 青年は納得がいかなそうにあごをなでる。
「なら、先入ってる奴の連れか? ずいぶん若いな二人とも」
 青年の言葉にアリシアは目を見開く。思わず声が震える。
「あの、そ、それって黒髪長髪ののいけ好かない顔面の男ですか!?」
「あーそうそう。女かと思って喋りかけたら殴られかけたわ。まー入んな」
 笑って青年はドアを開けてくれたので、短く礼をして入り込む。
 そして息をのんだ。
「わぁ!」
 アリシアは思わず感嘆の声をあげる。目の前の光景に心を奪われた。
 円盤の形をした金属、丁寧に掘られた木の箱に入れられたオルゴール。どれも輝くような作品に見える。まさに芸術作品だ。青年はにやりと笑って胸を張って腕を組んだ。
「どうだ、素晴らしいだろー?」
「はい! もう! 感激です! きらびやかで美しい!」
 褒めちぎるアリシアに嬉しくなったのか青年は照れ臭そうに鼻をこすった。
「そーだろー、そーだろー! ここいらじゃ俺んとこが一番だからな!」
 わずかな時間でお土産屋を覗いたが、ここは段違いな美しさだ。工房の印がどれにも入っているように見える。それなのに土産屋では見かけなかった。
「あの、お土産屋さんでは売らないんですか?」
 その言葉に青年は苦い顔をした。
「あー、うちはなちょっとな」
 なにか理由があるらしい。だが、今のアリシアはオルゴールの方に目を向けてしまっている。
「あれもオルゴールなんですか!?」
 指で示した先にあるのは籠の中の鳥だ。青い鳥で色つやが本物のようだ。精巧に作られているのがすぐにわかる。青年は鷹揚にゆっくりと頷く。
「そうだ、これはシンギングバードっつって中の鳥が動きながらメロディーが流れるんだぜ!」
「へぇー!?」
 二人で騒いでいると真後ろから地響きのように低い声がかかる。
「見習いの癖になに偉そうに語ってやがる」
 振り返るとこちらを見下ろすように中年の男性が立っていた。とても背が高い。青年が飛び上がり、怯えるように後退した。
「親父!?」
 青年の声に中年の男性は目をくわっと見開いて頭に拳骨を振り下ろす。
「ぐおぉぉぉ」
「馬鹿たれ! ここでは親方って呼べっつってんだろーが!」
 しゃがみこんだ青年をよそに男はアリシアの方を向き直る。眼光が鋭くすごい迫力だ。
「あんたも黒の教団ってとこの団員か」
 アリシアは背を正し、負けじと見つめ返した。
「そうです。――私と同じ服の男が来たはずですが」
 周りを見回すと奥の部屋から見慣れた男がアリシアを見ていた。死ぬほど嫌そうな表情でこちらを見ている。こちらも負けず劣らずな表情をしているのでお互い様だ。親方と呼ばれた男に向かってにこやかに話しかける。
「私も話に混ぜていただけませんか?」
 親方は鼻を鳴らして言葉を吐き捨てる。
「混ぜるもなにも、おれからお前らに話せることなんてねーよ」
「どうしてですか!?」
 ここが空振りだとまた苦労して音色を追わなければならない。それはなんとしても避けたい。
 親方は渋い顔で頭をかいた。
「市長から教団に情報を渡すなと言われててな、渡すとここじゃ商売が出来なくなる」
 市長からしたら自分たちは商売の邪魔でしかないんだろう。止めに入られるのはもはや必然だ。しかもここはオルゴールの観光地と言っていい。そこで商売が出来なくなるとすると路頭に迷う可能性があるのだろう。
 箝口令が出される前に何故早く気が付かなかったのだろうと自分の至らなさに唇を噛んだ。
そこにさっきまでうめいていた青年が勢いよく立ち上がる。そして自分の父親をにらみつけた。
「今さらあいつの言いなりになるってのかよ、親父!」
 散々楯突いてきたくせに、と言い終わるや否や彼の頭に拳骨が降り注がれた。青年は地面にめり込むように沈んだ。
「ま、だから俺は作業をする。祭りで出店する分が終わってないんでな」
 親方は近くの椅子に座り、作業道具をつかみだしていく。
 神田がしびれをいらしたのか親方に歩み寄った。
「さっきの説明じゃわからなかったか? これは人命に関わることだ」
 神田が鋭い眼光で見つめる。言葉に挑発されたように親方は鼻で笑う。
「じゃあ、その人命に関わることで俺たちが食いっぱぐれてもいいってか。さすが教会の人間は高尚だねぇ」
 神田の眉間に深い皺が入る。押し黙った神田の代わりに今度はアリシアが口火を切った。
「では、私たち黒の教団の御用達になりませんか?」
 片眉をあげて親方がアリシアを見る。アリシアは微笑んだ。
「黒の教団には世界中で様々な方が力添えされています。もちろん芸術品を欲しがる方々もいっぱいいるでしょう、どうです? この街よりかは今より名が売れて豊かな暮らしと環境をお約束できると思いますが」
 にこやかなアリシアの顔をうさんくさげな表情で親方が見つめてくる。そしてまた作業に戻って呟いた。
「お前のやり方は気に食わねぇ」
 一刀両断されたアリシアは口の端が震えたが、さらにたたみかけようと口を開いた。だが、それを親方に手で制された。
「契約の書面を三日以内に用意しろ。お前等はここに商売しに来た。そして俺はそれ以外は何も聞かなかったことにする――作業してる間に独り言を言うかもしれねーがそれはただの独り言だ」
 アリシアは満面の笑顔になる。そして目を輝かせてシンギングバードを指さした。
「あ、あの! じゃあ、早速これ経費で落としていいですか 欲しいです!」
 あっけにとられたように親方が口を開けた。そして大笑いする。工房中に響く声だった。そしてしばらく笑った後、涙が出たのか目尻をぬぐい、アリシアを見て口の端をあげた。
「あんたはそっちの方が可愛らしいな」
「え、そうですか、えへへ」
 嬉しそうに頬をかくアリシアを神田は無表情で見つめていた。


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