灰男小説 | ナノ


▼ あなたに愛が届くまで7

 アリシアが一通り話した後、電話口から聞こえてきた声はあっけらかんとしていた。
「へぇーふんふん。そうだったんだー。大変だったねー」
 明らかに大変だとは思っていない声音だ。
「コムイ! ちゃんと聞いていましたか!?」
 コムイに話すだけで今日の神田とのやり取りがいちいち思い出される。
 ――自分の身を守れない奴なんてエクソシストでも何でもねーよ。
 あれだけのことを言われてアリシアの心中は穏やかでいられない。むしろ煮えたぎっている。その怒りが届いてないのか届いているのか、コムイはのらりくらりとしゃべっている。
「きーてたよー、で、その後はどうだった? 工房には話を聞いてきた?」
 その後を聞かれてアリシアの表情は曇った。
「……聞いてきましたけど、どこから鳴ってるとかはみんな曖昧で絞り切れませんでした」
 あの後、一人で工房を回り話を聞いてきたが、いまいち収穫はない。神田が言った”無駄なこと”が頭の中で反芻されてアリシアは歯ぎしりする。だが、そんなことコムイはお構いなしに尋ねてくる。
「曖昧?どんな風に?」
 喰いついてきたコムイにアリシアは何とも言い難い顔になる。
「なんだか、気を失うのは一緒の時間じゃないみたいで、聞いているうちに音が小さくなったとか、大きくなったとか言ってるんですよ」
「アリシアの推測を聞きたい。どう思う?」
「……推測の範囲でしかありませんけど、聞いた場所で変わるんじゃなくイノセンス自体が動いてるような感じです」
 コムイが驚いたように息を吐いたのか聞こえてきた。
「まさか、移動している? イノセンスが自力で? 適合者じゃなく?」
「適合者なら、毎日そんな無駄なことします? みんな眠らせて盗みを働いてるのかとも思いましたけど、被害はないとみなさん仰ってました」
 電話先のコムイが唸る。彼にも考え付かないようだ。
 アリシアにはさっぱりだ。
「自立型のイノセンスなんてあるんですか? にわかには信じがたいんですけど」
 今までイノセンスは主に寄生型、装備型の二種類しか発見されていないはずだ。今回のイノセンスは足でも付いているというのだろうか。足が付いたオルゴール。想像するとものすごく滑稽なことのように思える。
「イノセンスは僕らが考え付かないことを行なうことが出来る物質だ。ありえないことじゃない。――けど」
「けど?」
 なにか思いついたのだろうか、アリシアは期待して続く言葉を待っていた。が、そうではなかった。
「いやぁ! ボクにもわっかんないやあっはは!」
「笑い事じゃないですよ!」
 なにかヒントが貰えるかと思っていたのに期待した分、見事に落とされた。コムイとの会話は疲れる。思わず溜息を吐いた。そして今日の出来事が頭の中で渦巻く。イライラと共に。
「……コムイ」
「ん? 何だい?」
「パートナーの変更って出来ないんですか?」
 ほんの少し間があった。そしてコムイの固い声がアリシアに届く。
「それは出来ない」
「なぜですか!? 私が奴と仲悪いの知ってるじゃないですか!」
 神田はもう奴呼ばわりだ。アリシアと神田は教団本部内に知れ渡ってるほど犬猿の仲なのになぜわざと組ませたのだろう。そう考えるとコムイに対しても怒りが沸いてくる。
「そう? ボクはキミたちがパートナーなのはぴったりだと思うけど」
「正気ですか!?」
「だって、神田くんってみんなに対して距離置くでしょ? それにキミだったらなんとか出来るんじゃないかな。――ケンカするほど仲が良いっていうし」
「あれはケンカじゃありません! ケンカという名の会話の弾丸の打ち合いです!」
 つまりは相手をいかに傷つけあうかの血みどろの戦いなのだ。言葉のキャッチボールなど楽しそうなものではない。アリシアの例えにコムイが楽しそうに笑い出す。
「それでも良いんだ。彼にとってきっとプラスになる」
「私にはプラスなんてありません!」
 声を荒げて断言するとコムイの笑い声が唐突に消える。
「――キミはアールに依存しすぎてる」
 コムイの声が真摯に訴えるようにアリシアに対して言葉を放った。それはアリシアに確かに届き、言葉が詰まる。
「でも、今まではそれで良かったのに。なんで今から違うようにしなければならないんですか?」
 アリシアの疑問にコムイは沈黙した。何か理由があるのだろうか。それを深く考えるより先にコムイの声が思考を遮った。
「ま、とりあえずこの任務は二人でこなさないといけないんだし、ちょっと考え直してみてよ」
 コムイがアリシアの意見を頷くことはなさそうだ。そのことに落胆しつつ、アリシアは言葉を吐き捨てた。
「――リナリーがお兄ちゃんが最近引っ付いてきて気持ち悪いって言ってましたよ」
「えっ!? どういうこと!? アリシアくわしっ――」
 コムイが言い終わる前にアリシアは電話を切った。そして自分の幼稚さに溜息を吐く。後でリナリーに謝らなければ。でも、今は誰かに鬱憤をぶつけたい気持ちだった。
 アールは今どうしているだろう。もしかしたら本部にいるかもしれないとまた本部の回線に電話をかける。何度かコール音がした後、電話が繋がった。
「誰だっ! このくそ忙しい時に!」
 この声はリーバーだ。ほっと安心しして息を吐く。
「アリシアです」
「おまっ、また室長で遊んだだろ! 今あいつ宥めんので大変なんだぞ」
 やはり彼に皺寄せが行ったようだ。電話口からコムイの叫び声が聞こえてくる。リーバーはかなりお怒りのようだ。暴れるコムイが簡単に想像が出来てさすがに申し訳なくなった。
「すみません、ちょっと八つ当たりでした。ごめんなさいって伝えてください」
 リーバーはなんでそうなったのかすぐにわかったらしい。
「神田のことか」
「……はい」
 リーバーが頭をかく音が聞こえた。彼の癖で困っている時に出るものだ。そして溜息が聞こえた。
「正直、俺にもわからん」
「ですよね、私もですよ」
 本当に意味が分からない組み合わせなのだ。本来なら同じ師匠に師事を仰ぐデイシャやマリあたりが組まされるのが妥当だとアリシアは思う。リーバーは少し考えるように間を置いて言う。
「――でもな、お前なら神田と上手くやれそうとも思った」
「……何でですか?」
 んー、と言いつつリーバーは言葉を選ぶように慎重に話し出した。
「あいつってお前とケンカしてるとさ、すごくいきいきしてるように見えんだよ。普段は冷めてんのにさ」
 リーバーの言うことに納得が出来ずアリシアは疑問を口にした。
「そうですか? みんなと一緒な気がしますけど」
 訝しげなアリシアの声にリーバーは軽く笑った。
「まぁ、俺の見解だから」
「そうですか」
 客観的に見れないのでわからないが、どうやらコムイも同じようなことを言っていたのでそう見えるようだ。
 アリシアは唸り声を上げる。その声にリーバーが笑う。
「そういえば、用件は何だ? 謝るためか?」
 アリシアははっとする用件は別だったのだ。
「アールって今、本部にいます?」
 リーバーは口ごもる。
「あー、あいつは今いないんだ」
「……そうですか」
 いくらか落胆して声音が低くなる。リーバーは優しく諭すように言う。
「帰ってきたら連絡あったって伝えとく」
「はい、ありがとうございます。……では」
「おう、またな」
 アリシアは力なく電話を切った。リーバーも何か隠しているように感じる。何かあるのだろうか。そういえば最近会うことすらできていない。考えていると急に不安になってくる。でも、彼と連絡を取る手段はないのだ。
 周りは楽しそうに酒を飲み交わしている。賑やかな喧騒の中、独りぼっちで電話の前に立ち尽くす自分がひどく孤独に感じた。


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