灰男小説 | ナノ

Novel
[ name change ]


 気が付くと、とんとんと何かが刻まれる音がする。野菜が刻まれるようなしゃっきりとした音だ。誰かが食事を作っているのだ。誰だろう。続いて聞こえてきたのは何かをひく音。確かミルが豆をひく音だった気がする。これらは昔よく聞いていた。懐かしいとアリシアは思った。
 よく耳を澄ませてアリシアは目を閉じていた。
 次は粉にした豆をドリップするためにお湯を注ぐ音。コーヒー好きだった父は毎朝このルーティンワークを欠かさなかった。だからアリシアもよく覚えている。
 そのあとは香ばしいコーヒーの匂いが漂ってきた。母もフライパンで何かを焼く音がする。もうそろそろ家族がそろってテーブルに着き朝食が始まる。
 目を開けた。懐かしい父お手製のテーブルと椅子に座っていたアリシアは父と母の姿を探す。父は口ひげを蓄えてすらりと見えるチョッキを着ている。そして自分がひいたコーヒーの匂いを嗅いで納得するようにうなづいた。
 母はアリシアからは背中しか見えないが、楽し気に料理の腕を振るっている。白いレースをあしらったエプロンが揺れる。幼いころのアリシアが当たり前に見ていた光景だった。
 アリシアは嘆息する。
 ――ああ、なんて素晴らしい夢だろうと。
 なぜそれがわかったのかというと現実とかけ離れすぎているからだ。
 父と母にはもう五年は会っていない。
 明晰夢っていうんだよって、昔コムイから聞いたっけなんて思う。自分の意識がはっきりして自由に行動できるらしい。ただ、自分の意識では抜け出せないらしいが。
 抜け出せなくてもいいと思った。こんな幸せな日々が続くなら。現実に戻らなくてもいいと思える。
 アリシアの現実はつらく厳しい。アリシアが幼いころに望んだ未来ではなかった。けれど、今を受け入れざるおえない。
 だがら、ひと時でもこんな夢を味わったっていいじゃないかと思う。
 テーブルに近づいてきた父は穏やかに微笑みながら椅子を引いた。
「よっこいっしょっと」
 つぶやく父を見てアリシアは思う。
 ああ、確か父は腰が悪かった。警官の仕事に支障が出るほどではないが、家族がいる前では痛いことを隠さなかった。そんな正直な父がアリシアは大好きだった。正義感が強く、責任感もあった。人からは頑固に見られがちだが、ひょうきんなところもある。
 ゆっくりと席に座った父はコーヒーカップを傾けて一口飲んでテーブルへと置いた。そしてアリシアに向けて微笑む。
「なんだか、元気がなさそうだ。何かあったか?」
 アリシアは目を見開いて、そして苦笑する。夢の中でも父は変わらない。
「ちょっと疲れちゃったんです。今まで色々ありましたから」
 五年という月日は十五歳のアリシアにとって長かった。人生の三分の一がもう教団で暮らしているのだから当たり前かもしれないが。
 いつの間にかアリシアは団服を着ていた。黒いシルエットに左胸にはヴァチカンのローズクロス。銀のボタンが付いたコートだ。下はスカートになっており、少しヒールのあるブーツを履いている。
 五年前とは違う自分が父と話している。違和感があるが、夢がそれを帳消しにしてくれた。
 父はうなづいて、アリシアに笑いかけた。
「今は辛いかもしれない。けれどねアリシア正義を貫くということはそれ相応の覚悟が必要なんだ。敵を作ることもある。だが、私はお前には――」
 ああ、父の口癖だ。思わず可笑しくなってアリシアは笑いながら父の言葉と重なるように口を開いた。
『誰かのために身を尽くせる人になれ』
 見事にはもった二人は笑いあう。父は満足そうにうなづいた。
「それでこそ私の娘だ。忘れるなよ?」
「はい、パパ」
 するとトレイを持った母が近づいてくる。
「あら、またいつものアレ? 私には言わないくせに」
 口をとがらせた母に父はにやりと笑う。
「私はお前という人がいるからこんなことを言えるんだ」
 母は笑う。
「おだてるのは昔から上手なのよねぇ」
「なんだ、だけってのは」
 今度は父が不満そうな顔をする。だが、母は相手にしなかった。フォークとナイフを人数分置いて皿をアリシアと父の前に置く。今日はオートミールとベーコンエッグだ。
「さぁ、ご飯をたべましょう? 今日も忙しいかもしれないから朝食だけはゆっくりね?」
 警官の父は朝早いことが多い。だが、この時間だけは出来るだけ大事にしていた。
「また、お前は私をないがしろにする」
「おいしい朝食が冷めますよ?」
 にっこりと母が笑う。無言の圧に負けて父はため息を付いた。満足そうに見た母が父の隣に座る。
 三人とも目をつむり、手を組む。いつものお祈りだ。
「主よ、私たちを祝福し、またおん恵みによって今共にいただくこの食事を祝してください。主キリストによって、アーメン」
 言い終わると早速父はナイフとフォークを取った。続いて母も同じようにする。
 当たり前だった日常。それがなんだかくすぐったくて胸の奥が痛い。
 なんて幸せな夢だろうと アリシアは思う。
 どこかの家庭で当たり前のように繰り広げられる、軽口やケンカがこんなにも愛おしい。
アリシアは胸が苦しくなって締め付けられるような痛みで苦しくなる。もう五年も会っていないというのに記憶は鮮明だ。だが、それがわかればわかるほど苦しかった。思わずアリシアはうつむいた。
「どうした? アリシア?」
 アリシアの様子に気が付いた両親が心配そうにこちらをうかがう。痛みで顔を上げることが出来ない アリシアに両親は肩や頭を撫でてくれる。優しいぬくもりに涙腺がゆるんでしまう。
「愛しています。パパ、ママ」
 絞られるように出てきた言葉は涙腺を緩ませた。言いたくても言えなかった言葉にそれが夢でも言えたことが嬉しかった。愛してるなんて何年ぶりに言っただろう。
 すると穏やかに言葉が返ってきた。
「ああ、私たちも愛しているよ」
 アリシアは顔を上げた。嬉しくて、父と母の顔が見たくて。
 すると、それは悲鳴に変わる。
 父であったものは皮膚が剥げていて何か人が構成されているものとは違うものがむき出しになっていた。額には銃創があり、体はケーブルや鉄などの機械でできているように見えた。慌てて父であったものの手を振り払い、離れて周りを見る。そこは確かに家だった。だが、薄暗く、壁は血にぬれ、ありとあらゆるものが破壊されていた。
 薄暗く血生臭い。
 母はどこに行ったのかと見渡すが、どこにもいなかった。
「どうしたいんだい?  アリシア?」
 父であったものが アリシアに手を伸ばす。
「来ないでっ!」
 手を振り回して目の前のものをはね避けようとするが、逆に手をつかまれてしまう。すると全身が凍り付いたかのように動けなくなる。それはだんだんと アリシアに頭部を近づけていった。真っ赤な口先を笑みで歪めながら父のような塊はゆっくりと呼吸がかかる距離まで来て唇を動かした。
 
 ――××××××××××××。
 
 その言葉に アリシアは目を見開いた。
 
 ***
 
 目が覚めると自室のベットの上だった。
 アリシアは荒く肩で息をしている。心臓がどくどくと耳のそばで鳴っていた。
それなのに体はぶるりとするほど寒い。投げ出していたらしいシーツを発見してそれを被る。
窓の外を見るとまだ薄暗い。夜明け前なのだ。
 体を動かすとパジャマが湿っていることに気が付いた。汗をかいていたのだ。
 汗でパジャマが湿気ていて気持ち悪い。早々に脱ぎ捨ててしまいたいが、そんな気力はなかった。
 枕元に置いていた銃を手に取り抱きしめる。
「パパ、ママ」
 震える手で握りしめる銃は父からものだ。昔はただのおもちゃの銃だった。けれど今は違う。
「最、悪……」
 あれは何なのだろう。始めは最高な夢だったのに、途中から地獄のようなものを見せられる。まるで生き物とは思えないものに変わる父を思い出して毛布を引き寄せた。
 ――またですか。
 内心辟易しながらアリシアは溜息を吐く。
 この夢は今回に限ってのことではなかった。内容は少し違えど、最後は結局悪夢になるのだ。
 しかも、夢を見ている意識があるのに、悪夢になることを毎回忘れている。何故あんな夢を見るのだろう。 アリシアはそれでも夢の中の父と母に会いたいと思っているのだろうか。
 だが、それは叶わない。
 黒の教団に所属したものは家族に会うことや連絡を禁じているからだ。でも、それは仕方がない。そうでもしなければ我々はこの戦争に勝てないのだ。
 黒の教団には倒すべき宿敵がいる。人類の敵といっていいかもしれない。
 それは千年伯爵と呼ばれている。
 その名の通り、何年生きているのかわからないからあくまで呼称だ。
 厄介なのは千年伯爵が作り出す兵器だ。
 千年伯爵の兵器AKUMAは、生きている人間に成り変わって世界に紛れ込む。
 やり方はこうだ。誰かが何かの理由で死ぬ。それを悲しむ人間がいて、そこに伯爵が現れて手を差し伸べるのだ。
 「アナタの大好きな人を生き返らせてあげまショウカ?」と。
 その手を取った人間は殺されAKUMAを隠す皮となり、この世界に存在し続ける。エクソシストが壊さない限り。世界にはひっそりと敵が増え続けている。知らぬうちに闇は濃くなっているのだ。
 だから、教団に所属したものは血縁者には会えない。もし死んでしまったときに千年伯爵に付け込まれる危険性があるから。 アリシアたちはひっそりと消えゆくしかないのだ。
  アリシアは夢での出来事を思い起こす。家族に会いたいにしてももっとましな夢を見るような気がする。それに夢の中での父であろう化け物が最後につぶやく言葉が、 アリシアには気になっていた。あのシーンは毎回必ず繰り返される。だが、肝心の言葉はわからない。
 すごく大事なことであるような気がするのに、ノイズがかかったかのように声はかき消される。
 皮の削がれて表面化した筋が表情を歪めて口を動かす。そんなことは思い出せるのに吐き出された言葉が何だったのかがなんだったのか。それを思い出そうと深く深く思考に潜ろうとする。
 すると突如激痛が アリシアを襲った。
「あっ……ぐ……」
 思わず頭を手が覆う。頭を叩かれるなんて生易しいものではない。ぎゅるぎゅると血が膨れ上がり、頭が弾けるように痛むのだ。
 そして様々な映像が頭の中を駆け巡る。断片化されてランダムに頭の中で浮かんでは消える。今まで生きてきた分の記憶が一気に流れ込んできていた。その情報の多さに頭がおかしくなってしまいそうに思う。必死に痛みを和らげようとシーツを握り締める。だが、あまり意味はなく、時間が過ぎないとこれが終わってくれないことを アリシアは知っている。
 症状が出始めたころはそれこそ気絶していたものだが、今はそれはない。
 ただ、苦しい映像ばかりではない。教団のみんなと笑いあう姿や記憶の中で父と母のとの記憶も流れていく。夢の中で鮮明に家族の顔を思い出せるのはきっとこのおかげだろう。 途切れそうになる意識を保っているのも同様だ。 アリシアは苦笑する。怪我の功名のようなものか、なんて思ってしまう。そしてもう五年近く会っていない家族想いをはせる。映像が母や父が笑っている場面に切り替わる。今なら彼らに届きそうな気がして手を伸ばした。
 「私は頑張っていますよ、パパ、ママ」
 伸ばした手は当然のように空を切る。 アリシアの目尻から涙がこぼれた。
 やがて濁流のような映像が終わり、 アリシアはゆっくりと息をついた。
 夢のあの言葉を思い出そうとするたびにこれは繰り返される。だから最近は夢を見ても深く考えないようにしていた。夢は夢で現実には影響しない。それに任務に支障をきたすことがあれば問題だ。というより、倒れたりしようものなら死活問題になってしまう。まさに文字通りに。
 今回は少し油断していた。ふと思考が沈み込んでしまうと痛みが襲ってくるのはわかっていたのに。考えない考えない考えない。 アリシアは胸に言葉を刻み付けていた。
 すると思考を切り裂くように電子音が部屋に響き渡る。通信だ。
 アリシアは一気に表情が曇り、けだるそうにシーツから這い出して通信機を手まねきする。すると通信機であるゴーレムは嬉しそうに近寄ってきて手の中に滑り込んできた。
 すると今度はけたたましい声が部屋を満たす。
「アリシアー。おっはよーん! お目覚めはどうかなー? もしかして起こしちゃったー??」
 ふざけた調子の声に アリシアは一気に力が抜ける。言葉に色々と矛盾が生じているがそれはもう彼の個性としか言いようがない。 アリシアはため息を吐いた。
「……おはようございます、コムイ」
 どうかくだらない要件ではないように祈るばかりだ。

prev / next

[ back to top ]