昔、諦めた恋があった。
それは、その相手に語られることなく終わった。
いや、正確にはまだ終わっていない。
けど、それをどうこうしようとは思っていない。
そのうち何ともなかったかのようになるだろうと思っている。
諦めた理由はいくつかある。
彼がバスケにモデルにと何事にも一生懸命だったこと。
ましては、3年生が引退した新チームでの部活。
彼より2つ上の私は同じ学年である笠松くんたちと部活の引退を迎え、部活が終わったかと思えばすぐに受験勉強。
ハッキリいって私も彼もそんな暇なんてどちらもなかった。
そんな私の気持ちを知っているのは同学年で同じ大学に通っている笠松くんだけだ。
『え?部活を?』
「あぁ。卒業してから一回も顔出してねぇしな」
『スタメンで行くの?』
「そのつもりだ」
『んー…』
「もういいんじゃねーのか?」
『何が?』
「黄瀬のことだ」
『………』
「とりあえずみょうじは落ち着いたんだ。伝えるだけってものありじゃねーのか?」
『でも、もう諦めたから』
そう言ってなまえは苦笑をこぼした。
そんな彼女の反応に笠松は後頭部に手をやり、一つため息を吐いた笠松。
彼としては、ずっと想い続けていた姿を見ていたからこそ、彼女には幸せになってほしいという気持ちがあった。
「とりあえず、今週の日曜。一緒にどうだ?」
『そうだね…。監督にもあいさつしないとだし』
彼女の言葉に笠松は満足そうに頷いた。
しかし、彼女のなかでは、まだ少し遠慮したいという気持ちがあった。
『(海常かぁ…)』
日曜まであと2日。
笠松くんと別れたあとの講義は全く頭に中に入ってこなかった。
そして、約束の日。
私は笠松くんと一緒に高校へ向かった。
実は彼とは家も近い。
『(久しぶりだな…)』
彼と学校への道を歩くのもだが、それよりも頭の中を占めているのは彼のこと。
卒業してから、私からは一切の連絡をしなかった。
たまに、いや結構な頻度で彼からメールが来ていたが、何かと理由を付けてお誘いなどを断ってきた。
メールも勉強やらバイトやら理由をつけてしなくなった。
さすがに、彼もそんな私が嫌になったのだろう。
しばらくするとメールはぱたりと来なくなった。
それでいいと想いながらも、やはり胸が痛んだ。
しかし、自業自得だと思った。
そばにいたいと思ったことはなかったというと嘘になる。
卒業式のときに「センパイがいなくなるなんて寂しいっス」と言われたときは嬉しかった。
けど、それは今まで一緒に頑張ってきた仲間としての言葉だと受け取った。
いろんなことを思い出しているうちに、高校に着いていた。
見慣れた校舎。
それを目に入れた途端、今までなんともなかった心臓が急にドクンドクンと鳴り始めた。
「…行くぞ」
『さ、先に行ってて?』
「…ったくあれだけ毎日通った学校なのに何で今更緊張してんだよ」
『だって…!』
「ほら、行くぞ」
『あ、ちょっと…!』
足を止めるなまえを問答無用で腕を掴み引っ張っていく笠松。
その足はまっすぐに部室へと向かっていた。
部室に着くとそこにはもうすでに森山と小堀がベンチに座って話していた。
「もう来てたのか」
「おぉ笠松。それになまえちゃんも来たんだ」
「うん。久しぶりだね森山くん。小堀くんも」
「久しぶり」
「とりあえず懐かしむのはあとにして、体育館行くか」
「あぁそうだな」
「ちょうど休憩中みたいだぞ」
「行くか」
私は黙って頷いた。
足を進めた3人。
そんな3人の後ろを歩いた。
さっきから心臓がバクバクと鳴っている。
そして、先頭にいる笠松くんが体育館の扉を開けた。
中にいた部員たちは一斉にこちらを向く。
一番早く反応したのはやはりエースの黄瀬くんだった。
そんな黄瀬くんは立ち上がってこっちに駆けてきた。
「センパイたち!どうしたんスか!?」
「よぉ黄瀬。久しぶりに顔出そうと思ってな」
「来るなら言ってくれればよかったのに」
「まぁいいじゃねーか。つーか、後ろに隠れてんじゃねーよ、みょうじ」
『わっ…!』
「え、なまえセンパイ…?」
背の高い小堀くんの後ろにいたところを無理やり引っ張って前に出された。
そのため、目の前には黄瀬くん。
『あ、えっと。久しぶりだね』
「そ、そーっスね」
「んだよ、その微妙なあいさつは」
『だって…!笠松くんが無理やり前に出すからでしょう!?』
「隠れてたほうが悪い」
『隠れてなかったもん!自然とそうなったんだよ!』
「嘘つけ。隠れてただろ」
『だから違うって!』
「あ、あの…センパイ?」
目の前でいきなり言い合いを始めた先輩たちに苦笑の黄瀬。
そんな黄瀬に小堀がフォローを入れた。
「しばらくほっといたら時期に収まるから」
「笠松センパイとなまえセンパイってそんなに仲いいんスか?」
「仲いいってなぁ?」
小堀センパイは苦笑で隣にいる森山センパイを見た。
未だに笠松センパイとなまえセンパイは何か言い合いをしている。
「あぁ。2人は3年間同じクラスだし、家も近い。それに大学も一緒だから自然と一番仲よくなったって感じかな」
「オレ達からすれば見慣れた光景だったんだけどなぁ」
「まぁ後輩ができてから2人とも少し大人になったっていう感じだったしな」
「今までの枷が外れたって感じだな」
「そうだったんスか…」
1年間と3年間の違い。
まだまだ知らないなまえセンパイ。
なんだか苦虫を噛み潰した感じになった。
「なまえセンパイ」
『な、なに…?』
やっと笠松センパイからオレに目を向けてくれた。
今まで何度も遊びに誘ったが全部断られた。
さすがに押しすぎたかと思いメールを送るのをやめた。
センパイからのメールを期待していたが一度も来ず、なんだか送りずらくなってしまった。
「部活終わったら話したいことがあるんスけど…」
『わ、分かった。じゃあ待ってるね』
「はいっス」
「そういえば黄瀬。マネージャーはどうしたんだ?」
「あー…。みんな監督に退部させられました」
『え?』
「なんかなまえセンパイがいなくなってから色々とミーハーな事件を起こすようになって…。ほんとは猫被ってたんだなってみんなで話してたんスよ」
『じゃあ雑用は…?』
「1年生みんなで分け合ってしてるっス。まぁオレ達2年も手伝ったりしてるっスけど」
『そうだったんだ…』
「時間があればみょうじが来てくれるってよ」
『あのー…そんなこと一言も…』
「マジっスか!?」
『え、えっと…いや笠松くんが…』
「センパイが来てくれるなんてオレすっげー嬉しいっス!」
ニッコリ笑顔で笑った黄瀬くん。
本当にうれしそうな顔をしている。
だめだ。
こんな黄瀬くんを見ていたらあの時の気持ちをぶり返す…。
『そ、そっか…。マネージャーいないなら手伝ってくるね。ちょうどドリンクの用意とかし始めるはずだし』
「あ、ちょっ…!なまえセンパイ!」
私はその場から逃げるように、部室へと消えた。
その後もできるだけ黄瀬くんと会わないようにマネージャーとしての仕事を手伝った。
笠松くんたちは練習着に着替えていて、後輩たちの練習に参加したり、後輩たちを指導したりしていた。
「あー…今日も厳しかったっス…」
『お疲れ様』
「なまえセンパイも!結局全部やらせちゃったっスね…」
『いいよ、そんなの。3年間ずっと同じことしてたんだし大したことじゃないよ』
「でも…」
『たまには先輩に甘えなさい』
「はいっス」
不安げだった黄瀬の表情は、なまえの笑顔を見て明るいものに変わっていった。
そして、覚悟を決めたようにキリっとした表情を見せた。
「なまえセンパイ」
『ん?』
なまえは、そんな黄瀬の表情に目を奪われた。
それと同時に聞いてはダメだと、頭の中で警報が鳴り響いている。
このままいては、戻れない。
そんな気がしてならなかった。
『あ、ごめん…。私明日のレポートを…!』
「逃がさないっス」
『き、黄瀬くん…』
その場から逃れようと理由をつけ、黄瀬に背を向けた。
しかし、歩き出す前に捕まれた右手。
触れられた所から熱が伝わる。
思わず振り返ってしまった。
視界に入ったのはいつになく真剣な表情の彼。
「…今日だけは、話聞いてほしいっス」
『っ…』
「今日聞いてくれたら、もう何も言わないっス」
『…本当に?』
「約束するっス」
『…分かった』
私の返事を聞いて、彼は黙って頷いた。
そして、私の手を引っ張って近くにあった公園に入っていった。
しばらく歩いて現れたベンチに彼は腰かけた。
繋がれていた手は隣に座れとでもいうように引っ張られた。
そんな彼に何も言わず従い、私は彼の隣に腰を下ろした。
「本当はセンパイが卒業する前に言うつもりだったんスけど…。メールしてもなかなか返事もらえなかったし、しつこく言ってもセンパイの迷惑になるから言えなかったっス…」
私は今まで彼からのメールを気にしつつも受験だからと言う理由で逃げていた。
その時の罪悪感が蘇る。
『ごめんね…。あの時、本当は私…』
「いいんスよ。オレもしつこかったスから」
『…だからメールも…?』
「そーっス。次に会った時にしようって思ってたんス」
いつになるかも分からないのに。
そう言って黄瀬は手で頭をかきながら言った。
そんな黄瀬になまえは申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。
自分勝手な理由で逃げたため、彼は言いたいことも言えなかったのだ。
自分だけの都合で黄瀬のメールを流していたことになまえは罪悪感を感じた。
「センパイ」
『!』
隣にいる黄瀬くんはバスケをしているときと同じぐらい真剣な表情をしていた。
そんな彼を見て少し緊張する。
「オレ、ずっとセンパイのことが好きだったんス」
『…え?』
言われた瞬間は彼の言葉を理解できなかった。
しばらく頭の中で彼の声が繰り返し流れる。
理解した時には、一瞬で顔が赤くなるのを感じた。
『…うそっ……』
「ウソじゃないっス。今もセンパイが可愛くて仕方ないっス」
『……私なんかでいいの…?』
「センパイじゃなきゃ嫌っス」
『私より可愛い子とかいっぱい…』
「オレの中じゃセンパイが一番スよ」
『っ…』
「センパイ。オレと付き合ってください」
『………』
「返事はいつでもいいっス。ずっと待ってるスから」
送るっスよ。
そう言って黄瀬くんは立ち上がって少し先を歩いていく。
彼の背中を見ながら、気持ちの整理をする。
返事なんて昔から決まってる。
そう思うと、考えるよりも先に体が動いていた。
『黄瀬くん!』
「なんスか?」
私の声に彼は足を止めて振り返った。
一段落置いてから、口にした言葉。
『私と付き合ってください』
しばらくキョトンとしていた黄瀬くん。
そんな彼が可愛いと思ってしまうところから、あぁ好きだなと改めて思った。
キョトンとした顔からびっくりした顔になり、彼は走って私のほうに向かってきた。
そして、そのまま私を強く抱きしめた。
嬉しそうな彼を見て、今まで考えていたことが全部吹っ飛んでしまった。
「センパイ。もう絶対離さないっス!」
綺麗に笑った黄瀬くん。
彼を好きになってよかった。
心からそう思った瞬間だった。
end
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