――これは、ある記録で、ほんの一部に過ぎない。


19XX年 X月X日
「来るな」遼はそう言って私を見ようともしなかった。まるで此処にはいない物のように。私は唇をかみ締めて睨むように反抗した。「ふざけないで。私はあなたのパートナーよ」そう言って遼を一喝したが、彼はそんな事には気にもとめず、手元にあったソフトに何かを打ちだし、送信した。きっとそれを受け取るのは野上冴子だろう。
遼は送信完了を確認した後、立ち上がって部屋から出ようとドアへ向かった。それに続こうとすれば、遼は厳しい顔で私を見て「お前は、此処で帰りを待て」わかったな、と念を押してきた。納得できなかった。足手まといなのはいつもの事。でも。私に秘密で冴子さんの依頼を受け、勝手に進めていた。でも、それならば、まだ、よかった。でも今回のケースは国家機密に値し、リスクの高すぎるケースだった。それを、私には一言も話さず、まるでのけ者のように、美樹さんやミック、他のみんなまで協力していたなんて…。
ねえ、遼、私はあなたの何なの。都合の良い時に役立つ道具?
「遼、聞いて。私は足手まといになるのなら、行かない方があなたの為。でも秘密で事を進めていた事に納得出来ない。何故一言も相談してくれなかったの」
そう言えば、遼は黙って、表情は背中越しなので見えない。「すぐに戻る。話は後だ」そういい残して部屋を出て行った。私は立ち尽くして、右手を左の肘に当てて俯いた。
ミックはこの話を聞いて逆上した私を何度も宥めた。「遼は、香を巻き込みたくなかっただけだ」と。美樹さんも同調するように、(今回の事件は事が大きすぎたから、きっと遼にも考えがある)のだと諭してくれた。
でもね、遼。こんな寂しいことはないわ。


19XX年 X月X日
最近体が熱っぽくて仕方がない。すぐに疲れる体に嫌気が差してソファに座った。ちちち、と時を刻む時計を見て、まだ帰ってこない遼を思った。大丈夫だろうか。遼は不死身な程に強いが、スーパーマンではない。骨も血も彼は私と同じもので構成された、一人の人間なのだから。熱っぽい身体に疑問を感じながらおでこに手を当てた。明日病院に行こうかしら。カレンダーを見つめながら、遼が帰ってくる日を待った。

19XX年 X月X日
翌日、私は近くの診療所に行って受診すると医師はすぐに検査をした方が良いと大きな病院の紹介状を書いた。なんだか神妙に話す医師に言葉を聞いているうちに、まるで世界に独りだけ取り残されたように怖くなった。
紹介状とカルテ、私は呆然とその検査で一日を潰した。大きな白い機械に身体を通し、脳をスキャンしてその身体の異常を調べた。単なる風邪だろうと踏んでいたが、一つ一つの検査をこなすうちに、重病になってゆくように感じた。それは何日間も続き、本当に怖くなった。そして逃げるように検査結果を教授の下へ持って行き、かずえさんにも、誰にも秘密に、と厳重なる受診を受けた。検査結果と教授の見立てと共に、その命の残りの蝋燭を知ることになる。もう犯されていた病は、治ることはない。
私の手から何かが滑り落ちてゆくように思えた。
私は遼に何が出来た?脳裏浮かぶのは、すべて遼が享受してくれた物ばかりであった。過去も今も、みんなも、居場所も、遼自身も。すべては遼から始まり、遼がいたからこそある現実だった。浮かぶ映像、姿形や匂いに声も。私の心を乱し、安心させ、守ってくれたもの。「私は、何か与えれたのかしら」いつの間にか零れた涙を必死に拭った。
それでもぼろぼろと零れ、もう全部を拭いきれなかった。

19XX年 X月X日
遼が受けた依頼は結局短期間では解決できず、長期戦へと以降していた。私はまるで関係ないとばかりに詳細は得れなかったが、私は何故か核心していた。きっとこの依頼は、とても、長引くものだろう。私の命と同時に動き出した運命は偶然ではない。私は教授の元へ行ってあるお願いをした。
一つ、私の病気は遼が帰ってくるまでは見つかっていない事にすること。これは遼が帰ってきたら、自然と見つかる。その時でいい。その時までは、遼の帰りを待つ普通に人間でありたい。
二つめ、私がこの病気の終わりを知らない事にすること。きっと遼は私はもうすぐ死ぬから傍にいてと哀願すれば居続けてくれるだろう。私が共に分かち合いたいのは病じゃない。死で縛りたくもない。遼が隠すのなら私は何も知らないようにする。
「教授、お願いします」香は顔を伏せて、床をじっと見つめてただすらすらと動く唇に身をまかせた。「治療は受けます。だから、お願いします」
教授は私の顔上げさせて、すっかり窪んだ目じりを撫でた。
「遼が帰ってくるまで此処に通いなさい。遼が帰ってきたら入院するんだ」私は頷きながら、目線を上げた。目を弓なりに香の肩を叩きその手をひと撫でした教授は慈しむように香を見ていた。

19XX年 X月X日
結局遼は、此処へ帰ってくるのに二ヶ月かかった。でも、遼が、無事に帰ってきた。その事実が嬉しくて、出迎えた私には、あの時の怒りは流れ、私はハンマーを出せることもなく、会話をする前に気付いたら意識を手放していた。そうして見上げたとき、私はベッドの上で寝ていた。遼はきっと知ったのだ。この白い病室見て核心していた。何故か可笑しくなって笑ったら遼が少しやつれて表情で「俺がいなくて寂しかったのか」と冗談を言うように微かに笑った。でも、その笑みは全然笑えてなかった。案外、遼は演技がへたくそなのかもしれない。
だから私はそれを取り繕うように言葉を続けた。
「もっこりすけべがいなくて清々してたのに。帰ってきたから貧血になったのね」
「…相変わらずだな 香ちゃん」
「ふふふ」
起き上がった私に遼はライトグリーンのカーディガンを肩にかけた。私を遼の後ろで何も言わずに、今まで気を使ってくれて、約束を守ってくれた教授に感謝をした。

19XX年 X月X日
それから遼は毎日来てくれたが、また依頼がきて来なくもなった。それはどうやらあの時行っていた依頼の延長のようだった。あまり内容は話してくれなかったが、私はこの場所からすべてを調べあげた。これでも私は遼のパートナー。情報網はいくつかあるし、重要な手がかりも掴んでいた。
















19XX年 X月X日
ねえ、遼。私はある研究所の材料としての候補で選ばれているの。今はそれを内諾し、研究チームとその開発に明け暮れているわ。大丈夫これは近未来のその最先端を行く実験。私はそこへ踏み入れる。私の分身を此処へ残す。けれど忘れないで。すべては灰として消える、ただの踏み台にしか過ぎない。あなたは立ち止まってその踏み台を自身で踏み倒して過去のものへとするの。遼。あなたの優しさを今度は返す。それと、―遼、演技へたすぎ。私の事あんなにも馬鹿にしてたくせに、あんな眼差しで毎日来られたら、たまらなかった。

香は囀るように笑って言葉を続けた。
「私は遼と共にいたい。でもそれは出来ない。私にはもう時間がないの。でも傍にいたいんじゃない。居ても、役に立たないのなら今と一緒よ。私は遼を守る為に、1度だっていい。だって私はあの人を愛してるもの。忘れないで。あなたは何も失ってなんかいない。あなたは多くのものを持ち、多くのものを手にしている。

遼、あなたは私のハート(心)も魂も。あなたが全部持ってるのよ


香はそう付け足すと、「あ、もうすぐ薬の時間だわ」と呟いた。そして自身で電源を消す前に画面越しにそっと唇に人差し指をあてて悪戯っぽく言った。「もうすぐ来る今の遼には、今やってる事は秘密ね。後で号泣して反省しているあいつを天国から見るんだから」香は花のように無邪気に笑っていた。


Love of silence. fin tnankyou





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