「香が関わったとされるものを全て葬って欲しい。プログラムも、二度と香の名が出ないようにしてくれ」
直子は少し困惑したように、遼を見た。「でも事実、プログラムは冴羽さんの情報を守ったんですよ」
「だが結局そのプログラムはなかった」
「…ええ。ですが記録としは残っています」
「これは、けじめだ。これまで起きた事は全て過去のものとし、新しいものを導入してくれ。事実、こんなにも事件続きじゃあ、お上さんも議論しているだろう」

直子は押し黙った。確かに、これほど問題が起きれば、何らかの処置は政府側としても要求してくるだろう。遼は黙った直子の様子を査定と見なし、話を進めた。「今回の報酬はそれだ」遼はそう言って、立ち上がった。
「香はシティーハンターとして頭脳の基礎計画に関わった。言わば、あいつの最後の仕事だ。もうこれで全部チャラだ。俺はしばらく、息をひそめる」
直子は驚いたように遼を見た。「まあ、またしばらくしたらひょこり現れるかもしれんが」と頬をかいた。そしてジャケットのポケットをもぞもぞと動かせならがら、「忘れる所だった」と呟きながら取り出して、直子に渡した。

――これは、「香の記録だ」直子が答える前に遼は言い放った。確かに直子の手のひらには随分あせたテープ。「これは、俺には処分出来ない」
「処分?捨てるのですか?」驚いた直子は信じられないとばかりに遼を見つめた。そしてその瞳はほんの冗談を言っているのではないと核心した。

遼が手離したそのテープは直子の手にすっぽりと収まり、とても小さく壊れやすい繊細なものに見えた。遼は、生きて死んだ後に、残しておきたいものなど何もない。そして、未練もない。だが、きっとこれだけは、これだけは、見知らぬ誰かの手に渡るのも、自分がずっと持っているのも許せなかった。
「でも、何故私に?」
「研究所は香の最期の仕事だった。始まりも終わりも。このテープを俺に渡したのも、すべては此処からだった。それに、」知りたかったんだろう。香を。

遼はそう言って直子を見た。目を見開いた直子は「私に見せて良いのですか?」と尋ねた。
「見たらすぐに処分してくれ。そして、今後の開発の土台にしてくれ。正直言って、俺は本物の人間がベースになるのはもっと先で良いと思う」
直子の瞳の向こう側を見るように遼は言った。(もっと先)それは、直子も思っていた事だった。科学と歴史は常に同じ天秤をかけて偏ってはいけない。行き過ぎた科学は歴史を食い尽くすからだ。「…わかりました」直子は手の中のテープを握った。

遼はそれだけ言うと、もう用はなくなったのかその場を立った。直子はただその離れてゆく後ろ姿を見つめるだけ。受け取ったテープを右手に握り締めながら、その重さに手が震えるような感覚がした。
「冴羽さんっ」直子は気がついたら叫んでいた。自分でも驚くほどその声は悲痛に満ちていた。

「やっぱり、Heartはなかったんですか?」

遼は足を止めた。そして、「もう、あんたの手中にあるよ」と答えた。直子は握り締めていたものを開いた。褪せたテープが覗く。







あの日、受け取ったテープは何度も再生されたのか少し、褪せていた。そして私は一生の中で冴羽さんと再会することはなかった。それでも時々、今でも瞼の裏に焼きつき映像は再生されてゆく。例え、もうこの世にはなかったとしても

silent