「何を言って」男は言葉を切ると慌てて遼に向けて銃を凝視した。引き金は動かない。どうやら反応していないようだ。焦ったようにポケットに入れていたものを取り出し、しきりにボタンを押しては何度も確認している。
だが、男の持つ通信機は動きもしなかった。其処にはエラーという文字と、武装解除という表示。勝手にプログラムが書き換えられ、操作が出来なくなっていた。
「そんな、こんなことがあるはずがっ」

キイイイインと遼のパイソンの銃口が光りだした。何故か弾が入っているような感覚がした。遼は核心していた。香は常に傍にいた。それはネットを繋いでいる時だけではない。アパートにいる時も新宿にぶらついてた時も。いつだって香は遼の傍にいた。触れられず、見ることも出来ないが、香は近くにいると。それもあらゆる意味で。

プログラムのHeart(心臓)ではない。

頭脳は機械の一部に過ぎない。香の魂ではない。香の亡霊そのものだ。見違えるな。プログラムが遼の傍で守っているのではない。香が遼の傍にいるのだ。プログラムではない。
香の、魂だ。

香は常に俺の傍にいる。だから、「Heartは存在しない」
男は血眼になってプログラムを書き換えようと通信機の前で必死に操作している。もうすぐこの事件は解決するだろう。遼が指先に力を込めた。

「香は俺の傍にいる。あいつの心も、魂も全部俺が持っている」
右目に宿った光る線の光景。遼にはこの世界が確かに見えていた。例え、もう二度と香が遼の前に現れることがなくても。例え、この事実を誰も信じることはなくても。
線で形作られる右目の世界を遼が細めながら、脳裏に、傷ついたような香が立ちすくんでいた。「私も連れていって」その言葉が響く。それと共に先ほど見せられた記憶が走馬灯のように過ぎてゆく。熱いジャングルを逃げ回る兵士も、必死に俺を助ける親父の姿も、全部、全部。
――俺はお前がおかしくなると思っていた
ミックの声が響いた。違う、俺はちっとも冷静なんても持ち合わせていなかった。だが、香がくれたものを、手放す気にはなれなかった。縁取る光の線の世界で再生されてゆくたった一つのテープ。気丈に笑う過去の香が引き止めた。それだけだ。それだけが、俺を―。遼はそこで思考を止め、台詞を一節一節に切りながら、言い聞かした。

「香、俺は、臆病で卑怯者だ」

「覚えてろ。次にお前を見つけたら手放しはしない」

「今度こそくれてやる」

俺自身を。その言葉と共に引き金を引いた。直後、遼はゆっくりとした動作でその瞼を閉じた。走る線の光。右目がもう一度閉じ、浮かび上がった。光彩が降り注ぐ。これは思い出でも、操作された映像でもない。これは、遼自身が持つ意識。遼の魂の範囲だ。
願望でも、誤りでもない。白、ピンク、青、黄色、光の玉が降る。たくさんの色彩の中に、いる。ただ一人。いつでも待っている。いつでも、会える。そこに立つ人物は、あの思い出の中のように傷ついた顔ではない。すべてを受け止め、知っているかのように立っている。白く、眩しく、光彩の雨の中にいる人。遼はその人物の名をそっと呼んだ。濡れはしない雨。
そう。いつだって傍にいる。彼女は、ゆっくりとスローで遼の方へ振り返った。
――りょう
微笑んだ香は、頬を染めて「りょう」ともう一度呼ぶのだ。
あんなにも距離があったのに、いつのまにか距離はつめて、遼はその頭をかき抱いていた。肩に香の顔がうずまり、遼はその首筋に顔をすっぽりと入れ、パイソンを持っていた手を香の背中に。うるりとした香の瞳は水面よりもしっとりときれいだった。ほど良く染まった頬は発病する前とは何ら変わらない。つやつやの髪があたる。よりいっそう力を込めた。そうして遼が次に目を開けた時、すでに意識はネットの空間を脱出し、装置の上で目を覚ました遼を必死に呼ぶ直子の姿だった。







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