直子は遼と会った後、すぐに瀬崎に今後のプランについて報告書を送った。返信と共に準備を早急に進めるように他のチームにも指示を出した。
そして今日、新しい報告が瀬崎から来た。明日は遼を連れて研究所へ行く。
直子はそれも視野に入れながら報告書の数字を確認すると、すぐに首を捻った。それはここ10年ではありえなかった数字だった。


キャッツの対面を済ませた後、冴子はすぐに対策チームを作り、地上での捜査に当たった。海坊主は美樹から事情を聞いて冴子の地上チームに協力する事になった。しかもいつのまにか海坊主が海外に渡っていたミックにも連絡を取っていた。するとすぐさま海外からのバックアップで古い友人達が名を上げて組織を掬い取る網目を作ると返事が来た。事情はミックが回したのだろう。次々と海外から返信が返ってくる中、「遼、勘違いするなよ。香には世話になったからな」とツンデレな台詞も沿えてあったのも多くあった。

翌日、遼はさっそく直子に連れられ、研究所へ向かった。車で迎えに来た直子は昨日部下から受け取った報告を考えながら遼の顔を見るとすぐに尋ねた。「実は昨日、部下の報告である管理システムの数字が急激に減ったんです。それは海外から日本へ送られる違法の電波の統計です。日本は海外からの様々なサイバー攻撃に常に晒されている状況なのですが、昨日から電波の受信が急激に減ってしまい研究所の対策システムのチームは騒然としてます。何か起きるまいぶれなのか…冴羽さん、もしかしてあなたが?」
そう首を傾げた直子の疑問に遼は興味なさげに適当に流した。もっとも、その答えはすでに知っていたのだが、言う必要もないだろう。にしても仕事の速い連中だ。

地下にある研究所に着いた後はすぐに簡単な検査を施された。といっても今回、遼が使う機械は以前に頭脳のパスを受け取る時に使ったものと同じなので、すぐにそのままその設備の部屋に通された。研究所内部は白で統一され、さながら病院のような閉塞感もあったが、久しぶりなだけあって、遼も落ち着いていた。白衣に着替えた直子は瀬崎と会って事前に打ち合わせていた通りに段取りを進めた。
プラグが多くつながれた寝台。遼はその一本一本の神経を繋げ、横になった。
直子はその横でモニターを操作しながら、麻酔を打ってネットの世界へと足を踏み入れる遼に改めて説明をした。
「機械は冴羽さんが使ったものよりも、より細密に強化して補強もしました」
「俺が目を開けた後はすべて、仮想空間なんだろう?」
「はい。脳とネットを繋げます。だから、これから味わう世界はいわば偽者の世界です。ですが、今回は長時間繋ぐのと、他のすべてのプログラムを詰め込んだ世界なので、常に私が呼びかけをしますので応答して下さい。もし危険があれば、こちらに戻るように案内します。一応念の為に武装の用意もしておきました。ネットの中は常に危険です。今回は稀に、サイバー攻撃が少ないのでウイルスも少しは大人しいと思いますが、一応ハッキングやウイルス、それらに対抗できるようにプログラムを書き換えるアイテムを用意しておきます。確か冴羽さんはコルト・パイソン357をお使いですね?」
「よく調べがついてるな」
「もちろんです。では、そのように設定します」
「なあ、直子さん」
「はい?」
「その敬語どうにかならないか」

直子は戸惑ったように遼を凝視した。「ですが―」私達はあなたに多大な迷惑をかけています。直子は伏し目がちにそう言った。
「今回のこと、また前回。あなたを巻き込むこと事態が、私達研究所の失態です。今後についてもきちんとお話を」
「多分、ほんのちょっと前ならアンタを口説いてたと思う」
遼は直子の台詞を遮るように言うと、眠たそうに目を細めた。麻酔が効いてきたのだろう。彼はあまり麻酔が効かない体質なので特別に調合したものだ。
そんな直子の考えをよそに遼は、襲ってくる睡魔に少し対抗しながら続けて言葉を紡いだ。
「それに、会った時から俺に聞きたいことがあるって顔、してたな」
そう言われ、直子はピクリと眉を上げた。それは図星だった。そして遼自身も一番言いたかった事なのだろう。
むず、唇を噛んだ直子はこちらを見上げる遼の視線に耐えかねて、ようやく尋ねた。

「……香さんは、槇村香さんはどんな方だったんですか」

直子がずっと思っていた事。ずっと、この研究所の主任になった時から考えていた事。直子が知る事実は書面の書類でしかない。彼女が残した記録データも見ていなかったので、予想と妄想が入り混じったものしかない。
「あいつは、特別な人間でもない。普通の人間さ」
「……」
「ただほんの少し男勝りで正義感の強い女だった。それだけさ」

「……そうですか」
直子は押し黙った。そして付け足すように言葉を続けた。
「…冴羽さんはやはり、『Heart』はないとお考えですか?」
そう尋ねたとき、すでの遼は瞼を閉じ、半分意識が薄れている状態だと思わせた。直子は慌てて最後の説明を付けた。
「冴羽さん。麻酔が効いてきましたね。今から3分以内に冴羽さんの意識はあちらで目が覚めます。強く香さんを、イメージしてください。あちらの持つ何かしらのデータが反応し、一致すれば会えるはずです。
続きはあちらで私の声を送って案内します」

案の定遼の返事が返ってくる事はなかった。今、彼の意識の殆どは遠のき、私の声に返事を打つこともままならないだろう。30秒後。直子は遼の意識が完全になくなった事を確認して、パソコンの画面に目線を映し、小型のマイクを白衣に付け、キーボードを叩いた。



遼が次に目を覚ましたのはきゃきゃと遊ぶ子どもの声が反響する住宅地だった。たんたんとボールが地面の上で弾く音。不思議と視界はまるで映画を見るような他人事な感覚だった。遼は建物に挟まれた細い路地にいた。心地が良いのかはわからないが、これが仮想空間とは信じられない。それほどこの風景はぴったりと遼の体に馴染んだ。辺りを見渡し子どもが路地の隙間を走っていく姿に釘付けになった。

きゃきゃ、と二人組の少年だろうか?まだ小学生の低学年にも満たないであろう年齢だ。ころころとボールを蹴りながらちょろちょろと移動している。妙に懐かしいようにも思えたが―
「あ、」子どもが声を上げた。遼が思わずその方向を見れば、小さな男の子がこちらを見つめてつっ立っている。そしてその目線の先にはボール。こつんと遼の靴にボールが当たった。膝を折ってボールを止め、呆然とする坊主に合図を送ってとぽんと投げた。
するとすかさずその子は両手でしっかり受け取って「ありがとう」と微笑んで、そのまま背を向けて走っていった。思っていたよりもその声は高く、まるで少女のようだった。高い声だけではない。物腰が少女特有の優しさがあったからだ。

遼は何故かその子どもの背中に釘づけだった。たたた、と遠く細い路地を走っていく姿。遼は目を閉じた。


次に目を開けた時、そこは森の中だった。だが鬱蒼としたジャングルではない。ふと脳裏に蘇った昔の記憶を無理やり停止させて足を進めた。しっとりと湿気を感じ、日本の森かと思わせた。
そこには大きなログハウスがあった。遼は扉を見つけて取っ手を掴むと中へ入った。そこは白い空間だった。壁は白く、窓の外は森が広がる。だが、足を進めているうちに部屋はどんどんと広くなり、まるでどこかの会館のように面積は広がり、もはや壁などなくなった。
その時、向こうの何もない所で数字の羅列が浮かび上がり上から下へと流れて行く。それは感染するように広がり、途方もない数字だけの空間が出来上がった。
それは眩暈がするような空間でもあった。何もない。誰も、いない。
そこでようやく遼の頭の中で、声が流れた。それは先ほど遼をこちらへ送り込んだ、直子の声だった。

『冴羽さん聞こえますか?仮想空間へ無事に送り込みました。』





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -