ママはとても綺麗な人だった。つやつやの長いウエーブがかった髪と形の良い唇。ドレスと大きく開いた胸元にはいつもガーネットが一粒、光っていた。私はそんなママが好きでよく、かまってもらおうとママのドレス引っ張ったけど、ママはそれを片手で振り払って私の頬に拳を押して「離れなさい」と言った。
ママは良い匂いがして、いつも色んな男の人に会っていた。みんな綺麗なママに釘付け。そんな男の人とママが会っている時、私はアパートを出て夜の町を散歩した。ママと男の人の邪魔にならないように。
そんなママはよく私を見て「アンタは一つも私に似てないわ」と言っていた。
でも確かに私はママにあまりに似てなかった。ママのように瞳も眉もすべてかけ離れた出来損ないないのようだった。だからママは時々私を見ると腹が立って、髪を持ち上げて頭を揺すぶりながら怒鳴るのだ。こう言って。
「アンタがいるから私はこんな風になったのよ。アンタがいるから。アンタのせいで」ママはいつもそう言って、指輪のつけた手で私の頬を殴っては涙を流していた。だから、二度ほど私の歯はまるで小石のように床に落ちて、真っ赤色が私の視界を汚したことがあった。
ママ、ママ。黒く長い髪。美しくたおやかに揺れて、白い肌はなめらかに。きついほどの残るママの香水。ドレスは特に赤が似合って、程よく胸元を照らすガーネット。ママは私の世界。私の唯一の人だった。

時々子守唄を歌ってくれた。私の傍で、語る言葉。ママはその細くて長い指を私の髪に通しながら囁いてくれた。
「アンタのせいよ。アンタがいたから私はこんな生活を送らなければならないの」
私はママの声が好きだったけど、私はいつのまに耳を塞いで暗闇に逃げ込んだ。だって何故か頬に涙がいくつも伝っていたから。

今日も夜の散歩。ママの邪魔をしないように服を着込んで外へ出た。とても寒いけど、ママのため。でも夜が遅いから、誰かに見つからないように動かないといけない。一度、私を見つけた誰かが「君、どうしたの」と言って、アパートまで送ってくれた事が合った。
ママはその人にお礼を言って笑っていたけれど、ドアが閉まった時、玄関に置いていた黒のエナメルのバックで私の頬を殴った。私は一瞬よくわからなくって、いつのまに身体が斜めになって倒れた。痛くなかったけど、しばらくすればそれは赤く大きく腫れてとても痛かった。ママはキーキー怒鳴って私の髪を掴むと浴室まで歩かせて中に入れると、鍵をかけた。私はふらふらしながら浴室の床に倒れて、ようやく悪いことをしたんだと、ママの名前ながら何度も謝った。
ママはその声を聞くと、浴室の電気を消して「うるさい!」とドアを叩いてその場から出て行った。私は足音と声しか聞こえず、閉じ込められた浴室の中、怖くて怖くて耳を塞いで声を押し殺した。
私はいつだってママの事が大好きだったのに、ママは私をあまり好きではなかったみたい。

ママは神様。私の唯一の人。
そんな大好きな私のママは、私を遠くまで連れて行ってくれた。
夜になってもママと一緒なら大丈夫。私は嬉しくて仕方がなくて、ママはいつものように綺麗でいつもと同じくらい優しかった。ある山奥、ママは月明かりの中、私に飴を一つくれた。「ママはちょっと先に行って道を聞いてくるから、ここで待ってなさい」私はママのくれた飴を握り締めて、ママを見上げた。
ママは私の頭を撫でて「その飴を舐め終わる前に帰ってくるから」そう言って、高いヒールを鳴らしながら、たおやかな黒髪は暗闇の中へ消えて、見えなくなった。
私は飴を口に入れて待った。噛まないように。すぐに消えてしまわぬように舌も動かさないで、ずっと待った。ママ。ママ。小さくなっていく飴とは引き換えに、何も帰ってこない。暗闇で虫の声と時々聞こえる風の音。ママのヒールの音は一向に聞こえてこない。そうしてママが帰って来る事はなかった。私は山奥にあるゴミ捨て場で捨てられた。
(ねえ、ママ。私はあなたを愛していたけど、あなたはそうではなかったのね)


風でなびく前髪。私は煌びやかに光る街を見ながら、いまでもどこかで生きているママを思い浮かべた。その時「香、帰ろう」その言葉に巡らしていた思考を止めて私は立ち上がって「ええ」と振り返って答えた。
あの後、私はある少年に出会った。彼は私を拾って、今、私と一緒にいてくれる唯一の人になった。そう、それが今隣にいる、遼だ。多くの意味で私を助けてくれた人。共に学びながら、私という人間に色々なものを与えてくれた人。
好き。―違う。私は、この人を愛している。

ママ、あの煌びやかな赤いドレスまだ持ってますか。あのたおやかな髪と整った唇。高いパンプスと、たった一粒のガーネット。私はあなたに何かを与えることは出来なかった。そればかりか多くのものを失わせてしまったのでしょう。
ママ。あなたは今、どうしてますか。私を捨ててほっとしましたか。私を捨てて幸せになれましたか。
ママ。私は今、一番生きている心地を実感しています。死を恐れ、この人と離れてしまうことがとても怖く、今を大切にしたいと思っています。ママ。もうあなたは私の「唯一の人」ではありません。そっと膨らんできた腹部を押さえた。私のお腹には温かい命が今、芽吹こうとしているのです。

「シチューにしたんだ」
「ふふ、楽しみ」
「明日は何がいい?」
「もう明日の話?シチューもまだ食べてないのに」
香は笑って遼の肩にもたれ腕に手を通した。遼は香の身体を支えるように腰に手を回してさりげなく、身重の香を気遣った。遼は香が妊娠してから夕飯を作るようになった。最近では香よりも上手なので、少し嫉妬してしまうほどだった。
香はふと振り返って、先ほどまで見ていた夜景をもう一度見た。そしてすぐに遼の肩に頭を寄せて前を見た。もう未練も振り返りもなかった。ただ遼の傍に、その帰路へついた。





ママ ママ。私の唯一の人。いいえ、「唯一の人」だった人。
煌びやかな物の中で孤独だった人。
私はきっとあなたのようにはなれない。

あなたはもう私の神様ではない。
ママ ママ。私はこの記憶を塗りつぶし、彼の心で染めたいと思います

だから、

さようなら ママ。 




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