その日は休日。香はいつもより遅めに朝を起きると、兄貴が優雅に珈琲を飲みながら「やっと起きたか」と目を細めた。そして床に置いていた大きな紙袋を取り出した。「起きたばかりだが、今日使いなさい。昨日買って渡しそびれた」そう言って渡され、香は寝癖がついたままの髪を手櫛で整えながら欠伸をして「ん」と受け取った。中からはみ出たピンクのラッピング。香はそれを引っ張り出した。黄色のリボンがされ、がさがさとラッピングを解いて中身と取り出した。それはクリーム色の大きな羊だった。かわいくデフォルメされて、さながら癒し系とはこの事だろうか。でもぬいぐるみにしては少々大きすぎる。ましてやこの年でぬいぐるみだなんて。「これって…」「安眠枕だ」「……」「夢遊病もぴったりなくなる流行の夢見枕だそうだ」「……」「大学の学生課で話題になってたから買ってきたんだ。これで香もベッドの上でぐっすり眠れるだろう」「…うん」ソウダネと口元ひくつかせている香に「お嫁に行く前に直さないとな。まあ、小さい頃は寝たままトイレに入ってトイレをしたまま寝ていたから。それに比べれば良い方だ」「…っ兄貴!」いつの頃の話だ!と赤面した香を気にせず、兄貴は困ったようしながらも懐かしむように珈琲を含み、「にしても、なんでまた急に夢遊病がぶり返したのだろうな」と新聞を開いた所で、後から香について来ていた遼はニヤニヤしながらぶっと吹いた。

その後香は赤面していた顔をどうにか元に戻し、自分の部屋に戻るとそのまま部屋のベッドに突っ伏した。(すべてあの変態おばけのせいだ!兄貴は私を不眠症と夢遊病を抱えた不憫な妹と勘違いして、安眠グッズを買ってくるようになったし、(とっいっても確かに、小さい頃は寝ながらハンマーを振り回していたという事実がある為、反論も言い訳もできない)こんちきしょう!前はもっと実用的な、ケーキとかクッキーとかゼリーとかシュークリームとか果物とか「…全部喰いモンじゃねーか」ぷかぷか浮いていた遼が突っ込んだ。…誰のせいだ。しかもどうやらいつの間にか口にしていたようで、香は情けないとばかりに口を閉めた。どうも、最近行動と感情が動じに出てしまうようだ
「せめて遼がイケメン執事みたいなのだったら良かったのに」と心にもないが、兄貴がくれた安眠枕を炊きながらぼそりと呟いた。(もちろん聞こえるように)するとすぐさま「ああ?」と遼が眉を顰めた。(まるでヤンキー)それをわざと無視しながら、まあ仕方がないと枕を持ち上げて、ちょっとまぬけそうな羊の顔を見た。(どちらにせよ兄貴がせっかく買ってきてくれたんだし)「まあ、いっか」香はもふもふと大きな羊まくらに頬を摺り寄せて、元々置いていた枕の横に置いた。そして後ろでぎゃーぎゃー文句を言っている遼をさらに無視しながら、(とりあえず、兄貴が居る所で遼を追い回すのはやめよう)と香は心に誓ように拳を握った。



昼過ぎ、香は近くの図書館へ借りていた本を返しに行った。いつもなら自転車で行くが、たまには歩くのも良い。といっても外は暑くてたまらないが。
張り付いた頬の髪をどけて香は麦藁帽子から空の雲を見た。「あっつい」出かける前に兄貴が香に被せた麦藁帽子は大活躍を遂げていた。遼は相変わらずぷかぷかと浮いている。裏山に沿う道を選んだので緑が多く、太陽で反射してきらきらと眩しい。わざと人気がない道を選んだので、今歩いているのは見渡すかぎりでは香だけのようだ。「香ぃ―道あってるのか」遼がそう言って香の横を通過する。それを手で払うようにして香は「何年ここに住んでると思ってるの。地元の図書館行くのに迷ってるバカはいな―」返事をしていた時、斜め右の畑に続く道の奥で小さな子どもがきょろきょろしている。そして香の存在に気付いた途端、突っ込むようにしてこちらに走ってきた。
「…何だ?」遼はそのちっこく走ってくる存在に浮いていた体を止め、遼の視線に沿うように香もこちらに走ってくる子どもを足を止めて見た。

その子は草色の浴衣で下駄を履いている。ぷくぷくとした頬はお餅のようで、まるで外人の子どものように色素の抜けた髪はふわふわとあちこちに撥ねている。手はもみじのようで、まだ5,6歳くらいだろうか。たったと走って来たかと思うと、またもう一度あたりを見渡し、「じぃじ…」と呟いて香の服の裾を引っ張った。
もしかして迷子になったのだろうか。香は思わず今日お祭りでもあったっけと考え、膝をおった。「お祖父ちゃんとはぐれたの」
目線が同じになると、その子は、こくりと頷いて香の腕の中に飛び込んだ。よほど寂しかったのだろうか。とても人懐っこい子供の様子に、背中を撫でながら香は隣にいる遼と目を合わせた。「迷子か?」それにしては、と遼は何やら目を細めたが、香はそのままよしよしと子供の背中を撫で続けそのまま抱き上げた。よく小さい頃は兄貴にしてもらっていた。温かく、しっとりと子ども特有の汗。香は手提げ袋から片手でタオルを取り出し、子供の首元の汗を拭った。「お名前を教えて。私は槇村香。かおりよ」
そういうと子どもはすりすりと香の胸元に顔寄せて、見上げた。「あんこ」「え?」「あんこ」餡子?いや杏子?香はそれこそ隣で浮いている遼を見たが「あんこ、だとよ」と言われ「あんこ?くんかな?」「あんこ、だ!」と呼び捨てで言うように声を上げ、何気にしっかりとした子だな、と香は思いながら、「そう、あんこって名前なの」と相槌を打った。するとあんこはピっと向こうの裏山に続く道を指して。「あんこは、帰りたい」と指差して言った。家の方角だろうか?
あんこは嬉しそうに言っている。香は首を捻るも、家がわかるのなら送っていこうかと考えた。でも…「迷子ってやっぱり交番とか行った方がいいかな?あんこのお祖父ちゃん探してるかもしれな「うえっ…、あんこの、じぃじはあっち」と途端に泣きそうになったので、香はぎょっとしてあんこの背中を撫でた。ああ、ごめんごめん。
香はわかったわかったと言って、そのままあんこが差す方角を見て「えっと、あっちにお家があるの?」ともう一度尋ねた。するとあんこは勢いよく尋ねて「そうじゃ。あんこの屋敷はあっちだ」と答えた。屋敷?良い所の坊ちゃまだろうか。にしてもこの鬱蒼とした山裏の道に家なんてあったけ。と考えた。うーん。でも、まあ行ってみるか。「うーん。交番もこっからだと遠いし…行こうか」と、あんこに告げれば、あんこは嬉しそうににっこりと笑った。
「あんこは嬉しいぞ、かおり!」…素直な子だ。
「おい、良いのか?ここから見てもあっちはただの山道―」「お主の名は何じゃ!」
きょとんとした遼は、いきなり声を上げた子供、あんこを見た。香の腕から乗り出すように隣に浮いている遼を、あんこはしっかり見上げて、きらきらした視線を送っている。
そしてもう一度言った。「お主、空を飛べるのか。あんこにも教えてくれ!」





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