そこには酒瓶が割れて、道へ飛び散っていた。それをやったと思われる男は、今日昼間エヴァンを呼んでいた男。となると道で両手を突き、倒れている人は…ふと脳裏に美しく微笑む昼間の女性が浮かんだ。ソルトは慌てて、地面に倒れこむ彼女の元へ駆け寄った。

その肩に流れる美しい金髪とドレスですぐにわかった。だけど、昼間とは違う。彼女はうう、と声を上げ、長いカールを描いた髪の間には右頬が腫れ上がっていた。白いエヴァンの頬は赤く、痛々しい。唇は切れて血を流していた。「ひどい…」ソルトはこんな目に合わせただろう、その男を睨み付けた。いきなり入ってきたソルトに男は「なんだよ」と顎を使った。そして、そこにいる少女が昼間、男と一緒にエヴァンへ話しかけていた少女だとわかると苦虫をつぶしたように「なあ、エヴァン。誰が俺以外の奴と喋って良いって言ったんだ?」
エヴァンは庇うように自身の肩を持っている少女の声に聞き覚えがあると感じ、殴られて少しくらりとする体をゆっくりと保ちながら、その燃えるような赤い髪を視界に納めた。(この子は確か…そるとって名前の)どうやら、昼間に会った子だと、確信した。(このままじゃあ巻き込んじゃうわ)
エヴァンはソルトの腕をぐっと掴み、「だいじょうぶよ」と呟き、「この子は何も関係ないわ。私が勝手に話しかけたのよ」
今何を言っても、納得しない男にただソルトを庇うように切れた唇を動かした。
だがそんな風に弁解するエヴァンによりいっそう眉を寄せた。男はただ不愉快そうに頭を掻き毟り、エヴァンの長い髪を大きな手でぐっと掴んだ。ソルトは驚き、「何すんの!」と頭に血が昇り、護身用に持っていた短刀を出そうとした。

「その手を放せ」
エヴァンの髪を掴んでいた男の腕には少年が片手で阻むように掴んでいた。
「なんだ!このくそガキッ」男は片方の手を振り上げた。
少年、いや狼の瞳はより漆黒に染まる。空気が下から吹き上げ、黒く、はためく。

「おい、放せって言ってんだよ」
途端、男の体に殺気が雷鳴のように落ちた。一瞬に来た殺気は喉を突き通り、ひゅ、と息が出来なくなった。威圧がのしかかり、呼吸が上手く出来ない。あ、あああ、と掠れて確かな声は出ず、唾液に混じった喘ぎ声は潰れていた。揺れる瞳孔の先に立つ少年の髪は風で泡立ち、その瞳は闇に満ちていた。そんな様子に意味がわからず、呆然とするエヴァンにソルトはただ肩を支えた。



あの人はモースというの。エヴァンは気丈にぐしゃぐやに乱れた髪を手櫛で整えながら言った。そして腫れ上がった唇をゆっくり動かしながら、ありがとう とソルトと少年に何度も礼を述べた。
あの後、モースは泡を吹いて気絶してしまった。後から来た近くの酒場の店主がモースを引き取り、エヴァンには早く手当てするように促した。
ちょっとした騒ぎになる前にと、狼がソルトと座り込んでいたエヴァンを起こし、取あえず、家に送ろうと、さっきとは打って変わって殺気なんてみじんも出さないただの大人びた少年のように「手当ての前にまず移動」とふらふらのエヴァンをソルトと共に支えた。
そうして付いたエヴァンの家、そこは古く、一部屋だけの小さな物置のような所だった。
エヴァンはお礼がしたい、と言ってソルト達を中に入れた。手当てもするつもりだったソルトは(お邪魔します)と言って部屋の辺りを見渡した。もうすっかり落ち着いたエヴァンは慣れた手つきでティーを淹れて「あ、ぼくはミルクいる?」と少年姿の狼に尋ねた。
相変わらず、すました顔で「ううん、いいよ」と先ほどとはうって変わったかわいい声で答えた狼を睨んだ。
(エセ狼め)そんなソルトの様子に気にせず、狼少年はカップに口をつけていた。
ソルトは手伝いながら、布巾を取り出し濡らして、用意するエヴァンの手を止めて、頬に当ててあげた。
「あの男の人恋人なんですか?」ソルトがそう尋ねると「…いいえ、客なの」エヴァンは少し気まずそうに答えた。
客… ソルトの動きが止まるのと同時にエヴァンは観念したように話した。
「母が亡くなった後に、一気に借金まみれになったのよ。父の作業場も手放すはめになって、同時に私の薬師としての夢も終わった。
ここも、安く買い取ったんだけど、普通の仕事じゃやっていけなくて…」
エヴァンはソルトから目をそらした。まだ少女のソルトに想像もない世界だろうから。

「モースはお金の羽振りが良い人なの。最初も、とても優しかった。でも今は…ね」
エヴァンはそう言って口を閉ざした。
そんな話をソルトは黙って聞いていた。煌びやかで美しいエヴァンは多くの悲しみを背負っていた。






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