あの日から、数日経ったが遼は何もなかったように香に接している。
あの涙もトメさんに話していない。香の涙は、香のもの。あの涙は香のこころ。
香が遼に見せた涙は患者が医者に見せた涙だけではなかった。一人の少女が背負い込んだ心そのものだったのだから。
でもだからといって、腫れ物に触るようにすれば、よけいに傷つくだろう。それに我慢してやっと出した涙を、根掘り葉掘り返すことはない。
一番つらく、一番立ち向かおうとしているのは、確かに香自身で、普段通りに接していくことにした。


そんな香は今日も一人で診療所を訪れ、いつもと変わらない様子で来たのだが、
(―りょう)
そんな声がしたような気がした。
香は三角座りをするように屈んで元気は急降下だった。さゆりはそれに付き添うように、一緒に屈んで寄り添った。
ぎゅっと香が隣で立っていた遼の白衣を握った。その仕草に遼は思わず、「大丈夫さ」と香の頭をぽんっと置いた。

そうして見据えた向こうで、香の伯父である透が東京から来ていたのだ。
たまたま、午後が休診だったので、珍しくも診療所を早々とたたみ、さゆりと遼で香を家まで送りにきたのだが―どうやらバットタイミングだったようだ。
まさに大人の話の最中。遼は頭をかいて、思わず半眼になった。一方のさゆりは、仕方がないので香を紛らせようと話題を逸らそうとしているが―…
(ふう…)
今トメさんは透―香の伯父と話をしている。
すでに香の家族の葬儀は終わって、今は香の今後について話し合っているようだ。
「――」「―――、」
微かに声が聞こえている。
遼は少し眉を潜めた後、ふむと考えてから香に「な、今から外に行ってお使いに行ってくれないか」とポンっと提案した。いきなりだったので、香は遼を凝視した。
そんなことはおかまいなしに、遼はよれた白衣のポケットに手を突っ込み、小銭を取り出した。なんとも無造作だが、500円玉をポンと香の手のひらに乗っけた。
「駄菓子屋行って、香の好きなもん買ってきてくれ。あと―俺にラムネジュースな」
駄菓子屋は遠くもないし、香が声を出せないことはすでに知ってるいる大丈夫だろう。
そうだな…
「おい、さゆり」お前も一緒に行け。
遼がぶっきらぼうに言うと、さゆりは呆れたようにしながらも
「はいはい。言われなくても、香ちゃんに着いていくわよ。アンタといるなんてこっちから願い下げ」ねーと香を見て微笑んだ。
悪戯っぽく唇を上げたさゆりは、香に気を紛らわすようである。
(わかってるわよ 遼)さゆりは、んべと舌を出して、心配そうに遼を見る香の手を繋いだ。




遼は、んと片手を出して「いってらっさい」と返事をするかのように二人を見送った。
そして二人の後ろ姿を見届けた後、遼は「さてと、」たねを返すように振り返り玄関をガラガラとわざと音を立てて開けて「邪魔するぞ―」と声を上げた。
するとしばらくしてトメが顔を覗き、「あれ、りょーちゃん。―ああ、香を送ってくれたのかい」
ありがとうね、とトメさんが言うのと同時に
「ああ…香は、ほら、今は取り込み中だからさゆりと出かけてもらってるぜ」
遼がそう言うとトメは、気ぃ使わせてごめんねと遼を上がるようにたもした。
そうして奥へ進めば、香の伯父である透がいた。
「よう、久しぶりだな」
遼がそう言うと、
透は「ああ、先生。本当に」とやるせないように肩をすくめた。
「―でね、遼ちゃんはどう思う?香ちゃんのこと」
お医者さんの意見を伺いたい、とトメは言った。そこで透も言葉を続けた。
「りょー先生、香は私が引き取ろうと考えてる。お袋は年だしな。見切れない部分もあると思う」
神妙な面持ちの透は、話しを聞く遼を見上げて言った。
「……香には、話したのか?」
遼がまず尋ねると、透はため息をついて「話したさ。でも―あまり納得していない顔だった」
その言葉に遼は眉を潜めた。確かに今日診療所に来た香はいつもと変わらない様子だった。それでも、それを漂わせないところは相変わらず、子供らしくない。
(涙はあの一回だけってか…)
無理をするなと言いたいが、そう簡単に他人に甘えるなんて無理だ。ましてや両親も兄も失ったばかりなのだから。
それでも、それでも―…と医者としてカバーしきれてない自分に嫌気が差した。


「香ちゃんは此処にいたいって」
トメは声を上げた。(あの時、香はトメさんの服を掴んで、ずっと首を振っていた。それを見たらやっぱり、香は私が引き取ろうかって…)
そう続けたトメの言葉に、「―なら決まりだな」遼が、ぽんと手を叩くように言った。
すると透は驚いたように「へ?」と声を上げて、すぐに反論した。
「いや、りょー先生。そりゃあアンタは香の他人だから、そう簡単に答えを出せるかもしれねーが。けどな、あの子は俺たちの身内だ。
香は元々都会で暮らしていたし、声だってストレスならここで十分療養したし、先生には悪いがあっちにはもっと大きい病院で診て貰える。あの子も、両親の死を受け入れて知っていたんだ。だからそれを乗り越えれる。きちんと話せば、納得してくれる」
こんな田舎にいたって、
と続けた言葉を遼はじっと透を見つめて、その言葉に覆いかぶさるように口を開いた。


「香の為なら、香の気持ちを汲むべきだろう」

「香の為を考えてるから、こうして―」

「ガキだ、ガキだと扱って何も香に話さなかった癖に、今度は大人扱いか?」
透は押し黙った。

最善の方法なんて、何かわからない。それでも、考えたことだ。
「りょーちゃん…」
トメは遼を見た。それは、いつものお茶らけた遼ではなかった。どことなく―その面影が、彼の伯父である海原先生に重なった。
(ああ…)トメは目を覆って―…口を開いた。
( そうね… )
「年寄りでも、香ちゃんがいてくれば、呆けるのも遅くなる。何より香ちゃんがしっかりしてるから、助かるし、楽しんだよ。なあに、この辺がご近所みんなが家族さ。…香は私が引き取るよ」
透が「お袋!」と慌てたが、トメの心はもう決まっていた。そう、香は私の孫。何も悩む必要はない。(ゆっくりでええんだよ、ゆっくりで)そう言ったのは自分なのだから。

「りょうちゃん、ありがとうね」
俺は何もしてないさ、遼はそう言って、透の肩を叩いた。
透はため息をしながらも「まいったよ」と眉を下げた。






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