その日、香はやってきた。トメさんから話を聞いていたさゆりだったが、いつもと変わらないように受け入れた。「あら、香ちゃん。こんにちは」
こくんと頷く香に笑みを向けて、「今日ね、診察は午前までなの。だから先生とお散歩に行ってくれない?あの人ずっとここにいて邪魔で仕方がないのよ」
さゆりはウインクを飛ばして、ぐってりしている遼を指した。


町中を歩けばそこかしらと声がかかる。遼はさゆりに診療所を追いだされ、香と一緒にお散歩に出された。
最初はぶつくさ言いながらも、遼は「しゃあないねえ。香付き合えよ」と香の頭をぐしぐ撫でて一緒に外を歩いた。
さゆりなりに気を使ったのだろうが、(んなことしなくても、わかってるさ)香のことが心配で気になるのは、トメさんやさゆりだけではない。




地元の小中学校の前に通れば、「あ、先生」とわいわい声がかかる。それを見て「おー」と手を上げて返事をする。
香は慌てて遼の白衣をぐっと握った。ん、遼はちらりとそんな香の様子を確認してさりげなく白衣に突っ込んでいた右手を取ってその香の手を掬い取るように手を繋いだ。
ぐっと力強い手に握られ、びくりとした香だが、遼は気に留めることもなく歩き出した。
通り過ぎていく学生達と軽く言葉を交わしながら、その場を離れた。

この町は山が近いし、その分自然が多い。農業や食べ物の栽培に力を入れているし、都会よりぐっと人付き合いが近い。
遼は近くで、駄菓子屋を見つけると無造作に白衣に入っている小銭を取り出して香に菓子を買おうと提案した。
どれがいい?と聞いて香にチョコや飴を見せた。するとお店のおばあちゃんがにっこりと笑って、
「ええ子やねえ…トメさんのお孫さん。確か…かほりちゃんだっけねえ?」
「か、お、り だよ」遼は相変わらずだなと苦笑いをして、見上げる香の小さなつむじを撫でた。

その後おまけに、とチューペットを貰った。半分に折ろうとしてぐっと力を何度も入れなおす香を見かねた遼は、すっとチューペットを取って、ぱきんと割った。
ほら、とまた香に渡せば、少し唇を開き、真ん丸い瞳を開いて、くいっと遼のよれよれの白衣を引っ張った。
ん、どうした と温かに見せた遼の眼差しに、香は口ぱくでも、確かに言葉に表した。

ありがとう――

遼の目に映った香は、まるで大人のようにおとなしく、不器用でありながらも、まだ未発達の感情が少し露和になった瞬間だった。
香は遼が自身を見つめる瞳が、家族のように温かいものだと感じていた。
さゆり眼差しも、近所の人たちが向ける瞳も…本当に温かいものだと、実感していた。

うっすらと見える山と近くに見える山。緑が多くって、田んぼや畑に、色んな作物が見え隠れしている。歩く人や駆ける人。信号の点滅や、楽しそうに笑う声―
その時「ママ―」と道路の端っこで親子や子供たちの声が聞こえた。その途端、遼の後ろをついていた香は、足を止めた。
いつのまにか両膝が折れて、道路についた。ぐすぐすと鼻の奥がつん、として、ぐっと拳を握った。チューペットの甘い汁が零れて、ぽたぽたと地面に落ちた。
その様子に気づいた遼は慌てて引き返して、膝を抱えて座り込んだ香を見た。じりっと靴が鳴り、遼は香の前で屈んだ。

香の目からぼろぼろと涙が落ちていた。

トメさんから聞けば、香は事故にあってしばらく意識を失って気づいた時には声を失っていた。だから事故以来、泣いていないのだ。
「……香」遼の言葉が落ちる。ふるふる首を振って、硬直する香。
チューペットが地面に落ちて、右手で喉元をつねる様に何度も唇を噛んでいる
遼はすっとその手を掴み、香の顔を包むようにして、もむように触診を始めた。
よっと香の頬を囲み、つねって赤くなった喉元をひと撫でして、まるで兎を胸に抱くように香を掬うように、ぐっとだっこした。

声が出ない香は飲み込むように泣いていた。目が見開いて、息がしずらく、発作のように。遼の白衣を引っ張るようにして丸まった背中をさすった。微かに消毒液の匂いが、遼からした。







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