その後、喉元なども触診しても異常はなく、
遼が見る限りも精神的なものに間違いはないだろうとトメさんとも話した。
香は言葉の意味をきちんと理解しているし、失語症ではなく「失声症」だと判断した。
失声症の主な原因はストレスや心的外傷など心因性で、声を発することができなくなった状態である。
だが、発声器官に問題はないので完治は、患者自身の歩みで回復させていくしかない。
ある程度の服用やリハビリもあるが、香は事故にあったばかりである。今はこちらで療養するのが良いだろう。
こくんと頷いたりする香はあまり顔に表情を作らず、ずっとトメさんの服の端を握っていた。


トメさんが話すには、本当はもっと明るい子だそうだ。
義理の娘になったお嫁さんに似て、整った顔立ちだからそれはそれはかわいらしい笑顔で、元気な声は香を惹きたてていた。
特に少し年の離れた兄になついて、いつもくっついて歩いていたし、頼りにしていたという。
今は両親共に兄も他の病院で入院して治療していると話してあるが、…事情を知っているからこそ心苦しい。
そうして、しばらくはトメさんが面倒を見るそうだ。ここは空気もよければ、緑もたくさんある。療養するにはとっておきだ。
トメさんは優しげに、皺の刻まれた手を香の背中にあてて何度もさすって、
「香ちゃん。りょーせんせいとさゆりちゃんだよ。大丈夫、声もきっと出るようになるからね。ゆっくりでええんだよ、ゆっくりで」
まるで昔話をするように紡いでいくトメさんのようようとした声が優しく響き、慈しむように目じりを細めた。
こくん、そうして頷くことしか出来ないが、香にとって精一杯の返事だった。


都会育ちの香だが、久しぶりに会ったおばあちゃんに手を引かれ、畑や色んなご近所にあいさつをされて、少し緊張しているようにも見えた。
小学生だけど、泣かなければ、怒りもしない。感情が嘘のように消えたが、それは一時的に固まっているだけ。
そんな感情を露和にしない香に、遼は根掘り葉掘り聞くこともなく特に自然といる。
とても、香には不思議な感じがした。
そう思うのも、向こうの病院にいたお医者はとてもこわかった印象があったからだ。
マスクをつけて―きびきびと診察をして香に質問してくる医師はとても遠くに感じて、
やたらと目に入る白がこわくて仕方がなかった。ママもパパも―兄も。
みんなに会えないまま、こっち連れてこられた。だから、本当は不安で仕方がなかった。
(でも…ここの先生は違う…?)

そんな事を香が思っているのも知らず、遼はハミングをしながら、机に向かってカルテを書いていた。
と思ったら―遼がふと、隣でカルテを受け取ろうと待っていたさゆりのお尻をちらりと見た時、表情はチーズのようにとろけた。
(……?)
その途端その気配を感じ取ったのか、さゆりがぐいっと遼の手を汚物を摘むかのようにぎゅっとつねって、
「あの世に、一名追加されたいの?」
(真面目になさい)と、注射器を持って言われている場面に遭遇した香は、びっくりしたようにポカンとして目をぱちぱちとさせていた。
その後、いささかその空気を察した二人が「「あはははは」」
じょーだん♪と額に汗をくっつけて、いそいそと平常心を保とうと違う話題へ移らせた。
(その後、さゆりは遼の頭を引っぱたいていたのだが)



それからなんだかんだあったものの、香はトメさんの付き添いがなくても一人で来るようになった。それでも中々香が声を出す兆しを見せることはなかったのだが、徐々に香も緊張がほぐれたようで、すっかりさゆりと仲良くなってしまった。
時々さゆりが香の髪をいじっていたりするのを見れば、仲の良い姉妹にも見えた。
相変わらず表情は作れていないも、穏やかな空気を感じるのは気のせいでもないだろう。
(ま、時間はかかるだろう)
遼はそう思いながら、香用に椅子を用意した。たまに遼が他の患者さんと話す談笑にいつのまにか混じっている。

特に笑わないが無表情でもない。
感情は死んでないし、ただ上手く「かたち」に出来ないだけ。
診察にきた(話をしにきた)患者さんは、診療所にいる遼の横でちょこんと座る香を見て、「あんれ、かわいい子じゃないかい。りょーちゃん、とうとう結婚するのかい」
冗談を言って、近所話をするお年寄りの話に耳を傾けながら、香はさゆりから貰ったミルクを飲んでいる。
「おいおい、じーさん。薬を貰いにきたのか、診察をしてもらいに来たのか、どっちなんだ」
半眼になりながら、カルテを書く遼の仕草を香はじっと見ていた。
気だるそうに言う遼はなんだか医者らしくないが、患者さんはとても楽しそうに「診察」を受けている。
(……不思議)
香は心の中で思った。

でも確かに遼の白衣は香にとっても、とても眩しかった。







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -