あの人の名前はリョウ。小さい頃から知っていた。少し大人びていて、顔が良いがあまり良い噂はなかった。彼の両親は共働きで常に家にはいなかった。私の両親も家にいない事が多かった。だからいつも家の裏にある向日葵畑に一人で迷いこむのが好きだった私は、迷子になるとはわかっていてもやめれなかった。花はいつも私の傍にいて優しい香りで包んでくれたから。
夕暮れ、日が傾いて来た時にやっと状況に気付いて「あーん」と声を上げて泣いていた。高い向日葵たちに囲まれた私を誰も見つけてはくれないし、誰も気付かない。両手で顔を覆って膝をまげてぐすぐす泣いていると決まって、リョウが現われる。ここでは珍しい花を一本私に持たして、めそめそなく涙を止めてくれた。そして何も言わず私の手首を握り、向日葵畑を掻き分けながら沈みゆく夕日に目を細めてそこから向いに着てくれた。
普段何も話さないし、遊んだりもしないけど、年上だったリョウはここぞとばかり現われる。この町でリョウの噂は酷かったが私はリョウが大好きだった。いつのまにか、手首を掴んでいたリョウの掌は私の掌にかわり、ぎゅっと握り締めてくれることに微かな喜びを感じていた。



14になった頃。すっかりお洒落に目覚めた私は親友のポーラと出かけたり、恋というものに、ときめきを馳せていた。その頃ではすっかり向日葵畑には行ってない。さすがに学習したのだ。でもその代わりリョウとは会わなくなった。今では彼は町で有名な遊び人だと噂になっている。彼の家は貴族なのに、彼の父が色々騙され財産を奪われた頃からその噂が酷くなったのは覚えている。けれど嫌いにはなれなかった。結局、町の人達はただの噂に躍らせているんだと私は思っていた。

そんなある日、もう一度向日葵畑に行ってみたくて、こっそりまたあそこへ潜った。微かな期待が私の胸を焦がしたのだ。向日葵を掻き分け、すっかりあの頃より背が高くなった私は、小高い原を目指す、そこで少し、向日葵を抜けた所でリョウの家が見えた。目をこらした時、私はその家の窓で真っ赤なドレスを来た女性がリョウの首に手を回し、あついキスを送っている所が映っていた。やけに心臓が鼓動打っているように感じた。苦しくて仕方がなかった。アレは、私の親友のポーラだ。そしてキスを受け入れているのはリョウ。それから向日葵畑には一切寄ることはなかった。


17になった頃両親が私に婚約者を連れてきた。良い人で町で少し有名なお金持ちの人だった。両親は大変喜んで、私も素直に受け入れることにした。婚約者はとても優しくて、私に多くの贈りものを贈ってくれた。美しいドレスに髪飾りに指輪――
これまで花を愛でていた私は、それよりも高価な装飾たちに圧倒され、満足した。金のシンプルな指輪は永遠が記され、この人と添い遂げるのだと思った。それが幸せなんだと薬指にキスを落とした。半年後、私は結婚する。

少しずつ、荷物を彼の豪邸に移し、着々と準備に取り組んだ。ポーラは心底幸せそうに私の手を握ってお祝いしてくれた。ポーラもボーフレンドと仲良くやっているみたい。もろん、相手はリョウではないようだけど。
そんな、ある日リョウが私の前に現われた。何を話していいかわからない。元々そんなに話たことはない。彼は無口で、私も恥ずかしがりやだったから。リョウは、私に銀の指輪を渡した。私はただ驚いて意味がわからなかった。
それは「愛の指輪」だったから。途端に脳裏によぎったのはポーラと熱いキスをするリョウとポーラ。気付けば、暴言吐いて指輪を捨てていた。「そんな地味な指輪いらない」精一杯の嫌味だった。結局、リョウは噂通りの人だったのだと。自分に言いつけた。
「明日の夕刻、向日葵畑に来てくれ」リョウはそう言ったけど、彼の瞳を見るのが怖くて、私は返事も告げず逃げ出した。結局向日葵畑に行くこともなく時間は過ぎた。そしてその後にリョウが町を出たことを知る。半年後、式を挙げて私は「幸せ」を築く




子どもは3人出来た。最初の二人は男の子で三人目は女の子。夫も私を労わり、本当に素敵な家族だった。一番上の子は夫の事業を引き継いで一番下の子は結婚した。そして来年は次男も結婚する。優しい子で、私のしわがれた手を持って「母さん」と案内し、婚約者に会わせてくれた。そうしていつしか孫が出来た。男の子で背が低いが、頬にある茶色いそばかすがこの子の性格を表していると思った。本当に気のきく子で夫に先立たれた私の屋敷へよく遊びに来る。ある日、孫は私を連れて私の実家へ連れて行ってくれた。すでに両親はずいぶん前に先立ったので、家は空き家だ。けれど、あの向日葵畑はまだ生き生きとすくすく育っていた。

ああ、なつかしいほどの香と眩しい黄色とオレンジに目を細めた。もう思い出になってしまった。すっかりしわがれた手を見た。すべすべで若かった手はもうない。杖をついて、畑の中へ行く。あの小高い所を目指した。孫は私の肩を持って、誘導してくれた。
向日葵を抜けた所、そこには向日葵ではない、息を呑む程の色とりどりの花が美しく咲き乱れていた。それはどこまでも向日葵畑の大きさを越えて、遠くまで続いている。こんな光景は初めてだ。何時の間にこんな花が咲いていたのだろう。どれも種類が違う。この辺にはない花々。きっと各地から種を持ってきたのだろう。風の中で花々の香りが、ざわっと私の中で膨れた。

―ええ、そうね
わたしは、これを誰がしたのかわかってる。

圧倒する花々の絨毯の上でしわがれた両手で顔覆い、膝をついた。驚いた孫が私の背中を摩って、「大丈夫?」と何度も聞いてきた。ぼろぼろと皺だらけ頬に涙が落ちた。

リョウはポーラと何もなかった。そして多くの女性たちとも。

結婚して子供が出来た時に知った。ポーラが無理強いでリョウに迫ってキスをした事。
ポーラの唇から零れるリョウは、私が小さな頃に知るリョウだった。リョウの両親は彼が16の頃病と事故で亡くなったそうだ。彼に残されたのは家だけ。しかし、昔は貴族だった事を逆恨みしたある一人の商人がリョウの噂を流した。それは広まり、もともと無口だった彼に間違った印象を植えつけた。リョウは頭が良くて顔も良くて、たぶん町を出たら、きっと事業を起こしてやっていける。ポーラをそういって口をつぐんだ。でもリョウは時々帰ってきては向日葵畑へ行くという。よくわからないが、一日中もあれば何週間も居て、ふらりと町を出て行く。そんな奇妙な行動がずっと続いて、気味悪がられ今でも伴侶はいずにいる。と。

日は暮れて、夕暮れは眩しいほど煌いている。そんな私の薬指には今でも金の指輪が輝いている。でも、もしこれが銀の指輪だったら、私はもっと違う私だったのだろうか。けれどこの優しい孫には会えなかっただろうか。

ああ、ああ、リョウ
私にもっと勇気と聡明さがあれば。
もっと明るく、あなたを追いかけていく事が出来たのに。

あなたに無言の返事を押し付けてしまった私を許して欲しい。声を押し殺して泣いた。あの無口で不器用なリョウがずっと此処で待っていたこと。一番本当のリョウを知っていたのに知らない振りをしたこと。むせ返るような花の香。私はリョウの花束ではなく、高価な宝石を選んだ。きっとそれだけのこと。この香りをあなたに贈り返したいわ。リョウ



Fin

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