タン タンタンタン電車の踏み切りの音が聞こえる。
夕暮れの薄暗い街頭には微かにどこかしらの家庭の献立の匂いが立ち込める。
しゃかしゃかと左手に揺れるビニール袋の中にはどっさりと今日の晩御飯の材料が詰まっている。今日はロールキャベツだ。中身はとろりとした肉汁がでる得意の料理だ。
寂びたパイプの階段を駆け上り古びたアパートのいつも見慣れた、槇村と表札がかけられたドアをひいた。「お兄ちゃん」玄関にはすでに香がいた。小さな香。
はねた髪とまだ丸く小さい顔とまんまるい目を大きくぱっちり見上げ、心底嬉しそうに「おかえり」とぴょんぴょんと跳ねた。
靴を脱いで、「ああ、ただいま」傾いた眼鏡を片手で戻しながら玄関に買って来た具材をおいた。
「今日は、何?」と小さな手で重たいビニール袋を持ち上げ、とてとてと台所へ向った。
大丈夫か と香の後ろで様子を見ながら、
「お腹すいただろう、今日はロールキャベツだ。香、お前もエプロンとって来なさい」はーい と返事をした香から買い物袋を受け取り、テーブルに置いた。

学ランをぬぎ、壁に掛けてある水色のエプロンを取り出し制服のシャツの上から着た。
香はうすい桃色のエプロンを見につけながら今日の晩御飯を手伝った。これは半年くらい前から始めている日課である。香が自ら進んで手伝いをしたのをきっかけに、少しずつだが料理を教えている。といってもほんの手伝いなのでそんな本格的なことはやらしていない。まだ小さな香がするには危なくて気が気でなくなるからだ。
手伝いだけでも要領が自然と入れば、後から応用していける。いつかくる 香の将来の為に。
「お兄ちゃん」
小さな手はいつも僕の服の袖をもった。しばらくすれば温かい蒸気と外と同じ夕御飯の匂いが広がるだろう。

御飯も食べ終わり、月は夜の真ん中へとぽっくりと浮いている。
お風呂と明日の身支度をすませ、夜遅く、香は「こわい」と目をこすりながら布団の中に潜ってきた。今は背中にぴっとりついている。きっと昨日やってた心霊特集の番組のせいだろう。
すーすーとあたたかい息遣いとぬくもりで、その存在のあたたかみを感じる。
時々、お兄ちゃん むにゃむにゃと呟く寝言に目を細めた。僕にはもう香しかいないし、香も僕しかいない。

お兄ちゃん

おにいちゃん

「兄貴!」
はっと目が覚めた。目の前には目元を吊り上げた香がいた。あの時からとはまったく違う香。
背は高く目線が近い。髪のくせはそのままでも目元はすっきりと輪郭は丸みがありながらも、くっきりと成長しきっていた。といってもしぐさはまだまだ女性らしいわけではなく、まだどこか子供っぽく少年のように無邪気だ。
またも傾く眼鏡をなおしながら「大きくなったな、香」としみじみと口にすれば、はぁ?と眉間をひそめて首をかしげた香に、「いや、なんでもない」と苦笑いした。
そう、今日は香と夕飯を食べに行くところだ。
刑事の時は忙しくてあまりかまってやることも出来なかった。
香は「へんなの」と言い腕に手を絡め、暖をとるようにくっついた。こういう所は昔からかわらない。ふと笑みがこぼれた。

香は来年、二十歳になる。兄である俺が言うのもなんだが、…美人であると思う。性格に少々難はあるが料理は中々だし、勝気で男っぽく見えて、本当はとても寂しがりやだ。鈍感に見えて一人になると悩むことは香のくせだ。
来年になれば、香に指輪と共に真実を告げなければならない。
香のことだ、きっと受け入れつつも「槇村」であることに変わりなく過ごすだろう。しかしきっと胸の奥でひっかかり、香にとって何かしらの節目にはなるだろう。
だがきっといつかそれを受け入れ、香と共に生きる男が現れる。香を慈しみ、香の傍にいる誰かが。
ポケットに最近からずっと入れっぱなしになっている指輪の小さなケースを手に、ぐっと力がはいった。

明日からは遼とXYZの依頼でまた忙しくなるだろう。明後日も冴子に情報を渡すため会う約束もしている。
「香、今日はたくさん食べろよ」「何、いきなり」
いぶしかげな香、寒いのか白い頬は赤く染まっている。息は白濁してふわふわと空気に溶けていく。

かおり、
二十歳になったら話すことがいっぱいだ。
その区切りの節目に、伝えたいことがたくさんある。
お前の本当の家族や、父さんのこと、そしてこれからの事。
俺の仕事、遼も含めてたくさん話し、
そして――出来れば冴子という存在も。

(おにいちゃん)いつから呼び名がかわったのだろう。小さな香はいつだって迎えてくれた。
あの小さな香がこんなにも立派になったのだから、その時がきたら指輪と共にわたす真実と、変わらず兄として引き続き祝ってやりたい。
びゅうと吹く風に古びたコートがぱたぱたと揺れる。雑音が入り混じる新宿。
だが鼻歌を口ずさむ香の歌はひどく、大きく、それが優しくエコーのように体に染みこんでいった。








運命は必然であり偶然である
のちに1年後、槇村秀幸はユニオンテオーペの組織に殺害される。
遼に指輪と言付けをたくし、彼の最後、雨に体温を取られながら閉じゆく瞼にゆっくりと浮かんだのは、将来を誓い合いたかった者と見守り続けたかった者、二人の女性の姿だった。

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