私は雨の中を走っていた。肌寒く、傘からはみ出た肩はすでにびちょびちょだ。
足元でぱしゃりと跳ねる水音。そこで小さな女の子が交差点の真ん中にいるのが見えた。
車のクラクションが響き、私の体はいつのまにか傘を捨て去り、少女を突き飛ばしていた。体は宙を舞い上がり、すべてはゆっくりと、永遠を刻むように思えた。
幾度なく遼と共に死線を乗り越えてきた。いつも、がむしゃらに這い登ってきた。だからこそ頭の中は冷静にすべてを見据えていた
もう、おしまいみたい
諦めたつもりも、諦めたいわけでもない。ただわかったのだ。衝撃と悲鳴と痛み、すべてが私の体へと吸い込まれていった。
冷たいコンクリートの上で絶え間なくふる雨。薄くあいた瞼の向こうは、溢れんばかりの雨で意識と共に水没していく。
(香、)どこか遠くの方で誰かが私を呼んでいる


ごそりと寝返りをうった時、意識は浮上して朝の静けさに気付いた。瞼を開けて、時計を確認するとまだ朝方の6時半過ぎだった。
「ゆめ、」からからになった唇はいつのまにかそう呟いていた。
固まってしまった体をほぐすように首と腕を回し、隣でぐーすかと寝ている遼を起こさないようそっとベッドから起き上がった。
出来るだけ音を立てないよう静かに窓のカーテンを開ける。新宿はまだうっすらと朝もやで覆い隠されている。
ゆめ、にしてはとてもリアルだった。
今でも体全身雨に濡れて、コンクリートに預けていた感覚は逃げない。
(ね、遼 もし今日の夢が予知夢だとしたら私はわりとあっけなく死ぬのかもしれない)
なんて、皮肉めいた冗談を思いながら慌てて頭を振った。縁起でもない―
こんなこと考えていたなんて遼に言えば、きっとおしおきと称してしばらく部屋から出してもらえなくなるだろう。
遼は、そういう、私の「死」に関しては禁句だから。

気分を変えようとぐっと背伸びをして、服を着替えて早めの洗顔と洗濯物を出した。リビングへいって、まだ薄暗い部屋の中でTVを付けた。音量は小さめに。
壁に貼られていたカレンダーについっと目線を向ける。そこには赤いマークをついている。今日ではなく明後日の場所に。
その明後日、私はウエディングドレスを着る。といっても結婚式ではない。
ただ遼に無理を言って写真の撮影だけでもと哀願したら、遼がしぶしぶ受け入れてくれたのだ。ま、多分あいつのことだから、結婚式もしたいと哀願すれば、なんだかんだ叶えてくれるだろうと思うけど。そんな野暮なことは言わない。
式で誓いをたてるなんて、私達には合わないし。もちろん誓いはある。だけど今更神様に聞いてもらうつもりはない。

私は私に誓い、遼と共にいたいのだから。

まだ安眠しているパートナーを思い浮かべ、妙にくすぐったくなった。
TVには早めの天気予報が映し出され、週間天気予報を確認した。すると見事に明後日は雨のマークがついていた。
ふとぽたぽた、いつのまに頭の中で鮮明に雨が降り出した。そこでぼうっとTVに映る私が私を見つめている。
雨。女の子。水溜り。交差点。車。
(かおり、)くらりと眩暈がする。こめかみを押さえ目を閉じた。
「香、」
声が私を呼び起こした。はっと振り返れば、いい年して寝むたげに寝癖をつけた遼が立っていた。気だるそうなのにその漆黒の目は私をしっかり捉えていた。
なんでもなーい、そう告げていつものように憎まれ口を叩きながら、私達の日常は始まった。
「起きんの、早すぎじゃねーの。とうとう年寄りの仲間入りか」
「バカいってんじゃないの。アンタだってそうじゃない」
いつものように軽口を叩いていれば、リビングはいつのまにか徐々に明るくなっていく。
あたたかい珈琲の匂いが立ち込めて、心の中で遼を起こしてしまったかな、と少し申し訳なく思った。
ソファーに座る遼の肩にコテン、と凭れる。
こんなこと、前ならありえなかったけど、プロポーズを受けてからは、よく遼にくっつくようになった。
そして最大の変化で、遼はソレを何も言わず受け入れてくれる。今も何も気にしないで、TVのチャンネルを回している。ちらりと顎したから見上げた遼は、いつもの、遼だ。
私は途端に胸が締め付けられ、遼の右腕に手を通して、まるで抱き枕のように抱きつけば、遼は少し驚いたように此方を見て、「どったの、香しゃん」とおどけている。
なんでもない、そう告げれば、遼はしれっと私の腰を持ち上げて自分の膝にのせてくれた。正面を向き合うような格好に私は必然と遼の胸に顔をうずめる。


あたたかく、すべてから守ってくれるこの人を、愛し、ずっと共に在りたいな
そう、心底思って瞼を閉じた










次に瞼を開けた時、遼は白いタキシードを着ていた。とても不似合いだけど私はその姿がとても愛おしかった。必死に私を呼んでいた。
「かおり、かおり、かおり」後頭部からじわじわと白く濁ってゆく。
でもやっぱり冷静に私はその声に傾けた。瞼がおりてゆくと共に遼はよりいっそう私に縋り付く。
こんな必死な遼は初めてかもしれない。いつも美人な依頼人に あんなに必死になってたくせに、  






「香、」
視界はそれ以上何も映すことなく閉じていった。

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