香さんが亡くなって一ヶ月。彼女の葬式には多くの人が訪れたが、そのお棺の中に彼女はいなかった。凶器に狂った連中に体を抉られては切り刻まれ、痛みの中、依頼人の無事を確認すると共に出血多量で亡くなった。後で駆けつけた遼は体を血だらけにして、香さんの遺体を新宿へと連れて帰った。そのあまりにも痛々しく酷い遺体は、とても常人には見せるべき姿ではなかった。途方にもなく悲しみがすべてを包んだが、結局香さんが亡くなっても世界は続き、新宿は活気を見せてどんどんと新しく進化していく。でもただ、その中で取り残された人達がいることは確かだ。香さんの遺体を保管場所で見た美樹さんは泣き崩れ、そのまま寝込んでしまった。ファルコンはずっと介抱をし、最近やっと落ち着いてきたという。
「冴子」私はいつも通りに警察の仕事に明け暮れ、父のお見合い話の持ちかけに呆れながら電話を切る。ピ、と携帯をポケットに納め、ため息をついて空を見上げた。薄暗く鼠色のどんよりとした空からはパラパラと雨が降っている。(今日は遼の様子を見に行かないと…)雨が本格的に降る前に車に乗った。せめて彼女の死に方があんなにも残酷ではなかったら、何か救いようがあったのかもしれない。香さんが亡くなって一番つらいのは遼だった。いや、当たり前ね。だって彼はどうしようもなく、どうしていいかわからない程に、彼女を愛していたんだから。



りょう、そう言ってアパートの玄関を開けた。合鍵をコートに突っ込んで、そっと呼んだ。返事はない。薄暗い中は以前、香さんがいた時とは比べ物にならない程に悲しみで溢れていた。ヒールを脱いでそのまま部屋をあがった。リビングへ行くと遼がいた。ソファに座る遼はどこか生気がない。少しこけた頬。酒やら雑誌が散らかっている。見るも無残に彼は心底孤独になってしまった。私は「遼…」と零し、暗い部屋の中のカーテンを開けようと手をかけた。「やめろ」ぴたっと手を止めた。とても静かで縋るような声だった。
光を見たくないのだろう。でも、それでも世界は外はとても眩しいのよ。私は、遼へと体を向けた。だけど遼は冴子の方を見ないで、ぼんやりと壁の向こうを見ていた。冴子は困惑の目をして遼の見る壁の方を見た。そして、驚愕した。
「か、おりさん」
そこには白く、しっかりと立つ香さんがいた。どこかやるせない様な、せつなさそうにした表情だった。酷く白い肌に唇がほんの少しだけ色づく姿と異様な雰囲気は、彼女が確かにこの世にはいない存在だと示していた。
「――遼 一緒にいこう」香さんはその白く滑らかな手を遼へと差し出した。ぼんやりと光っている体で、優しくも出た声は確かに遼を呼んでいた。冴子はすぐに遼へと向き直った。そこにはさっきまでとは違う、瞳孔が見開き、失った彼女を求める純粋な遼がいた。だが、冴子は「だめよ、遼」と首を振った。すべての感覚が警鐘を鳴らしていた。
いっては駄目―!
冴子は遼を止めるように縋りついた。「遼、聞いて、駄目よ!」
私は震えながら遼の服を引っ張った。そして香さんを睨みつけた。

違う、香さん 
あなたはそういう人じゃないでしょう
遼には生きて欲しいって言ってたじゃない!
冴子はそう叫んだ。いつのまにか頬には涙が伝っていた。唇をかみ締めて、遼の前を立ちはだかった。相変わらず香さんは、やるせないような瞳でゆっくりと答えた。
「もういいの このままじゃ、遼がおかしくなってしまう」優しい音色のように話す香の片目が薄く発光してきている。確かに、香さんが亡くなって遼はどこか狂ってしまった。時間が止まったかのように、誰にも見せないように周りには悟られないように、ひっそりと死んでいくようなものだった。だからこそ、冴子は槇村を失った自身を知るから遼の気持ちを汲み取り、時々様子を見に来ては世話をした。こんなのおかしい。だが冴子は頬に伝わる涙の横で見えた遼の表情を目にして

思わず両手で「ああ!」と顔を覆って。咽び泣いた。「香―」
遼は、香が亡くなって、初めて生きた心地がしたような表情だった。ほんとうに焦がれて、少し濡れたように感じる黒い瞳は慈しみを抱いていた。
本当に愛していたのね
本当に本当に愛し合っていたのね

冴子は涙で化粧も剥がれ落ちた顔を少しだけ上げた。手の甲で鼻や涙を拭った。なんでなのよ。槇村は迎えに来なかった癖に。悔しいような愛おしいような彼のくたびれた背中を思い出しながらも、ただその光景に目を細めた。香の隣にはすでに遼がいた。二人で背中を向けて、香は遼の腕に手を絡ませその肩に頭を預けて寄り添った。そこには血だらけで切り刻まれた香の姿はいない。遼はそのぬくもりと重さに目を細めて冴子の方へ振り返った。冴子は未だに流れる涙をそのままにして頷いた。わかったわ。もうわかった。心の中でそう告げると二人は白く眩く発光しながら消えていった。


ソファの上にはたった一つのパイソンだけが残されていた。




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