通り過ぎた花香り

あの衝撃的だった事件の後、左近寺が本番中に命を落としたと風の噂で聞いた。
なんでも、塗られていたリンがどうとかで証明の明かりによって発火したというのだそうだ。実際、彼のマジックを見に行ったわけでもないので詳しいことはよくわからないが、多分これは遙一の思惑通りなんだろう。あの時見せた笑みの理由。やっぱり彼はここで終わるつもりなんてなかったんだ。
それは後日、明智警視と金田一君に遙一が脱獄したと聞かされてより一層、私の予想は真実だと裏付けることとなったのだ。

「なので、もしかすると貴女にも高遠から接触があるかもしれません。もし見かけたら焦らず、すぐにご連絡を」
「はい。わざわざすみません」
「……大丈夫っすか、ミョウジさん」
「うん、平気よ。ほんと皆さんにはなんとお礼をしたらいいのか」
「いえいえ、お気になさらず。それよりミョウジさん、今はどうされているんです?」

明智警視の問いに私は紅茶に口をつけ、笑顔で答えた。

「あれから左近寺もあんなことになってその時、遙い……高遠に言われたことを理解したんです」
「言われたこと、とは?」
「貴女には貴女の輝きがある、埋もれさせてはいけない。そして近宮玲子とは違うって。私、この言葉をずっと誰かに言ってほしかったんだと思うんです。自分では前に進めなくて、誰かに背中を押してほしかった」
「ミョウジさん」

そして、私はカバンからあるものを取り出して二人の前に置く。
多分、こんなことがなければ私は一生、燻ったままだったのだろう。それは遙一が言ってた通り、輝きとやらを埋もれさせてしまっていたのだ。

「これは?」
「再来月に行われる幻想魔術団のマジックショーのチケットです」
「え、もしかして」
「ええ、あんな事件の後、みんなでどうするかって話し合ってね。もちろん、世間からの風評も酷くて解散するっていう案も出たんだけど、私どうしてもこの魔術団を失くしたくなくて……」
「へえ、ってこれミョウジさんが団長じゃん!!」

金田一君はチケットの裏に書かれたスタッフの名前を見たのだろう。そこには団長のところに私の名前が入ってあった。店内で大きな声をあげた金田一君に他のお客からの視線が集まる。すみません、と顔を赤くして謝る金田一君に明智さんは小さく息を吐いた。
相変わらずだなあ、と私はくすりと笑う。

「我が幻想魔術団が誇る数々のマジックをぜひご覧になってくれませんか?団長である私をはじめ、腕のあるマジシャンたちが貴方たちを美しい奇術の世界へと誘ってみせましょう」
「ほう、ようやく貴女のマジックが見られるというわけですね。それはそれは楽しみだ」
「これ、美雪たちも誘っていいっすかね?」
「もちろんよ」
「それではこんな素敵なプレゼントのお返しに貴女にはこれを」

そして明智さんの懐から出てきたのは、あの事件のきっかけとなったトリックノートだった。それは遙一に贈られた紛れもない近宮先生の想いが詰まったノート。
けれどこれは遙一が刑務所まで持っていったものじゃ……。私の考えを呼んだのか明智さんは語る。

「これは高遠が脱獄の際、留置所に置いていったものです。中に貴女に渡すようにとのメモがありました」
「え」
「幻想魔術団の団長として、このノートは必要になってくるでしょう。これをぜひ、貴女に」
「……ありがとう」
「ミョウジさん、そのノートの最後のページを見てくれよ」
「最後?」

そう促す金田一君に私は首を傾げながらも言われた通りにそのページを開いた。
すると、そこには近宮先生の綺麗な字が英語でつづられてあった。

「『貴方が一流のマジシャンになった暁には、同じ舞台に彼女が立っていることを望む』これって…」
「この彼女ってミョウジさんのことだと思うよ。多分近宮っていう人はきっと自分の息子とそして娘同然に可愛がっていたミョウジさんが同じ舞台に立つのを楽しみにしてたんじゃないかな?」
「そんな、うそ……」
「それともう一つミョウジさんに伝えたいことがあって」

ノートにかかれた先生の願いに私はただそれをを握る手に力を込める。私はこみあげてくる感情を必死に抑えようと努めるが、結局金田一君の一言で決壊したのだった。

「あの時、高遠はミョウジさんをスケープゴートにするために利用してたって言ってたけど、そう考えるといろいろ不自然な点が浮かんでくるんだ」
「不自然?」
「夕海さんと由良間さんの殺害の仕方だよ。もし高遠がミョウジさんを本気でスケープゴートにするつもりだったのなら、あんなトリックにはしないはず。だって高所恐怖症のミョウジさんにはどうやったって実行不可能だからね」
「けど、高所恐怖症のことは近宮先生にしか言ってなかったし、彼が知らなかったっていう可能性も……」
「いや、多分高遠は知ってたよ。だからあえてこのトリックを使った。もしあの四人が殺害されれば真っ先に疑いがかかるのは動機が十分にあるミョウジさんだ。だからこそ高遠はミョウジさんに疑いの目を反らすためにわざとしたんじゃないのかな」

金田一君の推理に私は目を見開いたまま、彼を凝視する。だって、そんなこと急に言われて信じろって方が無理な話だ。だって、あの時の彼は非情でとても冷たい目で私を見てたのだから。
それでもそんな私の心境とは裏腹に目頭が熱くなるのを感じてしまうのは、まだどこかで彼を想ってるからだろうか。

「最初はどういう理由でミョウジさんに近づいたのかは分からないけど、どんな理由だったとしても高遠がミョウジさんに惹かれていたのは事実だと思う。俺、あんまうまく言えないけど、高遠がミョウジさんを見る目ってすごい優しかったんだ。まるで宝物を見るように愛しいっていう感情が込められてて俺でもわかるくらいだったんだぜ?」
「そんな……」
「だから、ミョウジさんを殺さなかったのも自分の芸術犯罪が狂うからじゃなく、ただミョウジさんを殺せなかったからだと……ってミョウジさん!?」
「全く、金田一君。女性を泣かせるなんて酷いものですね。まぁ今回は仕方ないでしょうけど」
「ええ、これ俺のせいなの!?どうしよう!俺、どうしたいいの!?」

結局は金田一君の推理であり確証なんてないものだけど、それでも彼の言葉は私の心に響いた。
明智さんと騒ぐ彼に心の中でお礼を言いながらも、私は遙一を想って静かに涙を流すのだった。


それからというもの、団長としての毎日はめぐるましく過ぎていく。さとみちゃんや桜庭さんと団結して傾いた幻想魔術団を立て直していくのもなかなか難しく、それでも前までとは違うきらきらした日々を送っていた。
そしてあの事件から初めてのマジックショーがあと一か月と差し掛かった時、私はふとある公園へと足を運ぶ。そこでは数人の子供たちが集まってあるものを食い入るように見つめていた。

「さーて、名探偵と地獄の傀儡子の対決はいかに? さあ、今日はここまで。続きはまた今度だよ」
「「えー!!」」

子供たちは続きが気になるのか大ブーイングだったが、しばらくすると親たちが迎えにきて帰って行った。絶対だよ、という子供に手を振り返すのは人形を操っていた男。

「さっきの人形劇、すごかったです。まるで本当に生きてるみたいに動いてて」
「ありがとうございます」
「もしよろしければ、ほかのお話も見せてくれませんか?」
「いえ、今日はこれで最後でして。子供たちに我慢させて貴女に見せるというのは子供たちがかわいそうだ」
「それもそうですね」

そう言っていそいそと人形たちを片付けていく男の顔は仮面をつけていて表情はよくわからない。見せてほしいというのはちょっとした冗談だったのだが、律儀に返す彼に私はくすりと声を漏らした。
すると目の前に突然、三本の真っ赤の薔薇が。

「え」
「その代わりと言ってはなんですが、お詫びに血のように真っ赤な薔薇をどうぞ」
「!……ふふ、とっても綺麗ですね。ありがとうございます」
「いえ」
「じゃあ、私からもこれを」

そして取り出したのは幻想魔術団が行うマジックショーのチケット。細やかなものだけど最大のプレゼントだった。私は笑顔でそれを差し出す。
だけど男は手を前に出して、それを制した。

「すみませんが、それはいただけません」
「どうして?」
「それは……」
「別に来なくてもいいの。ただ私の最初の晴れ舞台だから貴方に渡したかっただけ。ただ私が前に進めたことを知ってほしかった。だから、受け取ってくれるだけでいいの」
「――っ」

息を飲む音が聞こえた。私はチケットを差し出したまま。そして男は観念したかのようにそのチケットを受け取った。

「今更返せと言っても遅いですよ」
「そんなこと言いませんよ」
「おーい!ナマエさーん!!早くしないと電車の時間に間に合いませんよー!」
「あ、私そろそろ行かないと」
「おや、それは残念」
「ほんとにね」
「それでは」
「ええ」

「「さようなら」」


そして、私とその人形劇の男はその場を去った。その後、私はその人形劇の男と再び会うことはなかった。後にも先にも一回限りの邂逅。

「あれ、ナマエさん。その薔薇、どうしたんです?」
「大切な人からの贈り物よ」

そう言って、私は三本の薔薇を抱きしめた。
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