(君が私を忘れたりしないように)

遙一がこの一連の事件を起こした真犯人、地獄の傀儡子という事実に周りはざわめき立つ。それはそうだ。だって私たちが知ってるいつもの彼は到底人を殺せるような人ではない。そういつもの彼ならば……。
指摘された遙一は最初、大きな動揺を見せたがすぐに持ち直して自分ではないと弁明を始めるものの、金田一君の推理に彼の逃道はもはやすべて塞がれた。
信じたい、彼を信じたい。私は確信していたはずなのに、いまだ彼が殺人犯ではないという希望に縋りつきたくなる。
もう証拠はすべて出そろってるっていうのにね。だけれど、その遙一の口から手たのは否定の言葉でもなく、ただ嘲笑交じりの肯定だった。

「やれやれ、折角あと一息で僕の一世一代の大魔術が完成するはずだったのに……。やっぱり君のこと――ちゃんと殺してあげるべきだったね、金田一君」
「よう、いち…」

それは今までおどおどとしていたマネージャーの姿ではなく、マジックの舞台に立つマジシャンさながらの雰囲気を纏った遙一がそこにいた。
私は足が崩れ落ちるのを必死に踏ん張って立つ。今更、驚くことじゃない。私はもとから知ってはずだ。彼の本性に。ただ私はそれを見ないふり、気づかないふりをして、ずっと逃げていただけ。
そして遙一は語る。自分がこの犯罪を企て、実行に至るまでの経緯を。その話に私は再度左近寺たちへの怒りを覚え、それと同時にそんな闇をかかえて生きていた彼のことを気づいてあげられなかったことにおこがましくも酷く胸が張り裂けそうになった

「そういうことで後は左近寺とナマエさんを殺せれば私の芸術犯罪は完成したんですけれどね。全く金田一君。君という存在はつくづく私を困らせる」
「私、も……?」

彼のその発言に私は自分の首にある包帯を思わず触る。

「貴方の殺人計画は左近寺を含めた四人だけではなく、ミョウジさんも含まれていたというのか」
「どうして……っどうしてミョウジさんまで!彼女は5年前の事件とは関係ないはずだ!」

金田一君はまるで自分のことのように顔をくしゃりと歪めて、遙一に食って掛かる。
彼と過ごした時間は短いものだけど、それでもこうして本気で怒ってくれているのは少しうれしかった。
でも、君がそんな顔する必要はないんだよ。そう言って上げられれば良かったんだけど、私は金田一君の行動に目を丸くするだけで、何も言えない。
そんな彼を軽くいなした遙一は微笑を浮かべ、答える。

「関係ない、とは言えませんよ。だって彼女は近宮玲子のトリックノートについてはこの中の誰よりも知っていて、そしてその行方も知っている人物なんですから」
「なんだって!?」
「……ミョウジさん、話してくれませんか?5年前、貴女はいったい何をしたんです?」

近宮玲子が死んだあの日。私は何をしていたか。そんな明智さんの問いかけに私は5年前の記憶を呼び起こしながら話した。

「別に何も…。ただ私は先生の頼み事を引き受けて、あるものを誰にも気づかれないようにある家のポストに入れただけです」
「あるもの、とは?」
「もう分かってるでしょうけど、先生の…。近宮先生のトリックノートですよ」

あの日の先生のとても暖かな母親の顔は忘れない。ノート全てにびっしり書き込まれたトリックの数々は異彩を放ち、書き終えた達成感で輝く先生は私にこう言った。
このノートをある場所に届けてほしい、と。
当時の私は2つ返事で先生の頼み事を引き受け、そのノートの入った小包を受け取った。

「そういえば先生、このノートをプレゼントする相手って……って先生?」
「ナマエ、ありがとう」

それが私が見た先生の最後の姿。そして書かれた住所へ赴き、そのノートを届けて戻ってみると、すべてが終わっていた。

「でもまさか遙一が先生の息子だったなんて……」
「驚きましたか?これはその時、ナマエさんが届けたというトリックノートです」

彼は懐から古びた手帳を取り出し見せる。その手帳は先生が大切な人に贈るのだと慈愛に満ちた表情で眺めていたそれと同じもの。懐かしい、五年前の先生の私物に鼻がツンと来たのを感じた。

「彼女のトリックノートは二冊あったのか」
「ええ、左近寺たちが奪ったのは彼女が自分用に書き写したものでしょう。だからこそ、このもう一つのノートの存在を奴らに知られるわけにはいかなかった。このノートの存在を唯一知ってるのは僕以外にもう一人、ナマエさんがいましたしね」

遙一はこのノートの存在から、この殺人の動機に結びつくのを恐れたのだ。だからこそ、私に近づいて左近寺たちにノートについて何も話してないかを確かめ、そしてこれからも決して他言することはないように監視していた。
もし、彼らにしゃべっていたら私はその場で殺されていたのだろうか。ありもしないもしもの話に私は眉を下げる。

「――じゃあ、どうしてあの時殺さなかったの?」

ぽつり、とつぶやいた私に金田一君たちは遙一から私に視線を向けた。
まさかその包帯…と明智さんは気づいたかのように眉を寄せ、私は首に巻かれた包帯に手をかけ、そしてゆっくりとほどいていく。するすると解かれていく包帯の下から除く黒い痣にこの場にいるすべての人間が息を飲んだ。
そして手の中に納まる白い包帯を捨て、私はみんなに見えるように首を動かしてその痣を見せる。
それは痛々しいまでにくっきりと残された、遙一の手の痕だった。

「なんのことでしょう?」
「とぼけないで。貴方には私の首なんて力のまま折ることだってできたはずでしょ。私まで殺す予定に入ってたならどうしてあの時、躊躇ったの?」

そう、遙一は結局私を殺しはしなかった。そのあとはごめんと力なく謝って痕が残ったこの首の包帯も彼が巻いてくれたもの。だからこそ私は困惑したのだ。そのまま冷たく突き放してくれた方がどれだけ楽か。憎むことだってできたはずなのに、私は未だ彼を嫌いになんてなれない。どれだけ彼がしてきたことを知ってもやっぱり、私は彼のことが好きなのだ。
また熱くなる目頭を抑えながらも彼に向き合う。だけど遙一はそんな私を嘲笑うように口元を歪めた。

「そんなの……貴女をスケープゴートにするためですよ」
「え」
「そうですねえ、シナリオは近宮玲子の復讐をしたのち、自分も近宮玲子の後を追い自殺をする。そういう筋書きですよ。そのためにはあそこで貴女を殺してしまっては意味がないでしょう?」

至極、面白そうにくすくすと笑う遙一に私は言葉が出ない。私を想ってくれていたから、そんな言葉は期待してはいなかったけど、いざ真逆のことを言われるとショックを隠しきれなかった。
すると横にいた金田一君が声を荒げる。

「それだけのために何の罪もないミョウジさんまで!!」
「何を言ってるんです?金田一君、彼女はまだ死んでいませんよ。左近寺同様に、ね」
「そんなこと言ってるんじゃない!あんたたち、恋人だったんだろ!!なのにどうしてそんな簡単に……っ俺から見ても、あんたたちは本当にお互いを想い合っていたっ!それはまやかしだったっていうのかよっ」
「き、金田一君」
「おい!高遠、聞いてんのかっ!!!」
「金田一君!」

久々に出した大声にびくりと金田一君は肩を震わせた。私はごめん、と彼に一言謝る。

「いいの。いいんだよ、金田一君」
「ミョウジさん……」
「私のために、ごめんね」

そう言うと金田一君は何か言いたそうに顔を歪ませたけど、私はただ笑みを浮かべるだけ。大丈夫、私は大丈夫だから。そう彼に告げた。
そんな私たちに遙一はまた声を漏らす。

「何がおかしいんだよ、高遠」
「いえ、何も。ただそうですねえ、金田一君の問いに答えて差し上げたくなった、というところでしょうか」
「どういう…」
「そんなのものは最初からなかった。君の言うまやかしということですよ、金田一君。ナマエさん、貴女はまだ若くそして無知だ。早くに両親を亡くし、親代わりだった近宮玲子にも先立たれ、貴女まるで親鳥を失くした雛そのもの。貴女のその感情は刷り込みのようなものだ。私はその感情を利用したまでのこと」
「―――っ」

刷り込み?私の遙一へ向けるこの感情が違うもの?そんなことない。そう言えたら良かったのに声が出なかった。首を絞められているわけでもないのに息苦しい。息が詰まるような感覚に私は胸を抑える。

「おいおい!いつまでそんな殺人鬼に好き勝手喋らせとくわけ?早くしょっ引いてやって下さいよ、刑事さん!」
「左近寺さん!」
「全く、俺が近宮先生を殺したのどーだのワケわかんねーこと抜かしやがって、そらよ!あんたの言ってたトリックノートだ!」

すると、左近寺は開き直ったように懐からトリックノートを出し、それを床に投げ落とす。それを遙一が拾い上げ、左近寺から受け取った。
その時、嫌な笑みを浮かべていたのは気のせいだろうか。私は思わず遙一に詰め寄る。

「遙一……!」
「貴女は近宮玲子とは違います」
「…え」
「貴女には貴女の輝きがある。決して埋もれてはいけない」
「なにを…遙、一」
「さあ、早く行きましょう刑事さん。私はトリックノートを取り返しただけで満足です」

それから遙一は私の呼びかけに答えることもなく、ただ刑事たちに連れていかれるのを黙って見ているしかできなかった。
こうして人生で一度あるかないかの悲惨な事件は幕を閉じたのだった。
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