戯言 | ナノ




08

セントラルタウンでの一件があってからというもの、ぼくの頭を占めるのは蜜柑ちゃんとの有意義なショッピングのことより、どこからか向けられたあの強烈な視線だった。
あの時の背筋が凍る感覚は未だ忘れられそうにもない。少し前ならばああいう感覚は日常生茶飯事のことだったが、今は世界も過ごしてる環境も違う。つまり久々に向けられたそれにぼくは不覚にもあの世界でのことを思い出してしまったのだ。
だけど、そのあとも警戒はしていたが視線はあれ一回きり。ぼくの考えすぎなのだろうか。
大体ここは学園の中。教師と生徒たちでしか構成されてない場所でそうそう殺気だった視線を向ける奴なんているわけがない。ぼくのよく知る世界ならともかく、ここは普通の学園だ……いや、普通じゃなかったな。
そう、昨日のことを考えながら教室までの道を歩いていると周りのことが疎かになっていたらしい。ぼくは曲がり角で前から来た人とぶつかってしまった。
よほど前方を見ずに突進してしまったから、ぼくはバランスを崩し尻餅をつく。

「っ…すみません」

とっさに出たのは謝罪の言葉。地面に叩きつけられたお尻はじんじんと痛む。

「いや、こっちの方こそごめんね。君、大丈夫かい?」

そう言ってぼくに手を差し伸べたのは金髪の人だった。何故かぼくの顔を見たときとても驚いたような顔をしたけど、なんでだ。
一瞬、金髪という色にあの鳴海先生を思い浮かべたが、目の前の彼は学園の制服を着ている。この学園の生徒なんだろう。
ぼくは差し伸べられる金髪の彼の手をとった。

「すみません。ありがとうございます」
「いいよいいよ。元はと言えば僕がちゃんと前を向いてなかったのが悪いしね」
「はぁ」
「君、初等部の子だね。僕は櫻野秀一。君は?」
「ぼくはアンジェリーナ・ジョリーです」
「…………」
「戯言ですけどね」

この時、ぼくなりに冗談を言ったつもりだったのだけれど、どうやら伝わらなかったらしい。櫻野さんは何とも言えない表情をしていた。

「……っふふ、面白いね。アンジェリーナ・ジョリーちゃんか。長いからアンちゃんだね」
「櫻野さんって見た目に反して天然なんですね。それともわざとですか?」
「初対面の相手に偽名を言う君も君だと思うけど?」

そういって微笑む彼とは反対にぼくは呆れた表情をする。すると、彼は唐突に違う話題をふってきた。

「そう言えば最近初等部に新しく入った子がいるって聞いたけど、もしかして君があの汀目君のパートナーかな」
「……? まぁ、はい。そうみたいですけど」
「へぇ、なるほどね」

パートナーといっても、ぼくはまだ一回もその汀目って人と会ったことないから実感湧かないけれど、やはりここでも汀目君とやらは有名らしい。
そんなに偉大な奴なんだろうか。こんな年上の人にまで認識されるほどの人物。ますます、ぼくの中の汀目像がわからなくなる。
頭の中でパートナーについて整理していると遠くから櫻野さんを呼ぶ声が耳に届いた。声のする方へ目を向ければそこには櫻野さんと同じ制服を纏う人たちの姿。

「櫻野さん、呼ばれてますよ」
「そうだね。そろそろ行かないと、君も遅刻してしまうしね」
「あ」
「大丈夫、君とはまたいずれ会うことになるから」
「え、それってどういう……」

その先は櫻野さんの別れの言葉によって遮られてしまい、言えなかった。
また会えるってどういう意味だ。確かに学園から出ることは出来ないからいつかはいずれどこかで会うだろうけど…でも。あれは確信してるような言い方だった。
櫻野秀一。いったい何者なんだろう。
またぼくを混乱させる懸念が一つ増えたことに頭を抱えながらも、ぼくは教室までの道を急いだ。



櫻野秀一は慌てて初等部の方へ向かう少女の背中を見えなくなるまで見ていた。そして日本人離れした整った顔を薄っすらと微笑させる。
少女とぶつかった時は驚いた。まさか本当に会うことになるとは思わなかったから。
あの綺麗なまでのアホ毛にまるで死んだ魚のような眼。そして戯言を得意とする口。
一目見れば、一目話せば分かると言った彼女の言葉に嘘偽りはなかった。

「君の言うとおりの子だったよ、潤」

さきほどまでの少女の姿を思い浮かべながら、そう呟いた。

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