小鳥のさえずりさえもきこえない静寂の中、私は目を覚ました。まだ辺りは少し薄暗く、白と黒の混ざり合った色が視界を埋めて居る。反動をつけて起き上がり、周りを一瞥し見知らぬ部屋に眉根を寄せ、首を傾げた。
此所は何処なのだろうか。
私が今いる場所は木造造りの少し古い印象を受ける部屋。現代日本ではそうそう見られない、風情がある部屋だ。
残念ながら燃えてしまった、大きく立派な日本家屋だったという実家と違い、私が住んで居るのは駅から少し離れた場所にあるこざっぱりしたマンションの一室である。
では私はなんでこんな所に居るのだろう?またどこかに連れ込まれてしまったのだろうか?
体質上、わけのわからない空間に迷い込むことは多々あったけれど、ここまで人の文化が垣間見える異空間は初めてだ。いつもはただただ真っ暗な空間が広がっているだけで、あったとしても川や岩などばかりだったのに。
うんうんと唸りながら意識が途切れるまでの記憶を順々に辿っていく。
確か、記憶を探そうとバイト終わり、貴船の祭神のところに行く途中で…。
そこまで思い出して頭を抱える。そうだ。そうだった。
「過去に、居るんだった…」
森を抜け、蛇を滅し、晴明様に聞こえてきている声の事を言おうとしたら。
「あの子供…っ!」
突然背後にあらわれたかと思ったら、手刀落としてくれて。今度会った時には倍返しにしてやる。
「なんで意識落とされなくちゃいけなかったの…!」
ぐしゃぐしゃになっている髪を手櫛で梳かしつつ、ため息。
過去に来たことと言い、黒い子どもといい、わけがわからない。
お世辞にも頭がいいというわけではないので、今の私は完全に置いてけぼり。どうしてこうなったのかも、これからどうすればよいのかもまるでわからないのだ。
「ダメだ…外の空気吸って気晴らししよう…」
布団らしきものをどうすればよいのかわからなかったので、とりあえず皺だけ伸ばしておき、障子に手をかけて力一杯開ければ、目の前には昨夜暗い中で出会った少年が。
「わっ!?」
「うわっ!?」
衝突しかけ、反射的に避ければなぜか尻餅をつく昌浩様。足がもつれたようだ。
「…大丈夫ですか?」
どじっ子なのかなあ、なんて考えながら、手を掴んで立たせる。
騰蛇様が凄く怖い目で睨んでいるのが視界外からでもわかり、そちらに視線を向けないようにする。それが一番いいと思うんだ、絶対。視線で人を殺せるのなら、今確実に私は死んだと思う。
「ごめんなさい、怪我はないですか?」
「あ、ありがと…」
「いえ、不注意でした」
それで、なにか御用でも?と掴んだ手を離し首をかしげる。
部屋の前で声を掛けるべきか否か迷ってたみたいだけれど。
そしてそれを騰蛇様は嫌そうな目で見ていた、と。
「あ、うん。そうなんだ」
「何でしょう?」
「咲夜、さん…が、これから居候する事になったって聞いて、」
「……え?」
思わず聞き返せば、きょとんと大きな瞳がこちらを見る。
ちょっと待って昌浩様。今、なんて言いましたか。
「咲夜さんが居候するって」
片手の平を昌浩様の方へ向けて、少し待ってのポーズで眉間に皺を寄せ思わず声を荒げる。
「聞いてないです!」
「………晴明が、そう決めたんだ」
私の意思は?
白い物の怪の方を見やれば、低い声が苦々し気に教えてくれる。
「行く宛てが無いのだから別にいいだろう、だと」
「そんな…」
「本当のことだろう」
「そ、れは…そう、ですけど…」
いくら晴明様が決めたことだからといって、それが罷り通るのだろうか。…いや、通るのだろうけれど。大多数の方の本意ではないだろう。
現に、物の怪の顔は苦虫を潰したような表情が浮かべられている。
「それで、俺今から陰陽療行くから、彰子と一緒にいてくれないかお願いしようと思って」
「彰子、様って、確か…」
昌浩様の、奥方。そう言いかけて口を噤む。
今の関係がどうなっているのかわからないのに、余計なことは言わないでおくに越したことはない。
果たしてそんな遠い祖先になる方に、私なんかが近付いてもいいのか不思議に思いつつ。
「私でよろしければ」
へにゃり、と笑って頷けば、どこか嬉しそうな顔をする昌浩様に浮かべた表情を変えない騰蛇様。
いってらっしゃいませ、と出仕していく2人を見送ってから、私はざっくりと教えられた彰子様の部屋へと向かう。
昌浩様の言と書物の通りの見取りだったら、こっちのはず。
「はぁ…」
それにしても、話している間ずっと騰蛇様の視線が痛かった。
知らない間に決まったとはいえ、居候の身となった今。住んでいる方達とは仲良くしたいのだけれど、仕方ないとは言えこれでは私の片思いで終わってしまいそうだ。
どうする私。頑張れ私。
「失礼します」
うんうんと騰蛇様と仲良くなろう計画を練っていると目的の部屋の前についたので、とりあえず声をかけて入ろうとすると、私の手が触れる前に、襖が開いた。
「あなたが咲夜様ね!」
目を瞬かせつつ宙に浮いたまま行き場を失くした手をどうしようか、なんて若干この状況についていけていない私の前に、黒い綺麗な髪をなびかせながら、幼い顔つきの少女が瞳を輝かせつつ目の前に立っている。
「え、っと…はい。初めまして彰子様。ご存知かとは思いますが、咲夜と言います」
「よろしくお願いするわ、咲夜様」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
にこにこと楽しげに微笑む目の前の少女に、どう対応していいのかわからないままこちらも曖昧に微笑む。
彰子様って、こんなにハイテンションな子なんだ。少し…いや、大分書物を読んでみて受けたイメージと違う。この時代の女性は幼い頃から大人しいのだと、勝手に思っていたから。
なんだか、向こうの阿保な友達を思い出させ、懐かしいやら寂しいやら、懐郷の念が湧き上がる。
さよならひとつ言えなかったな。小さく息を吐きだし彰子様の後ろへと視線を向ければ、人影が2つ。
「…お付きの神将様は天一様と玄武様、ですか」
「わかるの?」
「神気で、ある程度」
「すごいわ!」
面白い子だなあ。今にも手を握って来そうな彰子様に苦笑を漏らす。
なるほど、天一様と玄武様がいるから、私はここへやられたのだろう。きっと昌浩様は純粋に彰子様と私を会わせたかったのだろうけれど、騰蛇様は神将のおふた方に私を監視させるのが目的で黙認したのだろう。
《昨夜の…》
《貴様か》
「…一晩振りです。皆さん喧嘩腰ですね…」
わかっていたけれど、天一様も玄武様も私を彰子様に近づけたくない様子。
睨みつけるような鋭さはないけれど、一挙一動見逃さないようにしているのがわかる。
これは、昌浩様には悪いけれど、顔見せも終わったことだし早々にお暇させて貰おう。
現状確認や地理把握もしておきたかったことだし、丁度いい機会だ。
「彰子様、来て早々申し訳ないのですけれど、お暇させて貰います」
「何処に行くのです?」
「…少し、外の様子を見てみようかと思って」
「私もいくわ」
「それは、お付きの神将様がきっと許されないので」
困ったように眉尻を下げ、少し遠まわしに断りを入れれば不承不承納得してくれた様子。
昌浩様に頼まれたことを早速放棄しまったけれど、うん。そこは仕方ないことだと目を瞑っていただきたい。
神将お二人に睨まれながら過ごすなんて正直言って精神的に結構厳しいものがある。
内心で昌浩様に謝りつつ、咲夜はとある部屋へと向かった。
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寄り道も手短に済ませてから正門ではなく塀を飛び越え安部邸から出る。周りに人がいないことを確認してからほっと息を吐きだし、土を払う。
服装もそうだけれど、今いる時代とはなにもかもが違う私はここでは目立ち過ぎる。人がいないに越したことはない。
一応姿を消す術を自分にかけておき、鼻歌交じりに安倍邸から離れる。
位置的に京のどこら辺だっただろうか。今と昔では違っている箇所も多々あるだろうし地理把握には時間かかりそうだ。
「……っ?」
暫くぶらぶら人にぶつからないよう注意して歩いていると、後ろに気配を感じ立ち止まる。
これは。この気配は。
また脳がなにかを掠め、ざわりと心が揺らいだが、相変わらず正体は掴めない。
「…………青龍様?」
《………》
答えはないけれど、一際鋭くなった気配からして当たりだったようだ。
けれど、確か記憶が正しければ青龍様は晴明様お付きの護衛みたいな立ち位置に居なかっただろうか。
それを寄越すだなんて…晴明様は何を考えておられるのか。
…反対か。それだけ疑われて、いるのだろう。私は。
……あれ?まただ。
なんで私は神将様達の神気がわかるのだろう。会ったことなんてないはずなのに。
勾玉を軽く触りながら考える。
きっと、この答えも失った記憶の中にあるのだろう。
「………」
《………》
わたしが歩き始めれば気配も着いて来る。止まれば止まる。会話もなにもない。ずっと感じるのは睨まれているという感覚。正直言って激しく気まずい。
何だろう?新手のいじめかなにか?
沈黙ほど精神にくるものはないというけれど、まさしくその通り。
「あの、青龍様」
《………》
答えは期待してなかったから気にしないけれど、無視は普通に悲しい。
「その、ええと…青龍様も、私がどういう者か気になりますか…?」
何当たり前なこときいているのだろう私は。
会話のネタがないからってそれはないだろう、とすぐさま自己嫌悪に陥る。
《……ああ》
けれど、予想せず結構普通に返事が返ってきたことに暫し目を瞬かせた。
……よほど気になっていたのだろう。いや、当たり前だけれど。
立ち止まってじっとこちらを見ているのがわかり、私も立ち止まる。
ちらりと辺りを見回し、穏行している青龍様を見上げる。
「……場所、少し変えても?」
人通りが多いことを示せば青龍様は無言で了承し、人気のない小道へと外れる。
「…まず、ですね。六合様にも言ったとおり、私はこの時代の人間じゃないです」
《では、何故俺達のことを知っている?》
ずきり、と頭の片隅が悲鳴をあげた。
「…私が居た時代には貴方達のことを記した書物があったんです。私はそれを読んだので、貴方達の事を知識として、知ってます」
青龍様は息を呑んでこちらを見ている。綺麗な蒼い瞳は、大きく見開かれ、驚愕の色が浮かんでいた。
これが、普通の反応だよね。邸を出る前寄った部屋―晴明様の私室で、そこの主にかい摘まんで同じ説明をしたけれど、晴明様はあまり驚かなかった。
《本当、か…?》
「本当です。嘘をつく理由もないので」
嘘はないけれど、少し隠したことはある。
確かに祖先としての晴明様や昌浩様のことは書いてあるけれど。でも、神気のことや性格についてはわからない。
少しだけ真実を隠したけど、それは許して欲しい。…私にもわからないことなのだから、言及されても困るのだ。
何かを思案している様子の青龍様からそっと視線を外し、人の行き来が激しい大通りを見る。
ぼんやりと眺めつつ、ああ、そういえば術に使う干し桃がないな、と思い出す。後で買わなくては。
「……着物もお金もないや」
《……なにがだ》
ぼそっとこぼれ落ちた呟きに予想外に反応があり肩が大げさに撥ねる。
「いえ、あのっ、……陰陽術で使う干し桃がなくなっていたので、買いたいなと思ったのですが、その、出で立ちが目立ってしまいますし…」
《まぁ、な》
「それに、この時代の通貨を持っていないので、どうしようかと…」
《……少し待っていろ》
なんだか意味もなく居た堪れなくなり、しどろもどろに答えれば、そう言って青龍様の気配が消えてしまった。
勝手に居なくなったら殺す、と中々物騒な言葉も添えられた。怖くて動けない。
ただただ立って待っていようか。でも、いつ戻ってくるかもわからない。しかし動けば殺される。
どうしよう、と当てもなく彷徨わせた視界に、少しだけ離れた場所に生えていた木が入る。
精々10歩程度の移動、許されるよね?怖々と木の元へと移動し、根元へ座り込む。
やることもないのでぼんやりと空を眺めてみると、遮るものがなにもないからなのか、空が広い。
「早く、」
帰りたいなぁ。小さく呟き、目を閉じる。
ゆっくりゆっくり閉じていく意識の中で、なにかを見た気がした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
謎だらけ。