貴船まで着けば、心配そうな白虎には悪かったが一人で高於の元まで行くと告げ山道を登る。
《…決めたか。》
頷けば、何故か高於が哀しそうな顔をするから、私は大丈夫だよと微笑む。
それでも彼女の表情は晴れないのだからその理由が分からない私は一体どうすればいいのだろう。
《…咲夜。》
「空…。」
《神子様がお待ちだ。》
結局何も言うことは出来ないまま、空が私の目の前に現れる。
手を差し出されるが、これは手を取れということだろうか。
空を見れば、ただただ無表情に私を見ていて、高於はすでにいなくなっていた。
表情のことが引っかかったままだったが、早くしろ、と瞳だけで急かしてくる空に巌をへと向けていた視線を下ろしその手を取る。
ぐにゃりと視界が歪み、次の瞬間にはまたあの黒い空間に佇んでいた。
前回と違うのは、すぐそこにお母さんが立っており、いつの間にかその横に空が控えていることぐらいだろう。
《決めたのね。》
「…はい、」
一呼吸置き、真っ直ぐに神子様を見据える。
「…わかりました。私が、何を護りたいのか。」
《……それが、どれほど困難なことか、わかっていて?》
拳を強く握る。
去って行ってしまう彼の姿。
悲しみに満ち溢れているであろう弟の姿。
「私は、皆に笑っていて欲しい。」
それが、私の答えです。
…そう。伏せられた瞳に浮かんでいたのは、どんな感情だったのだろう。
《空。》
《は。》
一歩前に出た空へと手が翳される。
目が眩む程の光が辺りを包み込み、再び闇が世界を支配する。
「……え?」
つい今しがたまで空が居た場所に、知らない男の人が佇んでいた。
「だ、誰…?」
《うふふ、空よ。》
「え?いや、でも、…え?」
楽しそうに笑うお母さんには悪いが今目の前に空はガキンチョじゃない!
この人はどこからどう見ても男性。少年ではない。絶対ない。
《あの姿は仮の姿。姿だけではなく人格も、だけれど。》
空の姿が仮の姿?
じゃあ今目の前にいるこの男性が空本人で先ほどまで居た空とは人格も別人で…え?
ちょ、ちょっと待って。ずきり。頭の整理が出来ない。ずきりずきり。
私、私、この人、どこかで見たこと…ある?
黒髪、長身。端正な顔立ち。こちらを見つめる優しさを含んだ瞳。ずきり、ずきりずきり。
「ゆ、めで…?」
ああ、そうだ。ここに来てから見た、過去の光景であろう夢で見たんだ。
私と、お父さんとお母さんと一緒に居た。
「空、だったんだ…。」
《そうだ。》
さらり。墨を垂らした様な黒髪を揺らしながら微笑む彼は、確かにあの空の面影はない。
優雅な足取りで私の手を包み込み隣に立つ彼。この人があのガキンチョだなんて、到底信じられない。
無意識に見つめていたのか、不思議そうに首を傾げている姿が可愛いだなんてそんな馬鹿な。
《彼は貴女を護る任に就く者よ。後継者を正式に決めていなかったら、本来の姿を隠し忘れさせ、私の傍に置いていたの。》
「どうして人格まで変える必要があったの…?」
《それは、何時かわかる日が来る。》
秘密主義なんだね。意味有り気に笑う彼は教えてくれるつもりは毛頭ないようだ。
《さあ、咲夜。貴女は今また決断を迫られるわ。》
「決断?」
《護りたいものも護る為に貴女は決意した。そして、護る為の力を得る為に、決断をしなくてはならないわ。》
そんなもの、答えは決まっている。
「護るためなら、なんでもします。」
もう一度、皆が笑い合えるのなら、私は私の命だって投げ捨てて見せましょう。
《…黄泉の屍鬼となった神将を取り戻すには、ただひとつ。》
それは、
「………覚悟の上です。」
待っててね。次こそは護って見せるから。
強く握りすぎて爪が食い込んでいた手を、優しく包み込む空の手に一瞬力が籠った。
**********
「咲夜!無事でした…、」
「……誰だ、貴様。」
「二人共落ち着いて!怪しい人じゃないから!」
貴船から戻ってみれば、案の定と言うべきか。宵藍と太裳が敵意剥き出しで空に噛み付いた。六合と勾陳も無言ではあるが警戒しているのがありありと分かり、隣で白虎が苦笑を零す。
まあ、彼も最初は警戒心剥き出しだったわけだが。
事のあらましを簡単に説明し、連れ帰って来て貰ったのだ。
「えっと…今日から私を守護する、…守護?」
「ああ。簡単に言うと咲夜の式となった、だ。」
え、そうなの…?式に下ったの…?
私初耳なんだけど?
皆でぽかんとすればマイペースによろしく頼むなんて言い始める空に白虎が聞いていないと問い詰める。
「聞かれなかった。」
簡潔過ぎるしあまり理由になっていないが、どうやら私は人生初の式ゲットをいつの間にかしていたらしい。
空を見上げたまま静止していれば、黒髪を靡かせながら振り返った彼と視線が合う。
「正式にはまだだ。」
ゆっくりと発せられた言葉に思わず首を傾げれば、今はまだ守護の任だから一緒に居るという。
きちんと式に下るにはそれなりの手順があるらしく、私に主たる資格はないのだと。
「ではいつ式に下るつもりだ。」
「…咲夜が、護り取り戻したとき。」
「取り戻す…?」
「なにを、ですか。」
皆の視線が一斉に集中し、非常に居心地が悪い。
いや、あの、その…。
す、と視線をずらせばいつの間にか目の前まで来ていた宵藍に顔を掴まれ強制的に前を向かされる。
「…どういう事だ。」
「こ、怖いよ宵藍…。」
ひく。頬が引き攣るのが分かる。
宵藍の目がまじだ。怖い。もの凄く怖い。
空も白虎も神将達も助けてくれそうにない。
顔を掴んでいる手に力が篭った気がする。みしりって骨が軋んだ気がする。
たんま、たんま!宵藍の手を叩けば離してくれたけど、逃がさないとでも言うように瞳で射抜いてきた。
視線で人が殺せたら私は確実に死んでるだろう。
「咲夜。どういう意味ですか。」
「えと、あの、ですね…。」
「包み隠さず全て言え。」
「ま、まるっと…?」
ああ、うう、どうしよう。悩んでいても状況が好転するわけでもなく。じ、と幾つもの視線が突き刺さる。
しかし説明するつもりなんて私にはないわけであって。
どうすればこの場をごまかせるか必死に考えるがいい案はなにひとつとして出て来ない。私の脳みそのぽんこつ!
「神将を取り戻したいと、神子に。」
「空!?」
「……これぐらいは言っても分かりはしない。」
そうかもしれないけど…!
神将が誰のことか分かった宵藍のテンションがもれなく急降下してるから!
「…それが、護るものか。」
眉間に皺を寄せながら憎々しげに言う宵藍に苦笑。
どれだけ紅蓮のこと嫌いなのよ。
つん。眉間をつつけば更に深くなる皺。
「…そうだよ。」
一転して辛そうに瞳を細めるくらいなら、嫌悪なんて捨ててしまえばいいのにね。
知ってた?貴方のそれは、同族嫌悪って言うものだって。
だって、貴方と彼はあまりにもそっくり過ぎるもの。
似てないけれど、そっくり。
「無茶は、しないから。」
安心して?
馬鹿だな。呟かれた言葉に空を見上げれば、もう一度口パクで「馬鹿」と言われた。
煩いよ、仕方ないでしょう。
「…まあ、空も居ることだしな。以前よりかは不安要素は減った。」
それでも完全に消えたと言われないのは私が悪いのだろうか。
けれど、一先ずこれ以上の詮索はないようだ。
ほっと内心一息つき、早々に自室へ退却させてもらおう。
「…………。」
空と何かを話しながら去っていく私を、勾陳がなにかを思案しながら見つめていたのを、私は知らない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
君の瞳の色が変わった日。