昌浩は、ぼんやりと瞼を開いた。
「……昌浩、気がついた?」
覗き込むようにして彰子が昌浩をじっと見つめていた。
「……彰子、元気になったんだ。」
ほっとしたように呟かれた言葉に、彰子は目を細めて小さく頷く。
霞んでいる思考の中で、昌浩は熱に浮かされたような口調で言葉を紡いだ。
「…夢、見たよ…。」
うん、と頷く。
「暗い闇の、中。もっくんが、向こうにどんどん、歩いていって…、」
一生懸命呼んでいるのに、決して振り向いてくれない。
「呼んでいるのに、一生懸命、呼んでいるのに…、」
ふいに、目頭が熱くなった。
なんだろう。なんでだろう。
軽く身じろぎすると、息が詰まるような激痛が腹部に走った。
それが、覚醒を促した。
はっきりと目を開く。
ああ、ああ、
「夢じゃ、」
ない。
昌浩は天井を見つめた。
闇の中だ。
黄泉の風が生じる瘴穴の中で脩子を捜していた。
出現して襲ってきた無数の化け物、それを瞬時に倒した紅蓮の炎。
駆け寄っていった自分に、紅蓮は笑った。
ふいに、視界の片隅で、白いものが動いた。
ああ、と目を細める。
違う。やっぱり夢だったよ。
だってほら、そこに、白い…。
『まったく、仕方ないねぇ。しっかりしろよ、晴明の孫。』
痛みを堪えながら首をめぐらせると、文台にかけられた淡い色の衣が、風で微かに揺れていた。
それが、視界を掠めただけなのだ。
求めていた白い物の怪の姿は、そこにはいなかった。
**********
「晴明、昌浩が気がついた。」
開かれていた妻戸に背をもたせかけて、腕を組み斜の構えでその神将は室内を見やった。
部屋の主であり主である晴明は、黙って頷く。
彼の周りには、十二神将達が沈んだ様子で控えていた。
壁に背を向け、肩膝を立てた姿勢で目を閉じている六合。
そのすぐそばに、胡坐を組んだ玄武と、膝を抱えた太陰がいた。
普段晴明の傍に控えている天一と、天一の傍らには必ず見える朱雀の姿はない。
晴明は顔を上げる。
「異界にいる天一の、様子は。」
「相変わらず、一進一退というところだ。下手をすれば、天一は死ぬ。」
妻戸から離れて室内に入り、その神将は腕を組んだ。
「昌浩は一命を取り留めた。咲夜はいまだ目覚めない。何があったのか、なぜ騰蛇が敵の手に落ちたのか、筋道立てて話してもらおうか。」
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「昌浩の傷は天一が、咲夜の傷は空と言う者が治療した。」
「空は、自分を時司の神子様の遣いの者だって…。」
幼い容姿をした自分たちよりも絶大な神気をもった遣いの者を思い出す。
時司の神子。
咲夜が自分はそれを継ぐのだと言っていた。
血縁である者が継ぐ割合が高い時司の神子。
ならば、咲夜は血縁にあたるのだろうか。
過去に数度だけ会ったことのある神子の子供は、笑い顔しか思い出せないほど昔の記憶だ。
ならば、やはり血縁者ではないのか?
ああ、謎は深まりばかりではないか。
いまだ眠り続ける少女に想いを馳せ、勾陳は太陰を見やる。
「……気がついたら、貴船の山腹にいたのよ。」
不機嫌そうな太陰の言葉にうなずいて、玄武があとを引き継いだ。
「大百足と高於神が、その神通力で我々を引き寄せたのだ。」
そこで大百足達と短く口を交えた後、脩子姫を送り届け、邸へと戻ってきた。
「…なるほど。それで、天一を抱えた朱雀が異界に立ち戻り、青龍が馬鹿なことを言い出したわけか。」
「馬鹿なこと?勾陳、それはどういうことだ?」
「なんでも、武器が欲しいそうだよ。騰蛇を確実に殺すための武器が。」
「殺すって…だって、青龍は…そりゃ、確かになんどもそう言ってたけど、でも。」
「そうだな。しかし、咲夜がいまだ眠り続けているのを見てしまっているんだ。言い出すのも無理はない。」
六合に抱えられて戻ってきた咲夜を見て、一番肝が冷えたのはほかでもない、青龍だろう。
表立って取り乱したのは太裳だが、一番心配し、そして咲夜を傷つけた者を一番憎んでいるのは、あいつだ。
浅い呼吸を繰り返して眠り続ける少女を、あんな瞳で見守り続けているんだ。
言い出すのは目に見えていた。
「だが、実に勘に障る。我等十二神将に手を出そうとする輩がいるなど。」
勾陳の全身から、青く冷たい炎のような闘気が静かに立ち昇る。
穏やかな口調で、涼しい顔で、笑みすら浮かべながら、勾陳は激昂していた。
「騰蛇を奪うなどとふざけた真似を。奪われたなら、奪い返すまでのこと。私を本気で怒らせたんだ、それなりの報いを受けてもらう。…晴明、止めるなよ。」
双眸が鋭利に煌く。
その光は、天を切り裂く稲妻の苛烈さに酷似していた。
彼女もまた、気に入っていた人間を傷つけられて、静かに怒っている人物なのだ。
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「……ん、う…、」
「咲夜?」
「……ごめ、なさ…。」
「………。」
「ごめ、なさ…なかな、で、」
今尚眠り続ける少女は、涙を流しながら謝り続ける。
神だろうが、通力が強かろうが、そんなものになんの意味はない。
その証拠に、目の前の少女の涙を止めてやることすら出来はしないのだから。
何もない宙へと伸ばされた少女の手を握り、せめてその涙が止まるようにと祈ることしか出来ない自分に、嫌気が差した。
あの時、すぐにでも咲夜のもとへと行っていれば。
後悔だけが胸中を渦巻き、それと同時に、咲夜に傷を負わせた人物への憎しみがふつふつと湧き出す。
ぎゅ、と手を握る力が強まる。
少女の瞳からは、また涙が零れた。
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お願い、泣かないで、