脩子姫を見つけ、帰り道を探していた昌浩。
紅蓮も姉様も見当たらない。
ああ、早く捜さなくては。

紅蓮は心配ないけれど、姉様はあれでいてどこか抜けているから。
きっとこの暗闇をあてもなく自分達の名前を呼びながら歩いて途方にくれているに違いない。
迷っている自分の義姉の姿を想像して思わず苦笑を零しながら周囲を見渡した瞬間、引き攣ったような叫びが木霊した。



「昌浩、避けて!」



反射的にその声に反応した昌浩は脩子を腕の中へと素早く抱え込む。
それと同時に疾風が生じ、二人を巻き上げた。
二人が先ほどまで居た場所に、悍ましい姿の化け物が突進していくのが見える。



「太陰!」



脩子を抱えたまま昌浩が着地する。
銀色の切っ先が閃き、身を翻した化け物が銀の槍で真っ二つに両断された。



「んもう、きりがないったらありゃしないっ!」



四方から妖気が吹き出し、足の下からどろどろとした表皮に包まれながら這い出てくる化け物達に太陰の怒りが爆発した。
怒りを籠めて右手を大きく払う。
生じたかまいたちが這い出てきた化け物達を横一文字に切り裂いていく。
それでもなお接近してくる化け物には勢いよく竜巻を叩きつける。



「脩子姫だな。」



いつの間にかすぐ傍らに屹立していた玄武が、昌浩の腕の中を見て呟いた。



「目的は果たした。六合、人界に戻る手段を講じるぞ。」



常日頃となんら変わらぬ淡々とした口調で告げられた言葉に、無数の化け物を相手に銀槍を閃かせていた六合が短く返答する。



「この状況を見て、ものを言え。」

「玄武っ、悠長に言ってないで、あんたも協力しなさいっ!」

「戦闘は専門外だ。」

「じゃあ、姫を見てて!」



非難がましく言われた言葉にしれっと言ってのけた玄武。
それに抱えていた脩子を押し付け、昌浩も戦陣に加わった。



「オンアビラウンキャンシャラクタン!」



刀印を組んだ昌浩が唱えた真言が鋭利に響き、周囲の空気の色を変えた。
立ち昇った霊力が仄白く揺らめき、次の瞬間爆発する。



「万魔拱服!」



四方から襲い掛かってきた化け物達が、発せられた声と共に一斉に弾き飛ばされ掻き消える。
しかし、倒しても倒しても途切れることなく襲い掛かってくる化け物達を相手にするのはこちらが圧倒的に不利。
昌浩は思わず歯噛みする。

多勢に無勢とは正にこの状況の事だろう。
際限がなければ、先に倒れるのが自分達であることは火を見るより明らかだ。



「紅蓮、どこに行ったんだ…!」



紅蓮の炎で、この化け物達をい一瞬で灰燼に帰すことは出来ないのだろうか。
いまだ増え続ける妖かたちの成れの果てに舌打ちしたいのを堪えながら両手で印を結び、真言を詠唱する。



「ナウマクサンマンダボダナン、ギャランケイシンバリヤハラハタ…。」



ふと、真言を紡ぐ声が止まった。
昌浩の耳の傍をすり抜けた気配がある。



「…紅蓮…?」



小さく呟かれた名前と同時に、凄まじい熱風が叩きつけられた。
灼熱の業火が渦を巻き、燃え上がる深紅の蛇が幾つもうねりながら駆け巡る。
無数の炎蛇は化け物に突き刺さり貫き通すと、内部から爆発させた。
どろりとしたものが焼け爛れ焦がされ、形容し難い異臭を放つ。
むっとむせ返り、喉元から何かがせりあがってくる、
嫌な臭いだ。
気分が悪くなる。
せりあがってきたものを懸命に飲み下して周囲を見渡す。
あれほど群がっていた化け物達が、一瞬で灰燼と化していた。
所々に残っている残骸からは白煙が上がり、かろうじてうごめく表皮が断末魔のように震えている。
その向こう、暗く濃い闇の中に佇む影があった。
炎が掻き消える間際、照らされた姿が浮かんで消えた。



「紅蓮!良かった…。」



なんだかほっとして息をつき、ふと目を瞬かせる。

ああ。あの、夢だ。

物の怪が、遠くへ行ってしまう夢。
闇の中をずんずん歩いて行って、どれほど呼んでも、どれほど叫んでも振り返らない。
すっと心臓が冷えた。
嫌な予感がして、のろのろと足を動かす。



「…紅蓮、帰ろう。早く…。」



闇に佇む影が、ゆっくりと歩み始める。
その姿に向かって徐々に速度を上げながら駆け寄った。

ここは、いやだ。

形容し難い焦燥と不安が胸中に広がっていく。
早く、早く帰ろう。
姉様を見つけて、皆で、早く。
突然駆け出した昌浩を見ていた脩子は、何かに気付いた顔をして玄武から離れた。
そしてよろよろと何かに向かって歩き出す。



「かざね…、」



三人の神将の視線が、一点に集中した。
よろよろと脩子が進む先。
そこには、ぼろぼろになった今にも倒れそうな風音が立っている。
彼女は脩子があともう少しで辿り着くというときに、がくりと膝を折った。



「かざね!」



驚いた声をあげる脩子。
それに気付くことなく紅蓮に駆け寄っていた昌浩は、紅蓮のすぐ傍でその足を止めた。

どくんと心臓が大きく跳ねる。
うなじの辺りを冷たいものが凝る。



「…紅蓮?どうした…?」



紅蓮の金色の瞳が、昌浩をまっすぐに見下ろしている。
その左目の際が、黒いもので汚れていた。



「怪我、したのか?それは……。」



言い差して、昌浩は目を見開いた。
己を見下ろす神将の額に、いつもそこにあった金冠がない。
あれは、大事な物だと言っていた。
一度壊れたものを、じい様に頼んで再び施してもらった、封印だと。
目を見開く昌浩に紅蓮が、にぃと笑う。
今までに見たことのない禍々しい笑みだった。
戦慄に似たものが背を這い登る。
もう一度名前を呼ぼうとして口を開きかけた昌浩は、金の瞳に残虐な光が宿ったのを見た。



「昌浩、逃げて!」



何処かから引きつった叫び声が聞こえた。刹那。
衝撃が、腹部を貫き背中から突き抜ける。



「……はっ…、」



重い息が唇から漏れた。
息と共に、生暖かいものが口端に零れて滴る。
灼熱の衝撃が、時を置いて激痛へと変じた。



「昌浩!」



誰かの声が自分の名前を叫ぶ。
しかし、それが誰なのか捉える前に再び衝撃が突き抜ける。
今までかろうじて体を支えていた膝が、力を失って砕けた。
倒れたまま、緩慢な動作で両手を腹部に当てると、熱く湿ったものが驚くほどの速さで広がっていくのが感じられた。



「……な…ん…?」



瞬く間に両手が真紅に染まり、とまることのない血が血溜まりとなって広がっていく。
その地溜まりの中に、何かが音を立てて落ちてきた。

いびつな塊。
紅いもので濡れている、あれは…。

薄れていく意識の中で、昌浩は太陰の声にならない叫び声と、捜していた女性の悲痛な声を聞いた。



「……ぐ…、」



ぐれん、と。
闇に落ちる直前、言葉としては紡がれることなく、唇だけがその名を呼んだ。

**********

肌を突き刺す灼熱の熱風に目を開ける。
喉元から何かがせり上がって来そうな程の異臭が辺りに充満する。
気持ち悪い。吐きそう。
なんとかそれを飲み下し、辺りを見渡そうとするが衝撃が全身を駆け巡り口からくぐもった声が漏れるだけだった。
どうやら自分は隆起した瘴気の塊に背を向けた状態で上半身だけもたせかけられているらしい。
どうしよう、この体勢つらい。
つらいし痛い。物凄く痛い。
どこが、と聞かれたら答えられないくらい全身が痛い。

なんでこんなことになってるんだっけ。

覚醒したばかりであまり働かない頭を使って必死に記憶の紐を手繰り寄せる。
黄泉の穴に呑み込まれて、皆を呼びながら歩いていたんだよね。
それで、いくら歩いても辺り一面闇闇闇でいい加減辟易していたら、



「…紅蓮?どうした…?」



思考を中断させ、声のしたほうへと顔を向ける。
それだけの動作でも意識が飛びそうになるが、必死に繋ぎ止める。



「怪我、したのか?それは……。」



視線の先には、探していた昌浩と、紅蓮。

ぐ、れん…、



『紅蓮!』

ごぽり。戸惑いと、混乱と、困惑と共に滴り落ちるのは、



「昌浩、逃げて!」



残虐な光、突き刺さる衝撃。
傾ぐ体、溢れ出る生暖かいもの。
全てが一瞬の内に脳内を駆け巡り、出血が酷くなることなど考えず今持てる全ての力を振り絞って叫ぶ。



「……はっ…、」



昌浩の体が傾ぐ。
辺りに漂う黄泉の風が、かすかな鉄の臭いを運んできた。



「――昌浩!」



太陰の声にならない叫び声が聞こえる。
腕を引き抜かれ倒れた昌浩の体はぴくりとも動かない。
じわじわと広がっていく血溜まりにびしゃりと音を立てて放られたそれは、紅く濡れている。

嘘だ、
嘘だ嘘だ嘘だっ!!
鉄の臭いが濃くなる。


昌浩は、動かない。



「昌浩、昌浩っ!」



ゆっくりと紅蓮がこちらを振り返る。
冷たく残虐な光を帯びたそれに肩が撥ねるが、それを感づかせまいとしてきっと睨み上げる。
それが愉快だったのか、紅蓮は喉で押し殺したような笑いを上げながら近づいてくる。
その手からは、水滴が滴っていた。
目の前まで来た紅蓮は金色の双眸を細めながら口端だけで笑う。
背筋が凍るような、嫌な笑い方。



「咲夜!?」

「嘘…!どうしてよ、なんで、こんな…!」



玄武の声と、太陰が泣き叫ぶ声が聞こえる。
紅蓮は血に染まった手を口元に持っていくと、滴る鮮血を舐め上げた。
紅い筋が口端から零れる。

太陰が息を呑み、六合と玄武が絶句して立ち竦む。
紅蓮が唇の端を吊り上げた。



「……人間は、もろいな。」

「…っ!」



ぐい、と顎を捕まれる。
ねっとりと顔についたそれからは、鉄の臭いがする。



「手ごたえがないから、つまらない。」

「な…っん!?」



見たことのない知っている金の双眸がわたしの視界を全て支配する。
唇に押し当てられたそれは、生暖かく口内を鉄の味が侵食していった。
ぎゅ、と眉根を寄せ歯を食いしばる。
それが面白くなかったのか、不機嫌そうに眉間に皺が寄せられたのが見えた。



「…う、っあ゛!?」



激痛と共に頭が真っ白になり意識が瞬間だけなくなる。
傷口を抉られたとわかったのは、六合の銀槍が目の前を掠め玄武に引き寄せられた後だ。
昌浩の元まで玄武に連れて行かれ、並んで横たえられる。
じくじくと熱をもち、意識に霞がかかりはじめる。



「昌浩、咲夜、しっかりして!」

「目を閉じるな、咲夜…!」



じくじく、がんがん。

脈は大きく速く働いて、その分わたしの体から血液がなくなっていく。
じわりじわりと広がっていく血の海。



「無駄よ、その子たちは死ぬわっ!」



ああ、ごめん。ごめんね。

浮かんで消えた謝罪の言葉は、いったい誰に向けられたものなのか。
考える間もなく広がる闇。

ぶつり。ブラックアウト。

ああ、どうやら、わたしの世界は終わったようです。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
さようなら、世界。



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