暗闇の中、私は目を開けた。
澱んだ瘴気が固まり、硬い岩のようになって足元を覆っている。
所々に隆起した塊がある為遠くまで見通すことは至難の業だ。
ああ、やっぱり呑み込まれたりした先の空間は暗闇なのね。セオリーなのね。
ふ。と自嘲気味に口角を上げ、ぐるりと辺りを見回す。

神将達も昌浩もいない。
影すら見えない。
呑み込まれたときにばらばらになってしまったようだ。
あれ、これって私迷子?
…いや、断じて迷子なんかではない!
そう。これは不可抗力という奴だ。仕方ない。
だから怒らないでね六合と玄武。

心の中で二人に必死に弁解しておく。だって後が怖い。



「さて、と。」



注意深く辺りの様子を窺いながら歩き出す。
どこまでも広がっていそうな、それでいてすぐにでも行き止まりと出会いそうな空間だ。
存外、叫びながら歩いておけばすぐにでも誰かと会えるかもしれない。



「昌浩ー!もっくーん!六合ー!玄武ー!太陰ー!」



しーん。世の中そんなに甘くなかった様子。
見事な沈黙が返ってきて早くも心が折れそうだ。
とりあえず、早く誰かと合流しよう。
ぐ、とこぶしを握り、地を蹴る力を強めた。

**********

どのくらい歩き続けただろう。
数分、数十分、数時間。
空を見上げても、天井の見えない暗闇が広がっているだけ。
辺りは変わることのない漆黒の闇。
自分が前へ進んでいるのか、むしろ歩いているのかどうかさえ怪しくなってきた。
いい加減飽きて来たぞ、このやろう。
未だに誰とも合流できないし。
はあ、と何度目かわからない溜息をついたとき、さわりと風が小さく私の髪を揺らした。
そこに微かな気配を感じとって急いで辺りを見回す。

見付けた。

暗闇と混じるか混じらないかどうかの境界線ぎりぎりの距離の場所に、見知った影がいる。



「紅蓮!」



私は不器用で優しい神将を見失ってしまわぬよう迷わず駆け出した。


後々思う。
この時、流れる風の中に混じる微かな気配の違和感に気づいていたら、昌浩はあんなことを決意するようなことにはならなかったんじゃないだろうか。
皆が辛い顔をすることなんかなかったんじゃないんだろうか、と。

けれど、この時の私は、自分自身が思っていたよりも精神的に参っていて、見付けた背中に安心しきってしまっていて、微かな違和感に気付く事が出来なかったのだ。





走る。走る。

歩幅の関係か中々追い付けない。ちくしょうむかつく。


呼ぶ。呼ぶ。

振り向いてくれない。
おかしいな。
いつもだったら一回で立ち止ってくれるのに。
立ち止って、仕方なさそうに、でも優しい瞳をこちらに向けて待っていてくれるのに。

どうして無視するの。

どうして反応してくれないの。

どうして進んでいっちゃうの。

どうして置いて行くの。


待って。待って。

足を回転させる度、胸の鼓動が速くなる。
どくどくと嫌に身体の内側から急かしてくる。
なんでこんなに焦ってるんだろう。
なんでこんなに嫌な予感がするんだろう。
何かの術のせいで、声が届かないようにされているのかもしれない。
ほら、よくあるじゃない。
相手の体に触れてないと姿が見えないとか声が届かないとか。
きっとそれだよ。
うん、そうに決まってる。
だから、大丈夫。
追い付けば、触れれば、気付いてくれる。



「―っ紅蓮!」



ああ、やっぱりね。

思った通り。追い付いたら、触れたら気付いてくれた。
立ち止って、そうしたらいつもみたいに、私の事見て、呆れたような顔と声で「そんなに叫ばなくても、聞こえてる」って。




いつもみたいに、




「紅蓮…?」



ねえ、なんで何も言わないの。

私を見下ろすどこか空ろな瞳に、背筋が凍る。
空ろな瞳に、私はいない。
さらりと金冠がない頭から、ざんばらの髪が一房顔にかかった。


あ、れ…?


違和感。


一歩紅蓮から私の体が遠ざかる。

がんがんがん。脳が警鐘を鳴らす。
いったい、何に。

びりびりびり。危険だと本能が叫ぶ。
いったい、何が。

きりきりきり。胸が悲鳴を上げる。
いったい、どうして。

一歩、さらに紅蓮から遠ざかる。
空ろだった瞳に光が微かに宿る。にやり、と紅蓮が笑んだ。




ずぶり。




「え…?」



広がる鉄の味。
生温かいものが口から流れた。

**********



「!?」



ば、と後ろを振り返る。
風が髪を、衣を巻き上げ、天へと昇っていった。
ざわざわと胸の奥で何かが渦を巻き、騒いでいる。
どうしようもなく嫌な予感が脳を横切った。
身体に纏わり付く、この奇妙な感覚はなんだ。



「咲夜…?」



呟いた言葉に、返事はなかった。

**********

「…、咲夜?」



す、と心の臓が冷えた。
なにかに握られたような、とても気色が悪い感覚。
それと同時に脳を過ったのは、先ほどまで一緒にいた愛しい者の名前。
先ほどまで笑っていた少女の顔が駆け巡る。
ぎゅ、と眉に皺が寄るのがわかった。

嫌な、とても嫌な予感がする。



「無事で、いてください…っ!」



祈るしかない自分に吐き気がする。

**********

瘴気が蔓延する空間の中、暗闇に鉄の匂いが漂った。

"影"がゆっくりと傾ぐ。
ぐらり。
重力に逆らうこともせず、力無く倒れていく"影"を"闇"が受け止める。
びちゃびちゃと瘴気が固まって出来た地面に落ちた血が、そこに血溜まりを作った。
"影"から溢れ出す血は、未だに止まらない。
己の手の中にある"影"を一瞥し、"闇"は歩き出す。
その瞳には微かな狂気を宿し、口元を愉しげに歪めながら。
瘴気が蔓延する空間の中、血の道が出来ていく。


"影"は、ただの一度も動くことはなかった。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
どうやら世界は終わったらしい。



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