「咲夜さん、今日はもう上がっていいよ」

「はーい、お疲れ様です!」

バイト先の先輩の言葉に大きく返事をし、ロッカーから荷物を出して私服に手早く着替えていく。
接客業であるこの店は、中々人使いが荒く、かき入れ時の休日なんてほぼフルタイムでいれられる。
まあその分給料が良く尚かつスタッフの人たちがいい人ばかりで大変だけれど居心地がいいのだけれど。
バイトの制服を手提げにつめながら、今晩のご飯はどうしようかと思考を巡らせる。
道中にあるコンビニで適当になにか手軽なものでも買ってしまおうか。

「お疲れ様でした!」

「お疲れ様咲夜さん」

「また明日ね」

バイト仲間に声をかけながら店を出ると、ひんやりとした風が頬を撫でながら通過していった。
ぞわっと震えた肌を手で撫でる。少しだけ鳥肌がたっている。

「さすがに冷えてきたなぁ…」

季節は既に夏下旬を少しだけ過ぎ秋の気配も姿を表し始めている。
太陽は既に沈んでおり、辺りは店などの光を頼りにするしかないほどの暗闇。
この時間帯はさすがに冷え込む。
日中は暖かかったので油断して薄着にしたのは間違いだったかもしれない。
今更後悔をしてももう遅いが、ぼんやりとそんな事を考え自分の今の格好を見下ろす。
身につけている服は夏のそれ。ああ、この格好で大丈夫だろうと安易に考えた今朝の自分を心底恨む。

「咲夜ー!!」

「あれ、雑鬼ズ」

まとめて雑鬼ズと呼ぶ私は少なからずネーミングセンスがあると自負している。
え、ない?いやいやそんなことはないはずである。的を射ている名前だし、一度に沢山呼べる。
ほーら、なんて便利なあだ名!
行儀悪くも、ポケットに手をいれて立ち止まるわたしに、首を傾げながら近づいてくる雑鬼達。
可愛いなこのやろう。

「どこ行くんだー?」

「行くんじゃないよ、今から帰るんだよ」

「家にか?」

「そこ以外にどこに帰れと言うの?」

「ふーん。じゃ、俺達も帰るなっ」

じゃあーなあー!と短い手をぶんぶん振りながら帰っていく雑鬼達に自然と笑みが浮かぶ。
ああ、まったく無邪気で可愛い妖たちだ。

それにしても今日はやけにあっさりと帰って行ったのが気になる上、なぜ呼び止められたのかわからない。
まあ、どうせ「姿が見えたから用事はないけど声かけちゃえ!」みたいなノリだったのだろう。…可愛い。

陽気で気さくな雑鬼達に手を振り返しながら、見た目に反して愛くるしい彼らに癒される。
雑鬼達が見えなくなり、さて、と自分に喝を入れ、また歩を進めていく。

彼らには悪いが少し嘘をついてしまった。
今から家に帰ることに変わりはないのだが、すぐに出なくてはならない。
玄関に置いてある荷物を持ったら、しばらくは雑鬼たちに会う事はなくなってしまうだろう。


今日から私は、


「……やるぞ」


家出します。


*********


今から私は旅に出る。途方もない、記憶を探す旅。
私の中で欠落している欠片を探す旅。

私には、小さいときの記憶がない。
奥の奥を掘り返して出てくる一番昔の鮮やかな記憶は、痛ましげな顔で必死に喋りかけながら私の手を引く叔母の姿と、周りに沢山いた黒い服の人たち。
母の記憶も、父の記憶も、鮮明に覚えているものはなにもないのだ。
微かにあるのは、私の名前を呼ぶ声と頭を撫でる手の感触だけ。残っているのは、たったのそれだけだ。

小学中学年、記憶を失いそして記憶を始めたその時期まで私が一体何をしていたのか。
何が、あったのか。その記憶を探す旅。

荷物を家で持ち替え、大きなリュックを背に負う。
最初の行き先は結構近場で、貴船の祭神の元。

ここ数年過ごしている部屋を出て、小さくお辞儀をする。
いつ戻ってこれるかもわからない旅だから、一応奇麗に掃除はしておいた。
たん、たんと軽い音を鳴らしながら階段をおりきる。
なんとなく、本当になんとなく、いつも高於のとこに行くとき通る道とは違う道を通ってみようと思いいつもの道にくるりと背を向けた。
方角だけは見失わないようにしながら、見かけた小道に足を踏み入れる。曲がって、曲がって、また小道に入って。なんだか新鮮だ、こういうの。
なんだか楽しくなってきて、身につけているひやりと冷たい勾玉をそっと触る。
無意識に首から掛かっている勾玉を握るのは、昔から興奮するとしてしまう癖だ。

「……?」

再度小道を曲がり一歩踏み出した時、一瞬何か奇妙な気配が感覚を震わした。

妖とかだったら嫌だなあ。祓えば万事解決なのだけれど、姿がこう…気持ち悪かったら近づくのも嫌だ。
気色が悪いものには、近付きたくないのだ。妖怪などが常日頃、他のものと変わらないかのように見えていても、生理的に無理なものは無理だ。

しかし気になるものは気になるのも事実。
ああ、面倒臭いな人間の好奇心!少しの間逡巡した後、結局私は違和感を感じた場所に進路変更をした。

好奇心に負けてしまったのだ。
本能に忠実な自分を半分呪いながら歩みを進めていく。

違和感を感じた場所に着けば、そこにあったのは綺麗な…玉、だろうか。街灯の光をとりこみ、反射し、幾重にも色を重ねた透明なガラス玉のようなものが落ちていた。先ほど感じた奇妙な感じはするけれど、嫌な感じではない。
むしろもっと綺麗な、綺麗すぎる、透明で透き通った印象を受ける。
綺麗過ぎるが故に感じた違和感だったのだろう。

「何だろう…これ…?」

明らかに自然物ではないそれを、興味本位で拾って掌に乗せてみたのが、すべての始まりだった。



― 見 ツ ケ タ ―



「え?」

いきなり頭の中に響く声。それに、言いようもない薄気味悪いものを覚えた。
背筋を無数の虫が這い上がっていくような、不快感。

反射的に玉を捨てようとしたのと同時に、勾玉から光が放たれる。

「っ!?」

強い光におもわず目を強く瞑る。
ああ、閃光弾が炸裂したら、きっとこれくらい眩しいのだろう。閉じていても脳裏に届く光。そこに一瞬、なにかが見えた気がしたが、すぐに光に塗りつぶされてしまう。
漸く光が消え、目を開けれるようになったので、未だにちかちかしている自分の目を励ましながら瞼を引き離すと、目の前には、先程立っていた場所とは似ても似つかない景色が広がっていた。

「…え?」

慌てて辺りを見回すが、民家もビルも街灯も、なにひとつ見当たらない。見渡す限りの漆黒だ。
墨をぶちまけたかのような、闇。全てを塗り潰す黒色。

確かに夜ではあったが、いくらなんでもこの暗さはおかしい。街灯の数が少ないにしても、視界の隅に光がちらつく間隔で配置されるはずだ。
それすらもないとなると、とんでもない山奥に飛ばされたのだろうか。となると、原因は先程の玉しか考えられない。
異界に飛ばされたこと自体は過去に幾度か経験があったせいか、然程慌てず原因であろう玉を見ようと手を開く。

「あ、れ…?」

そこでまたひとつ違和感に気付く。確かに先程まで持っていたはずの玉が、なくなっていた。
ああ、これは、少し厄介かもしれない。
あれがなければ、原因の究明も出来ないかもしれないというのに。きつく掴んでいたはずだが落としてしまったのだろうか。だとしても、この暗さでは見つけることは困難だ。

「…どこかで、夜が明けるのを待つしかない、かな…?」

朝になれば、見つけられる可能性も飛躍的に伸びるだろう。幸い、カバンの中には大きめのブランケットが入れてある。あとはどこか広めの場所を探すだけだけれど…。

《そなたが、今期の守護を任された者か…?》

「え?」

目の前のものが視認出来る程度には暗闇に目が慣れてきたことだし、寝る場所を探そうと茂みの方へと歩き出したとほぼ同時に、後ろから声が聞こえた。男なのか女なのか、はたまた子供なのか老人なのかよくわからないとても不思議な声だ。
後ろを振り向き、声の主を見やる。

「…子供?」

《いきなり無礼な奴だな》

え、ごめんなさい…?いや、いやいや、だって…。少しだけ下へとずらした視線は逸らさないまま、静かに混乱する。
どう見ても見た目が十歳に満たない少年を、子供と呼ばずしてなんと呼べばいいと言うのだろう。闇に紛れる黒目黒髪黒い服の黒尽くしの子供。本当は違う色なのかもしれないが、明るい配色でないのだけは確かだろう。

《まぁ、それも仕方が無いことよ》

喋り方からして、絶対に私よりも生きている年数は多いのだろう。声も、身体に似合わず、アンバランスだ。
なぜ彼からは妖気を感じないのかわからないけれど、人ではないことだけはわかった。そっと手を後ろへと回し、ポケットに入れてあった札に触れる。一応、いつでも応戦できるようにしておかなくてはならない。妖怪は、気紛れに襲ってくるのだ。

《今一度問う。貴様が今期の守護者か?》

「……え、と…すいません、意味不明です」

《何も知らずに来たのか!?》

「ご、ごめんなさい…?」

信じられない、とでも言うように愕然とした表情でこちらを見てくる少年に、思わず謝ってしまう。
守護とか言われても、気付いたらここに居たわけなのだから、知るはずもない。 そもそもここはどこなのだろう。

「あの、さっきから守護守護言っているけど、なにそれ」

《それとも間違えよったか彼奴め…》

「あれ?あの、守護って…」

《もしや、こやつが本当に…?》

だめだ、完全にこちらの言葉を聞く気がない。
一人でぶつぶつ呟いている少年にどうしたものかと困惑していると、その様子に気付いてくれたのか少年と再度視線が交わった。

《…ああ、すまぬ。少し思案をしておった》

「…そう、ですか…。えと、もう一度きくんだけど、守護って、なに?」

《それは、時が来ればいずれ分かる事だ》

「…教える気無いね?」

《毛頭無い》

言い切られ、脱力。多分この子からはこれ以上なにも聞き出せないだろう。無理に聞き出そうとして、厄介な条件を突きつけられても困る。十中八九人外だろうから、もう関わらないようにした方が得策だろう。
またもやぶつぶつと独り言を言いはじめた少年に、ばれないよう静かに足を後ろへと動かす。

《では、まず初めに、》

それとほぼ同時に少年が顔を上げ、その小さな身体を一歩ずらす。その後ろの闇から出てきたのは、常識を逸した大きな体躯をした妖。

「…え?」

《今から半刻、こやつから逃げ切ってみよ》

「は、…え、」

《逃げ切れなければ死ぬぞ。…幸運を祈ろう》

祈るくらいなら最初から出すな、と反論しようとしたが、瞬きの間に少年の気配の影が目の前から掻き消える。
ああ、やはり人間ではなかったのか。いや、そんなことよりも、だ。
目の前にいる巨体をちらりと一瞥する。

「…どうやって逃げろと?」

ひくり。口角が引き攣る。

体格は馬鹿みたいに大きく、牙やらなんやらが御丁寧にも立派についている。
しかも山奥、助けは呼べない。

人間危機的な状況ほど冷静になるとはよく言ったものだ。
暗闇に光る瞳から、少しずつ距離をとりつつ、さて、どうしたものかと思案する。
ここは一先ず、

「走って逃げよう」

うん、それが得策だ。逃げるが勝ちという素晴らしい諺だって我が母国にはあるじゃないか。
そうと決まれば、片足で勢いよく地面をこすりあげ、砂や小石を妖の目へと向かって巻き曲げ回れ右して大疾走。

なんとか人がいるところに行って助けてもらわないと。調伏ができる人のいる所に。
自分でもできないことはない。けれど、呪を口にしている間に殺されてしまうのがわかりきっている。
ああ、けれど、困った。

「どこまで行けばいいの…!?」

進んでも進んでも辺り一面、森森森。
人がいる気配なんて皆無じゃないか。
変わらない景色に嫌気がさしつつも走り続ける。
ばきばきと木の枝たちが折れる音からして、妖はしつこく追って来ているようだ。

いい加減諦めてくれたらいいのに…!美味しくないよ!!
人肉は美味しくないってどこかの誰かさんも言っているじゃない!!

「あっ…!」

ふ、と感じた気配に急いで出処を探る。遠くの方だけれどこれは、神気…だ。
それと一緒に大きい霊力を持った人間がいる。あそこに行けば、助けて貰えるかもしれない。

「っも、はや…っ」

でもその場所に行きつくまでに、確実に後ろの妖に追いつかれてしまうだろう。
あんまり使いたくなかったけど、この際仕方ない。
地面を蹴る強さは緩めず、舌を噛まないよう気を付けながら口を開く。

「その行く先は我知らず、足を留めよ、アビラウンケン!!」

唱え終えた瞬間、妖の動きが止まる。
それと同時に、少しだけ重くなる身体。霊力はある程度強いけれど、燃費はすこぶる悪いのだ。しかも普段運動なんてしていないのに、突然走っているこの状況。調伏なんて到底無理だ。

「今のうちに…!!」

暗い森の中を疾走して行く。
暗視の術かけといて良かったと心底思ったのは、初めてだ。



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