「宵藍。」

《なんだ。》

「露樹様が美味しい甘味所を教えてくれたんだけどね。」

《………。》

「今度一緒に行こう。駄目?」

《…ああ。行こう。》

「それでね、帰りに市で―…、」

《…何の話しをしているんだ、お前らは。》



巌の上から、呆れたような声が降ってきた。
声の主は言うまでもない。巌の上に無造作に座り、頬杖をつきながら私と宵藍を見下ろしている妖艶な女性。

そちらを向き、こてん、と首を傾げながら答える。



「出かける予定を話しています?」

《………。》



ものすごい溜息をついてくれちゃったよ、この人。

雪化粧に覆われた貴船。一面銀世界の中に私と宵藍はいた。
わざわざ貴船にまで足を運んだのには、ちゃんと意味がある。



《出かける予定を話すためか。》

「そんなわけないでしょう。なに、高於は私のことを馬鹿にしているの!?」

《ではさっさと用件を言え。》

「冷たいなー。今日は空が言っていた神子様について訊きに来たんだよ。」



いつか会いに行くだろうと言っていた。
私が何者なのか、なぜ私をこの時代に連れてきたのか。
それはまだ謎のままだけれど、会う前に少しでも相手のことを知っておきたいと思うのは普通でしょう?…普通だよね?うん。大丈夫。



《空に訊けばいいだろう。》

「あいつは絶対答えてくれないもの。」

《…だ、そうだが?》

《我も信用がないものだな。》

「げ。」



高於の後ろから例の如く突然出てきたのは、空。
こいつ、私と高於の会話を盗み聞きする趣味でもあるの!?悪趣味極まりないぞ!



《げ、とはなんだ。失礼な奴だな。》

「あんたにだけは言われたくないよ。」



心外そうに私を見下ろす空。宵藍が横でため息をついたのがわかる。
今のは空が悪いんだ!
ばちばちっと睨みあう私と空。



《ああ、そうだ。》



突然、ふいっ、と視線が外された。
空が何か思い出したのかぽんと手を打つ。
いい予感がしない。悪い予感しかしないのは何でだろう。



《神子様が会いたいそうだ。》

「はじめに言おうよ!?」



予感が外れてくれて嬉しかったが、空の何気なしといった雰囲気に腹がたった。

何故にそんな重要なことを初めに言わないかな、こいつは。
一発ぶん殴ってやりたかったが、如何せん距離が遠い。畜生。



《そこで、だ。》

「…何。」

《今から貴様を神子様がおられる空間へと送る。》

「……え?」

《失礼のないようにな。》

「え、ちょ、え?待って、もしかして早速行って来いイベント発生?心の準備が…!」

《さらばだ。》

「ちょ、待てぇぇぇ!?」



叫んでみたが時すでに遅し。
視界がブラックアウトしたかと思うと、次の瞬間襲ってきたのは奇妙な浮遊感。

え、落ちてる!?嘘でしょ!?と思うが足元に地面の感触はない。

これ死ぬ!?死んじゃう!?

思った瞬間どすん、と重い衝撃が走った。
お尻…!お尻強打した…!
声も出せずにごろごろと痛さにのた打ち回る。
空め。覚えてろ…!
ひりひりと痛むお尻をさすりつつ立ち上がり、辺りを見回す。
見事な暗闇だ。



「なんだろう。時空移動先は暗闇が流行っているのかな。」



こっちは視界が悪すぎて迷惑極まりないのだが。
闇に慣れない瞳でどうにか辺りの様子を探ろうとする。

すると、後ろから声が聞こえた。



「咲夜ちゃん…!」



聞き覚えのある少し高く、落ち着いた声。
耳に気持ちよく残り、いつまでも浸っていたくなる。


まさか、と思った。

私はこの声を知っている。
小さいとき何度も聞いた。
記憶が堰を切ったようにあふれ出てきた。



『咲夜ちゃん、今日はなにをしているの?』

『スフレを焼いてみたの。どうかしら、美味しい?』

『まあまあ、こんなに汚れて。ふふ。また蝶々を追いかけていたのかしら。』

『咲夜ちゃんは私の自慢の娘ですもの!』




微笑む顔、怒った顔、私がお父さんと二人で出かけた時、どうして連れて行ってくれなかったのかと拗ねた顔。
いつも優しく包み込んでくれた。

懐かしい、大好きな声。



「お、かあ…さん…?」



そんな馬鹿な、と脳が告げる。
お母さんは普通の人間で、安部家に嫁いだんだ。
神子だなんてきいていない。

しかし、とも脳は告げた。

安倍家に生まれたのだから陰陽の才があるのはわかる。
けれど、あの異様な力は?
容姿まで変わったあの力はなんだったのか。
お母さんが神子であり、私がその力を受け継いだ。
そう考えれば納得できる。


ゆっくり、大きく鳴る心臓を宥めながら振り返る。
少しだけ暗闇に慣れた瞳が、声の主の姿を捉えた。
地に付きそうなまでに長い髪、おしとやかそうなそれでいて意思が強い瞳。
私を抱きしめていた腕。私の名を呼んでいた形のいい口。


なにもかもがあの時のままだった。

お母さんは、あの幼い日の記憶の中の姿のままでそこに立っていた。



「…大きくなったわね、咲夜ちゃん。」

「お母さんも、お変わりなく…。」



駆け寄りたい衝動をぐっとこらえる。
距離が、縮まらない。お母さんも近づいてこない。
感動の再会のはずだ。だって、そうでしょう?
死んだと思っていたお母さんが生きていた。
今すぐに走りよって抱きつきたい。そして、大声で泣きたい。

でも、できない。したらだめだ。

今は、母と子として会ったわけではないのだから。
それがあるから、お母さんも私のもとへ来ない。



「神子様、だったのですね。」

「ええ…。」



空気が硬い。
お互いなにを言っていいのかわからないのだ。



「お母さん…いえ、神子様は、なぜ私を選んだのですか。」

「……、…ごめんなさいね。」



私の質問に顔を伏せ、搾り出すように声をだすお母さん。

やっぱりそうだったんですね。

神子がお母さんだとわかったとき、合点がいった。


私が選ばれた理由。

お母さんの子供だから。
お母さんの力を受け継いでいるから。
だとしたら、一つだけわからないことがある。



「どうして、何人もの人を試したのですか?」



空が言っていた。
今までの者たちは駄目だったと。
資格がなかったと。

だから、私を選んだのだと。

お母さんの娘である私を最終的に選ぶのなら、初めからほかの人達を試す必要はなかったはずだ。
それとも、なんだ。
私はそれほどまでに期待されていなかったということか。
それはそれで無性に悲しいのは何故だろう。



「…私が、我が儘を言ったの。」

「我が儘?」

「…、…ごめんなさいね。」



悲しそうな顔で微笑むお母さん。
何に対して謝っているのだろう。
私を置いて行ったことだろうか。
私をここに連れてきてしまったことだろうか。

それとも―…?



「―…安倍咲夜。あなたはまだ未熟だわ。」



一瞬何かを振り切るように目を伏せ、顔をあげたお母さんは、神子様の顔だった。



「私のあとを継ぐには力が弱すぎる。その最たる原因は経験。明らかに経験が足りなさすぎるわ。」

「経験…?」

「そう。戦うこと、人と接すること、妖と触れ合うこと、世界を見ること…。全ての経験が足りていない。」
「………。」



そこまでの経験を生まれてきて、たかだか十数年しか生きていない娘に求めるのはどうだろうか。
しかも、前まで平和な現代で女子高生生活を送っていた者に対して、だ。



「あなたはそれを補うべく、これからいろいろな経験をするでしょう。」



低くもなく、高くもない、耳に心地よい声が脳に染み込んでくる。
まるで予言のようだ、と思った。

お母さんの紡ぐ言葉はきっと私の身に降り注ぐ。
確信はないけれど、言い切れる気がした。



「辛く、哀しい思いもするはずです。ですが、決して邪なものの声に耳を貸さないで。」



《それ》に耳を貸してしまった時、あなたはアナタではなくなる。

その言葉に、心臓が跳ね上がった。
突然脈が速くなったのがわかる。どくどくと音が聞こえる。
私がわたしではなくなる。
それはどういうことだろう。


わからない。


わからない。


ワカラナイ。


けれど、嫌な予感だけがする。
私がわたしでなくなったとき、きっと私は崩壊する。
邪なものがなにかはわからない。


きっと、その時がくるまで、わからないのだろう。



「…負けないで。」



小さく聞こえた粒やきに反応する間もなく、私の視界はぐにゃりと曲がった。

**********

《咲夜っ!》



目をあけると、珍しく焦った様子の宵藍がいた。
宵藍の後ろに空が見えるのは、私が寝かされているかららしい。
どうやら私は気を失っていたようだ。



《会えたようだな。》

「…うん。」



空の言葉に、宵藍に起きるのを手伝ってもらいながら答える。
そこになにか感じ取ったのか、宵藍は何も聞いてこなかった。



《…今日は帰れ。疲れただろう。》

「そう、させて貰う…。…じゃあね、高於、空。」



行こう、と宵藍の手を握って踵を返す。
握った手は冷たくて、なんだか無性に泣きたくなった。






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