「今からでも、遅くないはず。ここで、死んでもらう」



昌浩は息を呑み、後退った。

六合達からの話で聞いている。晴明の命を狙う、術者の、名前だ。
青龍と玄武、晴明が追い詰められていたところを、六合が救ったのだと。


本気で戦わなければ、昌浩などいとも容易く殺られてしまうだろう。
だが、昌浩は人間と戦ったことがない。

躊躇が、動きを鈍らせた。

風音の肢体が音もなく距離を詰め、手にした刃を軽くひらめかす。



「恨み言は、あとから追ってくる祖父に言うがいい!」



薙ぎ払われた切っ先を、昌浩はほとんど無意識によけた。ちっと舌打ちをした音が耳朶に突き刺さる。
ついで、風音の鋭い呪言が鼓膜を叩いた。



「風縛!」



昌浩の周囲に漂う空気が、突如として不可視の檻に変貌した。
恐ろしい呪縛の念が四肢に絡みつく。
這い登ってくるのは純粋な殺意を孕んだ冷たい霊気。

このまま無抵抗でいたら、間違いなく殺される…!



「砕っ!」



気合とともに呪縛の念を打ち砕き、昌浩はふっと体を沈める。
息があがる、身のうちに深く深く沈んだ防人が脅えて震えているのが分かった。
昌浩はぎりっと力を入れながら印を結ぶ。動きを封じなければ、反撃もできない。



「オンビンビシカラカラシバリソワカ!」



息を呑む気配が伝わってきた。
切っ先の放つ禍気が喉の奥に入り込んで、昌浩の声帯に絡まる。
物の怪の全身から緋色の闘気が迸った。
いまだかつて感じたことのないほど凄まじい、ともすれば殺気にも似た神気が爆発する。

しかし、本性には戻らない。
神将は人を傷つけてはいけない。
本性で力を発すれば、紅蓮の闘気はたやすく風音を殺傷してしまうだろうから。

風音の動きが鈍った。その隙を昌浩は見逃さなかった。



「縛縛縛、不動縛!」



呪言が風音の両足を地面に縫い止める。体勢を崩して、風音は地に片膝をついた。



「日月五星、二十八宿、天神地祇!」



霊力が広がり、風音を取り込んでいく。
風音の瞳が冥くきらめいた。
剣を地表にがっと突き立てると、呪言の詠唱をつづける昌浩を冷たく見据える。



「千禍招魂、――風殺!」



太刀が、恐ろしい妖気を放つ。
突き立った刃から地中を駆け抜け、昌浩と物の怪の足元から、激しい妖力の刃が躍り出る。
無数の刃に切り裂かれた傷は、灼熱の激痛を生んだ。
昌浩は声にならない悲鳴をあげた。
術をかけているにもかかわらず、呪縛の念を撥ね返しし、ここまでの反撃を浴びせられとは、想像もしていなかった。
物の怪の白い体が撥ね飛ばされる。地に崩れ落ちた昌浩は、必死で首をもたげる。



「もっくん…!」



視界の隅で、刃がきらめいた。
物の怪の凄まじい絶叫が轟く。
どさりと地に何かが落ちる音がして、低く呻きながら、僅かにもがく気配だけが感じられた。
昌浩は必死で立ち上がろうとしたが、風音が唸って凍てついた霊気の縄が全身を絡めとって、昌浩を強引に引き倒す。
倒れた昌浩は、背をしたたかに打ちつけぐっと呻いた。
見えない縄がじりじりと皮膚に食い込んでいく。
首にからんだ霊縛で、気管が圧迫される。
昌浩は必死で物の怪の姿を探す。

妖力の刃を受けて、撥ね飛ばされて、どこへ。



「…余所見をしているなんて、大した余裕ね。」



静かな呟きとともに、視界にきらめく切っ先が掠めた。
首の、脈打っている部分に、冷たいものが押し当てられる。
風音は表情のない顔で、昌浩を凝視している。やがて彼女は、ああ、と瞬きした。



「…防人、こんなところにいたの。気配をたどっても見つからないはずだわ。本当に、お前も、安部晴明も、私達の邪魔ばかり。」



昌浩は、ごくりと固唾を呑み込んだ。
晴明の名を口にしたとき、風音の瞳に炎にも似たものが一瞬だが、宿った。



「殺してしまえば、まとめて消えるわね。さよなら、晴明の後継者。」



風音が僅かに刃を引く。
勢いをつけて、一気に喉笛を裂こうというのだ。が、悲痛な叫びが風音の手を止めた。



「よせ…!」



昌浩は思わず目を閉じた。

なんて苦しそうな声だろう。

ずるずると、何かを引きずるような音がする。

もっくん、もっくん、いいから。
無理しなくていいから。

そう言いたいのに、喉を締め上げる見えない縄が、言葉すらも封じる。
全身を拘束する呪縛は、四肢の動きとともに、昌浩の内に宿った霊力すらも圧しているのだ。
首筋ぎりぎりのところに刃を据えたまま、風音は片手でとんと地表を叩いた。
次の瞬間、昌浩の耳に物の怪の悲鳴が突き刺さる。
地中を伝った風音の力が、鋭利な刃と化して物の怪を襲い、更に刃先を丸く削った斧のように四肢を押し切ろうとしているのが、感じられた。



「やめ…「昌浩!もっくん!」……ね、さま…?」



木々の間から飛び出てきたのは、息をあがらせた咲夜だった。

**********

目の前には、傷付き、倒れたままのもっくん。そして、首元に切っ先を当てられている昌浩。
それをやったのは、きっとそこにいる女性。



「あなたが、やったの…っ!?」



この間いた女性だ。
この人が、昌浩達をこんなことにしたのか…!
そんなに一緒にいたわけではない。
でも、この世界で一人だった私を迎えてくれて、姉と呼んでくれた人を。
初めは敵意があったが、それでも一緒にいることを許してくれた人を、こんな目にあわすなんて…!

ゆらり、と自身の身体から神気が立ち上るのがわかった。
感じたことのない神気に、昌浩と風音が目を見開く。
しかし、物の妖だけは違った。苛烈なこの神気を、自分は確かに知っている。
なのに、ああ、思い出せない。



「許さない、絶対に…!」



辺りの空気が揺れる。
木々がざわめき、影楼が立ち上る。

咲夜に、何かが起こっている。



「ねぇ…さ、ま?」

「昌浩から離れて!…斬!」



咲夜が叫ぶと同時に、風音に向かって不可視の刃が飛ぶ。それを感知し、風音は横に飛ぶ。刃はそのまま、木をえぐった。
スピードも、大きさも、いつもよりも段違いなものだった。



「く…っ!」



昌浩から離れ、刃を避けた風音はそのまま咲夜に向かってくる。
太刀を振り上げるが、咲夜が結界を張り、撥ね飛ばされた。



「風縛!」

「――禁!」



咲夜の四肢を絡めとろうとした風音の術を、少女は防ぐ。そのまま、また不可視の刃を飛ばした。
その刃も避けた風音だが、刃は掠ったようだ。
風音の脇腹辺りから、地面に向かって赤黒い液体が落ちている。
暗闇でも見えるのは、暗視の術のおかげだけではないだろう。



「なんて威力…!」



風音は不利ととったのか、少しずつ後ずさり、駆けていった。
だが、咲夜は追いかけようとも、攻撃しようともしない。自分におこっていることが理解できずいにいるからだ。
先ほどまでは、昌浩達を傷つけたのが許せなく、まともに戦えるのが自分だけであったので無我夢中で…。

無我夢中で、人を…?

咲夜は自分の身体を抱きしめ、地に膝をついた。
身体ががたがたと震えているのがわかる。


そんな…、どうして?どうしたの?
私は…私に一体…。
ナ ニ ガ ア ッ タ ノ ?


ふっと身体から力が抜けた。世界が回りかけたが、なんとか倒れないように力をこめた。
風音は、もう気配すらしない。



「…空は、何か知っているの…?」



私が守護者だと言った、あの子供は。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
君を知らないのは君自身。



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