あの子になりたい | ナノ




04


「あ〜!お腹いっぱい、本当にご馳走様でした!」
「美味かったな」
「はい!とっても!」
「お前、体の割によく食うから見てておもしれぇ」
「また褒めてるのかよくわかんないこと言ってきましたね…」

先輩はお酒も入って少し気分がいいのか、いつもより饒舌だった。今日から少しの間まとまったオフらしく、バレーに集中出来ると喜んでいた。オフとは?とわたしの頭ははてなマークでいっぱいだったけど、テレビや雑誌といったメディアの仕事が全くないことを言っているんだなと後に気づく。

店の外を出ると、先輩はタクシーを止めて「電車で帰りますよ」と言い張るわたしを無理やり押し込み自分も乗ってきた。こんなことはいつもしてこないので、何かおかしいとこの時怪しむべきだったのかもしれない。タクシーの運転手さんに告げる住所はわたしの家ではなく、影山先輩の家で。先に帰ってから送ってくれるのかな、なんて思いながら夜の東京の街を眺めていた。

タクシーが揺れるたびに微かに触れる左肩がくすぐったくて、触れるたびに過度に反応してしまう自分が恥ずかしい。どうか、こんなに意識していることがバレませんように、と無意味な願いを星空ではなくキラキラ光るネオン街にしてみる。

ぐっと肩の重みが増したと思えば、わたしの左肩に先輩の頭が乗っていて驚きすぎて落としそうになる。ふわっと先輩のいい匂いがして、目が眩みそうになる。あ、この匂い…と脳内の引き出しを片っ端から開けていくが、今付き合ってるであろう彼女の匂いではなく…もしかして、別れたのかな。と自分に都合のいい妄想をする。このまま妄想を続けていいのなら、きっと次の彼女はわたしに、なんて。

「名前」

と、甘ったるい声が聞こえてどこから聞こえてきたのか驚くほどだった。今まで名前で呼ばれたことなんてなくて、影山先輩がわたしの名前を知っていたことにも驚きが止まない。

「先輩、酔ってますよね?」
「酔ってねぇ」
「いや!いつもこんな、って!ちょっと!手!」
「うるせぇ。静かにしろ」
「まっ、えっ...むり、む...りぃ...」

先輩に繋がれた左手はみるみるうちに手のひらに大量の汗をかいてしまい、なんなら脇からも額からも汗がやばい。頼むから離れて欲しい、そんな願いを込めるが影山先輩は大きい体を小さく折り畳んでわたしの肩に頭を乗せたままわたしの左手を握ったり、撫でたりしながら遊んでいた。

緊張のあまり、無言で背筋をピンと伸ばし固まっていると隣の先輩から笑い声が漏れる。

「緊張しすぎだろ」
「しますよ...そりゃあ...」
「俺のこと好きなんだろ」
「...は、はい...」

影山先輩の発言の意図がわからず握られている手を脳内録画をする勢いで凝視する。シラフに戻ったら、全部無かったことにされたら立ち直れる自信がなかったのでいっそのこともう今の段階から夢だと思おう、そうしよう。そんなわたしの決意も知らず、先輩は体を起こしたかと思えば今度は空いてる手でわたしの後頭部に手を回してくる。驚いて背中をのけぞると窓ガラスに頭を直撃させてしまいまた、先輩が笑う。あ、好き。なんて思った時には勝手に目を閉じていて、これじゃあ、まるで、キスしてって言っているような、

「お客さん、ここでいいですか?」

束の間の夢だった。タクシーの運転手さんがそう声をかけて来て先輩の動きが止まるのがわかった。手が離れてああ、残念だななんて贅沢な後悔をしながら先輩が降りるのを待つ。が、その先輩はなぜかポケットから財布を出して全額支払っていた。

「え?せんぱ、」

わたしまだ乗りますよ、と続けようとした言葉は強引にタクシーから引き摺り下ろされて全く聞き入れてもらえなかった。本当に、今日はどうしてしまったんだろう。まさかここまま家に、と考えて顔が真っ赤に染まる。繋がれたままの左手が熱くて、そこから腕が溶けてなくなりそうだった。もつれる足を必死に動かし、歩幅の違う先輩に引き摺られるようにしてオートロックの扉をくぐる。

先輩の家に来ることなんて、もちろん今まで一度もなく高そうなマンションだなぁという感想以外何も思い浮かばなかった。人間、予想外のことが続くと脳が萎縮してしまうというのはあながち間違いではないのかもしれない。

ガチャガチャと雑に開けられた鍵、勢いよく開かれたドアと共に見えてきた先輩の部屋の中。玄関には綺麗なピンヒールが一足並べられていて部屋に入ろうとする先輩の腕を必死に引っ張る。

「飛雄?おかえり〜」

(ほら、見ろ。だから言ったのに)

さっきまでの浮ついた気持ちは一瞬でどん底、むしろ床より下にめり込んでこの高級マンションの一階、いや地下?とりあえずなんでもいいけど地の底まで下がってしまった。何回も、何回も勝手に期待しては裏切られて。もう、そろそろ先輩のこと好きでいれないかもしれない、と声の主を見る勇気もなくわたしはただ狂気になりそうなくらい綺麗に尖っているピンヒールを見つめて立ち尽くした。







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