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▼ 影山飛雄はプロポーズをしてくれない

今年の誕生日こそは、って思ってたのに案の定何もないしもう我慢の限界だ!と言わんばかりに飛雄の部屋のテーブルに重たい結婚情報雑誌を置いてわたしは自分の家に帰ろうとする。お手洗いを借りて、飛雄はテーブルの上にある雑誌にいつ気付くだろうか。気付いたら、わたしの思惑に気付いてくれるんだろうか。

先日職場の女子会で彼氏がなかなかプロポーズをしてくれない、と愚痴を漏らすと来月寿退社をする先輩からこの技を伝授してもらった。本屋さんでドキドキしながら購入し、今日その作戦を実行する。

「飛雄、帰るね?」
「っす」

そう声をかけると飛雄はまだテーブルの上の雑誌には気付いていないようで眠たそうにテレビをぼーっと見つめていた。

最近飛雄は一緒にいてもどこか上の空、というか何か他のことを考えていることが多くて。浮気?と思うこともあるけど、飛雄に限ってそんなことはないって信じてる。清々しいほどにバレーにしか興味のない飛雄が、浮気出来るほど女の人に興味があるとはとても思えなかったからだ。

見送りもそこそこに、一人で家から出ようとすると飛雄に引き止められる。お別れのキスの一つでもしてくれるのだろうか、と久しぶりに飛雄に感じるトキメキを抱え笑顔で振り返ると仏頂面の飛雄と満面の笑みの雑誌の女性と交互に目が合う。

「これ、忘れてんぞ」
「あ...う、うん。ありがとう」
「家帰ったら連絡しろよ」
「うん、じゃあ」

重たい重たい雑誌。今日は久しぶりに会うからとお洒落して小さい鞄に本屋の紙袋で来ていたわたしは、雑誌を丸裸で抱えたまま歩く。じめっとした鬱陶しい暑さにイラッとしながらもそれ以上飛雄に...いや、自分にイラついていた。

そもそも告白して付き合ったのも、はじめて手を繋いだのも、キスをしたのも。なんならセックスをしたのだって全てわたしが発信だった。別に飛雄のことは好きだし、わたしがしたい、やりたいと言えば付き合ってくれる飛雄に文句はなかった。

「でも、これは違うでしょ〜?!?!」

電車で隣の女の子に可哀想な目で見られながらも、それなりの値段がした雑誌を読まずに捨てることなんて出来ず、家に帰って悶々と一人でページをめくる。いや、一人でわたしが読むなら電子書籍で良かったじゃん。飛雄が見てくれなきゃ、意味がないのに。だけどわたしはあそこで飛雄に読んで欲しいとお願い出来るほどもう可愛い彼女ではなくなっていた。

正直に言うと、今は飛雄に結婚を迫って振られるくらいなら現状維持で付き合って、いつか飛雄がしたいタイミングで結婚出来る方がいいのではとも思うようになっていた。そもそも20代前半で結婚なんて、一般人の感覚からしたら早すぎるとかまだいいんじゃないか、と言われるのは自分でもわかってる。だが、そこまで考えていつも相手は一般人ではないしいつ飛雄が海外に活動を広げるかもわからない。彼女だったら置いていかれたら飛雄の性格上、復縁は難しい。結婚さえしていれば、置いていかれたとしても大丈夫だと思っていた。

だって今更、飛雄と別れるなんて考えられないし他の人と結婚する自分が想像出来なかった。いや、...飛雄とも想像出来ないけど。

結局次飛雄に会えたのは3ヶ月後で、その間も特に連絡をマメには取っていなかったので、わたしじゃなかったら振られてたと思うなぁ?!と自分を褒めてあげることくらいしか恋愛のモチベーションを保てなかった。

「今シーズン、調子良かったみたいだね」
「おう」
「わたしも仕事順調だったよ〜」
「俺、来年からローマでプレーする」

ガチャン、と使っていたスプーンをテーブルに落としてしまう。きた、ついにこの日がきた...!と唾を飲み込む。もうこの際お洒落なレストランとか、ムードとかそういうのは飛雄に期待してない。わたしはその後に続く言葉を目が零れ落ちるんじゃないかというくらい見開いて待っていた。

飛雄はわたしと目を合わすと、特に何を言うわけでもなくカレーをまた食べ始める。会話を終わらせてなるものかと慌ててわたしも「おめでとう」と伝えるがその後飛雄が再び話し出すことはなく、わたしはほぼ放心状態で食器を洗っていた。

(え、いや?まさか...?食後にサプライズ、とか?)

まだ飛雄への期待は捨てきれず、いつでも来い!と言わんばかりに大人しくリビングで一緒に過ごしていたが特にいつもと変わらない時間が過ぎる。

「時間、大丈夫か?」

飛雄が珍しく時計を見てそう尋ねてくる。今日は飛雄に久しぶりに会えるから、と明日は休みを取っていたので素直にそう伝えた。

「じゃあ泊まってくか」
「え、いいの?」
「?、名前の着替えとかなんかそのへんに置いて帰ってただろ」

それ何ヶ月前の話?絶対もこもこの暑いやつじゃん、と言いかけるが飛雄の気が変わってしまうのも嫌だったので黙ってシャワーを借りることにした。

「と、飛雄」
「なんだよ」
「何で、入ってきてんの?」
「あ?嫌か?」
「や、じゃないけど...」

わたしがシャワーを浴びて浴槽に浸かろうとすると、そのタイミングで飛雄が入ってきて思わず狼狽えた声が出てしまう。半年ぶりくらいに見た飛雄の裸体が美しすぎて目のやり場に大変困っていた。きょろきょろと挙動不審に目線を動かしてると飛雄が少し面白そうに笑ってくる。

(あ、笑ってるとこ久しぶりに見たな)

「あんま見んなよ」
「みっ!み、て!ない!」
「見てんだろーが、ボゲェ」

のぼせているのか、熱っているのかわからないが真っ赤に染まる頬を隠すように飛雄に背を向け壁をただ眺めていた。お湯が揺れ、水の音が大きくなった瞬間飛雄が湯船に足を入れたことに気づきわたしは半ばパニックで立ち上がってしまった。

「狭いでしょ?!飛雄、ほら、疲れてるしゆっくり浸かって」

立ち上がった勢いそのまま、お風呂から出てリビングで飛雄から食らったダメージを回復し始めた。何?いきなり?本当に浮気してる?今までお風呂なんて、一緒に入ったことないじゃん。

泣きそうになるが、ぐっと堪えてスキンケアをして飛雄のベッドで飛雄を待った。初めての夜か、と自分でツッコミたくなるぐらい緊張していた。ギシッ、とベッドが軋む。きた...!とドキドキして飛雄からのキスを待つ。いつも、そう言うことをする時のスタートはキスからだった。

ドキドキ、と自分の心臓の音が飛雄に聞こえていないか心配していたが問題なさそうだった。なぜなら、暗がりに見えたのは飛雄の欲情した顔ではなく大きくて広くて、逞しい背中だった。

今度は飛雄にわたしの泣き声が聞こえないことを祈りながら、わたしも背を向けて唇を必死に噛んで喉が焼けるくらい涙を堪えた。

ああ、もう飛雄とは終わりなんだろうなと漠然と思い眠ってしまいたかったが一睡もできず、こんなに長い夜は生涯で初めてだった。シーツも、もこもこの部屋着も、全部飛雄の匂いで包まれながらわたしはただ朝が来るのを待つ。

...朝が来たら、いや、来ないで。嘘、早く朝になって逃げ出したい。...ううん、やっぱりこのまま体だけでもくっつけていたい。

そう思い飛雄の方に近づくが、不意にぶつかった飛雄の背中はもう知らない人の背中に感じて。余計に涙が溢れ出して、止まらなかった。



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