小説 | ナノ


▼ 花凛様

「あ!影山の奥さんじゃん!」

その一言で、周りのファンと関係者の視線がわたしに集まる。今日だけはバレたくなかったのに、あと少しで帰れそうだったのに。そんな気持ちをもちろん知るはずもなく古森さんがどんどん近づいてくる。

「やっぱり!今日来てくれたんですか?」
「あ、はい…!」
「おチビちゃんたち今日はいないんですか?」

わたしは被ってきた帽子を深く被り直しながら「そうなんです」と返事をする。気づけば角名さんも近づいてきていて、どう考えても会場内で目立ってしまっていた。

今日は先月から楽しみにしていたEJPの東京遠征で。なんと今日は飛雄くんが遠征で大阪、子供達は仙台のおばあちゃんちにお泊まりという、独身時代ぶりに1人で過ごせる1日だった。飛雄くんは朝出かける時まで大阪に一緒に行こうと言っていたのだが、ちょうど住んでるマンションの消防点検が午前中に入っていて一緒に大阪へ行くこともできなかった。まあ、午後から行こうと思えば行けたんだけど。でも飛雄くんの試合は今日はなく、明日なのでわたしは明日の朝新幹線で大阪へ向かう予定になっている。

そんなこんなで今日の試合をとても楽しみに会場へ来て、試合を大いに楽しみこそっと会場を後にしようとしたタイミングで古森さんに見つかってしまった、というわけです。

「なのでどうか、飛雄くんには黙っててください…!」
「てかそこまでして俺らのチーム見にきてくれたの普通に嬉しいです。なぁ!角名」
「うん、そうだね。俺、名前さんにすなりんって呼ばれてるくらいだし」
「そ、その話は…!忘れてください」

飛雄くんが高校2年生の時、春高で見た時から角名さんの飄々としたプレーは割と好きで。EJPに所属したと聞いて何度か東京での試合を見に行ったことがあった。そんなことはもちろん飛雄くんは知らないし、バレたら怖すぎるので墓まで持って行きたい秘密の一つである。

角名さんはニヤ、と笑ってからわたしに「スマホ出してよ」と言ってくる。悪い予感しかしないが、ここは穏便に済ませて早く帰らせてもらおうと言われた通りにスマホを渡すと運悪く着信が入り「すいません」と断り電話に出る。

「もしもし?」
「あ!ママだ!飛空くんね、今ねピーマン食べたよ!」
「ままぁ!ひぃも!たべた!」
「ひぃちゃんは食べてないでしょ!嘘ダメ!」
「にぃにのケチ」

そんな飛空と飛茉のご機嫌な声で思わず笑顔になる。角名さんが電話口の相手が飛空だと気付いたのか、わたしの手からスマホをすっと取り電話をスピーカーにして話し出した。

「もしもし飛空くん、飛茉ちゃん?すなりんだよ」
「こもりんもいるよ〜!」
「あれ??ママじゃなくなった!すなりんとこもりんだあ!」
「...だあれ?」
「パパのお友達だよ。前に一緒に遊んでくれたでしょ?」
「今日ね、飛空くんと飛茉ちゃんのママが応援しに来てくれたから、俺たち勝てたよ」
「ママすごいね!」
「うん、2人のママはすごいね」

古森さんと角名さんが次々に子供達へと話しかけるが、さすがにファンの方に申し訳なくなり「わたし、そろそろ帰りますね」と告げる。

「あ、ちょっと待って」

とマネージャーらしき人に声をかけて受け取った色紙に角名さんと古森さんが順番にサインを書いてくれ記念にと一緒に写真まで撮っていただく。

「これ、お土産にどうぞ」
「あ、ありがとうございます…!大切にします…!」
「また影山に内緒で遊びに来てくださいね」

古森さんがそう言って笑顔で手を振ってくれ、角名さんも「また」と見送ってくれ、なんとも贅沢な時間を過ごさせてもらった。というか、わたしは今浮気をしたわけでもなんでもないのに、とんでもない罪悪感に心が死にそうになっている。

最初は本当に、ただ試合を見るつもりだったし、というか見てただけだし!?偶然、たまたま目が合ってしまって話し込んでしまった挙句サインまで頂いて…というより、子供たちにもやましい所を見られてしまったような気持ちになって悶々としたまま家に帰る。

誰もいない家は、それはそれは広く感じて。頂いたサインはそっとクローゼットの奥に大事に保管する。ふと時計を見るとまた19時にもなっていなくて、気づけばわたしはボストンバックを抱えて家を飛び出していた。ここから東京駅まではタクシーですぐだし、終電もまだ全然大丈夫。ただ、飛雄くんに会いたいという気持ちで新幹線に乗り込んでいた。飛雄くんのスケジュールをもう一度確認すると今日の練習は20時で終わり、そこから多分日向くん達とご飯を食べてホテルに戻るだろう。時間的にタイミングばっちりだろう、と安心する。飛雄くんに連絡する前に、ホテルの部屋をツインに変えてもらえるか確認すると元からツインルームだったようで快く人数の変更を受け入れてもらえてほっとする。

「あ、飛雄くんに連絡しなきゃ」

とスマホで飛雄くんのトーク画面を開いた瞬間、画面が真っ暗になる。そういえば昨日の夜から1回も充電してない…!と気づくが、あいにく新幹線の中には電源はあるものの充電器の販売はなくスマホの電池は切れたまま大阪へと向かうことになってしまった。

「やばい。絶対、絶対に怒られる」

飛雄くんは連絡がマメな方ではないが練習が終わったタイミングできっと連絡は来るだろうし、今日はわたしが1人でいると思っているので絶対電話をかけてきているはずだった。そんなタイミングでわたしが電話に出ない、連絡も返さないとなれば飛雄くんの逆鱗に触れてしまうのは明らかで。どうしよう…と顔を真っ青にしながら無常にも時は流れ、わたしは大阪へ到着した。

急いでコンビニで充電器を買い、なかなか復活しないスマホを持ちながらホテルの方向も分からず新大阪駅で立ち往生していた。充電が開始されたスマホの画面がついた瞬間、飛雄くんからの着信に恐る恐る出てみる。

「も、もしも」
「おい!大丈夫か?」
「うん、ごめんなさい。大丈夫。電源切れてて…」
「あ?今外にいんのか?誰かと一緒?」
「1人だけど、」
「危ねぇから早く家帰れよ」
「あのね、今…大阪にいるの」
「…は?」

飛雄くんの声が一段と低くなり、これは怒ってるなとわたしも勢いで行動したことを心から反省する。ごめんなさいと電話越しに伝えると「どっか店入ってろ。危ねぇから」とどうやらわざわざ新大阪まで迎えに来てくれるようだった。

「スマホ復活したから!大丈夫、」
「うるせぇボゲが。黙って待ってろ」

その電話から割とすぐ飛雄くんは迎えに来てくれて、完全に怒っているであろう飛雄くんの前にわたしは何も言えずにただ立っていることしかできなかった。

「…電話で、きつく言いすぎた。ごめん」
「いや!謝らなきゃいけないのは、わたしの方だよ。ごめんなさい」
「さっき、飛空ってか母さんから電話きて」
「うん」
「名前さんがEJPの試合1人で観に行ってるって聞いて」
「えっ」
「だから、連絡つかなかった時角名さんとか古森さんと一緒にいんのかと思って。すげぇ、嫌だった」

まだ終電でもなんでもない時間で、人通りもかなり多い。そんな中で飛雄くんは一切お構いなしと言わんばかりにわたしの体を抱き寄せた。

「ご、ごめんなさい」

飛雄くんの気持ちを何も考えていなかったなと、反省したら思わず涙が込み上げてきて飛雄くんの胸で泣いてしまう。いい年して恥ずかしい。それでも、飛雄くんに心配や不安を与えてしまったことが辛くて、悲しくて、悔しかった。

「泣くなよ」
「…っ、ごめんっ」
「ここでキスしたら怒る?」

わたしが言える立場じゃないことはわかっていたが「…怒る」と告げると飛雄くんはそのままわたしの重たい荷物を持って、タクシー乗り場へと足早に向かった。
無言のままタクシーに乗り込み、目的地を告げタクシーが出発する。そして、わたしへ強引にキスをひとつ。まさかタクシーでキスをしてくるとは思っていなかったので、驚いて声も出せずにいると繋いだ手が飛雄くんの口元へと運ばれ手に、指に一本ずつキスを落とされる。
羞恥心に耐え切れず目を逸らすと飛雄くんに逸らすな、と指を噛まれる。

「っ、」
「名前さん」
「…なに」
「続きは後でな」

ぐっと肩を引き寄せられほぼ抱きしめられているような体勢のまま、わたしと飛雄くんを運んでタクシーは目的地へと到着した。部屋に入るや否や飛雄くんはわたしをベッドに組み敷き事に及ぶ。明日、試合なのに…!と一応言ってみるが全く聞く耳は持たないようで。そもそも今回に限ってはわたしが100%悪いので飛雄くんの気が済むまで付き合う事にした。

飛雄くんの愛をたくさん受け止め、体力と気力の限界で今にも寝そうになっていると飛雄くんのスマホの画面が眩しくて目が覚める。

「、寝ないの?」
「これ返事してから寝る」
「…ん」

ほぼ気を失うようにして寝落ちてしまい、次の日の朝そういえば全然見てなかったなとスマホを開くとトレンドに飛雄くんの名前があり不思議に思いながら飛雄くんの投稿を見る。

「え、これ」

明らかにわたしの手だとわかる写真に「名前さんは俺のファンです」と一言だけ投稿されており戸惑う。画面をスクロールしていくと「奥さん昨日EJP観に来てたからパパ怒ってるね」「パパ嫉妬乙」「パパ妬いてるの可愛い〜」「奥さんこの投稿知らなさそう。また怒られますよ」「てか新大阪で見たのやっぱり影山夫婦だったんだ」「美男美女が駅で抱き合ってた!」「仲直りしたの?」などファンの方からたくさんのコメントが届いていて思わず眉間を抑えた。

そして角名さんから「昨日は奥さん貸してくれてありがとう」古森さんからも「女神のおかげで勝利したよ(笑)」とコメントが来ており飛雄くんが「名前さんは俺のです」と返事をしていた。その後も何度かコメントのやりとりをしていたようで目を通していく。

「それにしても羨ましいほどに仲良いよな」
「はい。仲良いっすよ」
「奥さん東京だろ?久しぶりに寂しいんじゃないの?」
「今隣で寝てるんで、大丈夫です」
「まじか(笑)」
「後で今日撮った名前さんの写真送ってください」
「でた嫁バカ(笑)」
「影山、ブチギレて奥さんの携帯に鬼電してました(笑)」
「日向明日覚えてろぶっ潰す」
「はいSNSで喧嘩しない〜」
「つぅか、角名さんも古森さんも早く結婚したらどうすか?幸せですよ」
「うるせぇ〜(笑)」
「幸せマウントやめろ」
「影山明日試合だろ。早く寝ろ」
「名前さんも寝たんで俺も寝ます。今日は俺の嫁がお世話になりました」

このコメントをいったい何人が見たんだろうと頭を朝から抱える事になる。スクリーンショットされた画像が出回り「影山選手みたいな彼氏欲しい」と言ったコメントも多いようだった。

隣で幸せそうにまだ寝ている飛雄くんの顔を見たら、起きてしまったことは仕方ないか。と割り切れるほどには、この数年間の結婚生活で随分わたしの神経も図太くなったらしい。



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