小説 | ナノ


▼ 影山飛雄と、及川のことが好きだった彼女

「本気で言ってんの?」

自分でも驚くほど冷静で、冷たい声が出てしまう。身体中の血の気が引いていき、自分の体温が急降下していくのが手に取るようにわかった。

目の前の飛雄は「しまった」とでもいうような表情で「悪ぃ」とだけ返事をする。今わたしが欲しいのは謝罪ではなかった為首を振り言葉を続ける。

「謝って欲しいんじゃなくて、本気?って聞いてんの」
「いや、本気ではねぇけど」
「けど、何?」
「もしかしたら名前が俺より及川さん応援することもあんのか、って思ったから聞いた」
「...わかった」

飛雄はまるで体が固まってしまったのか、指先一つ動かさずにわたしの方を見て微動だにしなかった。

「別れよっか」

これが昨日の話。飛雄の返事も聞かずにわたしは飛雄と一緒に選んで、一緒に住んで、暮らしていた部屋を飛び出した。

自分でも最悪のタイミングに飛雄と別れて、投げ出した自覚はある。オリンピックの代表選手の彼女として飛雄を支えるつもりだった。でも、どれだけ伝えても支えても、飛雄はわかってくれない。わたしがもう、及川さんのこと好きじゃないってことも飛雄のことが何より大切で好きだってことも、全部全部伝わらなくて一歩通行はしんどかった。

「それで何で俺んとこ?!」
「だって日向しか頼る人いないんだもん〜!!」
「いや、もっといただろ!谷地さんとか!」
「仁花にはもう迷惑かけらんないくらい、かけまくってるから行けなかった...」
「いや俺も寮だし!迷惑なんだけど!」
「日向はいいんだよ...お願い、誰かに話聞いて欲しいし飛雄と付き合ってるなんて周りの人には言えないし、日向しかいないんだよ〜!!!」

オリンピック予選のため、大阪から東京に来ていた日向を捕まえて一晩だけ泊めて欲しいと玄関先で懇願すると「今日だけだからな」と部屋に入れてもらうことに成功した。持つべきものは心優しい友達だ。

「で、今回は何の喧喧嘩?」
「今回は、ってわたしらいっつも喧嘩してるみたいじゃん」
「高校ん時はほぼ毎日喧嘩してただろ」
「...うっ、戻りたい...っ」
「ちょ、泣くなって...!」

日向はぎょ、っとした顔をしてわたしの顔にハンドタオルを投げつけてくる。あ、うちと同じ柔軟剤だ...飛雄洗濯とか出来てんのかな、とまた後悔と罪悪感が押し寄せてきて涙が止まらなかった。

「と、びおがさ」
「うん」
「オリンピック、俺と及川さんどっち応援すんだって、っ」

我ながらいい大人が情けないという気持ちもあるが、一度壊れた涙腺は収まることもなくぼろぼろと泣きながらそう日向に伝える。

「...それは、うん、...あれだな」
「ひどいよね?信じられない。わたし、大学も宮城から出るつもりなかったのに飛雄に東京来いってほぼ強制的に進路決められて同棲もスタートしてさあ!」
「お、おう」
「学校通いながら飛雄にご飯作ったり、なんか色々してさあ!」
「うん」
「たぶん、もう10年くらい?ずっと飛雄中心で生きてて、飛雄のことずっと1番に大切にしてきたのに...それなのに、今更そんな昔の話掘り返してきて」
「影山もさぁ、あれだ!ヤキモチ妬いてほしかっただけでしょ?」
「日向...知ってるでしょ、飛雄が及川さんにどういう感情持ってるか」

そう伝えると、日向も「あー、うん」と項垂れる。そしてそのままソファを借りて眠りにつく。

飛雄が自分と及川さんのことを比べるのは今に始まったことでも何でもない。飛雄とは幼馴染、と言えるほど幼い頃からの仲ではないけどお互いが思春期を迎える前からの仲だった。

小学校に上がりわたしの母が飛雄のお爺さん、つまり一与さんのママさんバレーに通いはじめた。たまにわたしも付き添いで遊びに行く度に、飛雄と遊んでいた。ただ、それだけだった。たまたま中学も同じで、バレーに携わることは好きだったので飛雄に誘われるがままバレー部のマネージャーをすることになる。

そして、そこでわたしの初恋である及川さんと出会ったのだった。

当時、周りの仲良い男子なんて飛雄くらいしかいなかったし優しくて面倒見が良くて明るくて、そしてかっこよくて。わたしが及川さんを好きになってしまうのに時間は必要なかった。もちろん子供心に部活に恋愛が邪魔なことは理解していたし、何より及川さんには彼女もいると聞いていたからただ見ているだけでよかった。同じ北川第一中学男子バレー部に所属している、その事実だけでよかった。

飛雄に及川さんのことがバレたのは、及川さん達が引退してからだった。

「お前さ」
「んー?」
「及川さんのこと、その、好き...なのか?」

飛雄からそんな話をされるとは夢にも思っていなかったので、恥ずかしいとかバレたとかそんな感情が全て置いてきぼりでただただ驚いてしまった。

「え、?なんで」
「及川さん彼女いるぞ」
「...知ってるよ」
「じゃあ、及川さんやめて俺にしとけ」

さっきの一言で、これ以上驚くことはないと思っていたがそれを簡単に超えてくる飛雄が少し恨めしくなる。意味がわからず聞き返すも、同じ言葉を繰り返すだけでわたしにとっては返事がないのとほぼ同じことだった。

「待って、ちゃんと答えてよ」
「何がだ」
「わたしのこと好きなの?」
「好きじゃなかったら言わねぇだろ、お前バカか?」
「い、いつから!?」
「初めてお前に会った日から、好きだ」

そう、真っ直ぐ目を見て言ってきた飛雄は嘘をついてる風には見えず本気で言ってるようだった。わたしは人生で初めて告白されるのがまさか飛雄になるとは夢にも思わず、どこか他人事のように話を聞いてしまっている。

「だから、及川さんに名前を取られたくねぇ」
「取られるって…」
「俺の方が先に名前を好きになった」
「あのね、及川さんは別にわたしのことなんて好きにならないと思うし」
「何でだ」
「え、?」
「名前のこと好きにならねぇとは限らないだろ」

飛雄は一体、何を言っているんだろう。好きだと言ってみたり、次は及川さんの話をしてきたり。

「及川さんみたいに素敵な人が、わたしを好きになんてならないよ」
「…俺は名前が好きだ」
「うん、ありがとう」
「俺は及川さんより強くなるし、負けない」
「うん?」
「だから、俺にしろ」

そう、言ってたのになあ…なんて遠い昔を思い出しながら日向に泣きついていた。結局飛雄はあの日から一度も及川さんに勝ったと思ってなかったんだろうか。わたしが今日この日まで、及川さんのことを好きだと思っていたのだとしたら酷い裏切りではないか。

こんなに好きだって、大切だって飛雄に伝えても結局わたしは及川さんの代わりに飛雄と今も一緒にいると思われているのだとしたら。

そんなことを考え続けているうちに、日向は練習が終わったのか飛雄を連れて帰ってきた。

「オイ、帰るぞ」
「こら影山!言い方ってもんがあるでしょ」
「帰らない」
「あ?」
「飛雄のとこには、帰らない」
「なんでだよ。あのことは悪かった」
「何が悪いかわかってないもん」
「んなの、お前が及川さん応援するかもって言ったことだろ」
「違う」
「違うのかよ」

飛雄がわたしの腕を掴んで立ち上がらせる。「とりあえず帰って話すぞ」と言ってくる飛雄にわたしは全力で拒否する。

「やだ。どうせ帰ってなんだかんだ有耶無耶にされて、仲直りにえっちして終わるだけじゃん」
「え、えっ、」

日向ごめん。そんな気持ちはあるけど、開きだした口は止まってくれなくて飛雄に今の気持ちをぶつけることにいっぱいいっぱいだった。

「わたしは確かに及川さんを好きだったけど、飛雄を好きな時間の方が長いの。この意味わかる?」
「当たり前だろ」
「でも、高1の時から飛雄は変わってない」
「あ?」
「インハイ予選の時と、同じことわたしに言ったんだよ?もう何年も一緒にいるのに」

そこまで伝えるが、飛雄はいまだに意味がわからないと言った様子で日向だけがわたしの言葉を理解して押し黙っている。

「わたしのこの数年間は何?こんなに飛雄のこと好きで、大切で支えたいって思ってんのに及川さんのこと応援するような薄情な彼女だと思われてるってことでしょ?」
「いや、そんなこと」
「仮に飛雄が思ってなくても、言われたわたしの気持ちわかる…?」

さっきも1人で泣いていたのに、また溢れてくる涙にさすがの飛雄も驚いているようだった。溢れてくる涙を拭いながら飛雄の腕を振り解く。

「結局飛雄は、わたしのことなんか何もわかってないし何も見てくれてない。だから、飛雄のとこには戻らない」

そう言い切って日向に「ごめんね、ありがとう」と言い残して呆然としている飛雄を置いて部屋を出た。

と言っても、東京に対して知り合いもいないわたしの行く宛なんてなくてとりあえず空腹を満たすためにファミレスへ入る。

今日はやけ食いだ!と意気込み手当たり次第に注文をして、大食い選手のようにいかにも体に悪そうなものばかりを食べてていく。こんな食事したの久しぶりだな、とまた飛雄のことを思い出して泣きそうになるがぐっと堪えて色んな感情と一緒にパフェを大きな口で頬張った。

さて、これからどうしようかとファミレスの前で大きなカバンを抱えながら項垂れていると「名前ちゃん?」と声が聞こえ顔を上げる。

「お、いかわさん…!」
「やっぱり名前ちゃんだ〜!久しぶり、元気してた?」
「はい!元気にしてます。及川さんもお元気そうで」
「相変わらず俺の前だとカチコチだね」

あはは、と笑ってみせる及川さんはあの頃と何も変わっていなくて中学生ぶりにちゃんと話したわたしを覚えててくれてるなんて、と喜んでしまう。
他のチームメイトの方に「先に行ってて」と言ってくれているようで、及川さんはわたしの横に腰を下ろした。正直緊張で手汗がやばい。

「で、そんな大きな荷物持って若い女の子が1人で何してんの?」
「…あ、えっと…」
「日本がいくら安全な国だからって、危ないでしょ」
「すいません…」

及川さんはスマホを取り出し、どこかへ電話をかけているようだった。

「飛雄ちゃん?あ、俺だけど」
「と、飛雄はやめてください…!」

まさか及川さんが飛雄にいきなり電話をかけるとは夢にも思っておらず、思わず大きな声を出してしまう。
電話先の飛雄にわたしの声が聞こえてしまったのか、及川さんの言葉を無視して飛雄が「名前か?及川さんといんのか?どこにいんだ」とずっと話しかけてくる。及川さんはけろっと、現在地を飛雄に伝え電話を切った。

「で?飛雄と何喧嘩したの?」
「なんで…知って、」
「先輩の勘、ってやつかな」

にこり、と笑った及川さんの顔がとても綺麗で思わず見惚れてしまう。

「名前ちゃん、俺のこと好きなんだろうなぁって思ってたら飛雄と付き合うしびっくりしたよ」
「…!?」
「気づいてないとでも思った?」

また及川さんに微笑まれ、わたしの心臓はどんどん鼓動が早くなりもうこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

「それにしても今も付き合ってるのはもっと驚いたな」
「え、わかってて飛雄に電話したんじゃないんですか?」
「彼氏と喧嘩したんだろうなぁ、とは思ってたけどまさかその相手が飛雄だとは思ってなかったよ」
「じゃあ、なんで…」
「もし名前ちゃんと別れても、飛雄はまだ好きだろうからそんなやつ辞めて俺にしとけ!って言いそうだなぁって」

そのセリフ、もう言われたことありますなんて言えるわけもなく気まずい沈黙が流れる。

「飛雄に、オリンピック俺と及川さんどっち応援するんだって聞かれて頭来て飛び出したんです」

気まずい空気の中そう伝えると及川さんは椅子から転げ落ちるんじゃないかってほど笑って喜んでいた。

「バカすぎない?アイツ」

お腹痛い、と目尻に涙を溜めながらそう笑っている及川さんにわたしも釣られて笑ってしまった。

「バカです本当に」
「だってさ、名前ちゃんはずっと飛雄のこと好きだったじゃん?」
「まあ、付き合ってからですけど…」
「違う違う、普通に初めて見た時から名前ちゃんは飛雄のこと好きなんだなってわかってたよ」
「え?」
「俺のことはなんていうか、憧れ?慕ってくれてるなとは思ってたけど」

少し笑いの波が引いたのか、及川さんは少し真剣なトーンで話を続ける。

「わたし自分の初恋は及川さんだと思ってたんですけど」
「違うでしょ、飛雄飛雄。名前ちゃんも自分のことになるとポンコツになるタイプ?」
「え!本気で言ってますか?」
「本気本気、本当お前ら似たもの同士だよ」

及川さんはそう言うとすっと立ち上がり「あー、面白かった。で、どっち応援すんの?」と意地悪そうに「じゃあね」と笑ってくる。

「そんなの、飛雄に決まってます!」

と立ち去る及川さんの背中に大きな声で伝えると後ろから急に抱きしめられて驚くが、いつもの飛雄の匂いで安心する。

「帰るぞ」
「…飛雄って、本当バカだよね」
「バカでもなんでも良いから、俺から離れんな」
「離れたことないじゃん」
「昨日の夜、いなかった」
「わたし飛雄が思ってるより飛雄のこと好きだよ?」
「…おう」

飛雄の腕の力がぎゅ、っと強くなる。

「仕事だってわかってても綺麗なアナウンサーと話ててもヤキモチ妬くし、ファンの子と距離近い写真とか見たら嫌だし」
「おう」
「高校生の時なんて、仁花にめちゃくちゃ嫉妬してたし」

耳元で、嬉しそうな飛雄の声が漏れる。

「なんで嬉しそうなのよ」
「俺だけが、名前のこと好きだと思ってた」
「でしょうね!?」
「無理矢理、及川さんから奪ったと思ってた」
「…うん」
「だから、ずっと一緒にいても及川さんが居たらそっち行くんじゃねぇかって不安だった」
「行かないよ…バカ」
「だから正直名前がめちゃくちゃ怒ってて、嬉しかった」

後ろから抱きしめられていた体は、ぐるりと反転させられ上からキスが降ってくる。外でキスなんて、飛雄がプロになってからほとんどなかったから久しぶりすぎて恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

「本気で怒ってたのに」
「悪ぃ」
「許さない」
「あぁ」
「許さないから、ずっと一緒にいて」
「おう」
「帰ったら、仲直りにえっちさせてあげてもいいよ?」

そう言うと、飛雄は嬉しそうに目を細めてわたしにもう一度キスをした。飛雄、あのね。わたしにちゃんと愛されてるって自信もっていいんだよ?だって、わたしもさっ知ったけどずっと飛雄のことだけが好きだったみたい。これは、恥ずかしいし散々泣かされたから絶対本人には言ってやんないけど。

飛雄に重たい荷物を持たせて、2人で手を繋いで家に帰った。

後日この時の写真がSNSに出回って公式に彼女がいるとわたしの許可なしに発表されて喧嘩になったことは、日向には内緒にしておこう。




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