私の狼さん | ナノ


lesson* 1 3


"ポリジュース薬"で生徒の姿に変身するなんて、正気の沙汰じゃあ無い――緊急時の為に用意してあった薬を、こんな私事に使ってしまうとは。とにかく、医務室に戻らなくてはいけない。ポピーに見つかる前に、この制服を着替えなくては…僕はハリーの姿をしたまま、医務室の扉を押し開いた。開け放たれたカーテンの奥は、やはり蛻の殻だ。僕は自分の肉体が通常に戻るのを感じながら、早々に着替え始めた。後に残ったハリーの制服には、"消失呪文"をかける。これで完璧だ。


「はぁ…」


なまえを目の前にした今日でさえ、夢ではないかと思う…二日前の夜、ここであった出来事。彼女が言った言葉。僕が夢を見ていたのではないかと――そう思い続けていた。夢の世界は、時に穏やかで美しい。僕が見るのは悪夢ばかりだったが、あの時は違った。夢の中の声は、なまえの声だった。彼女が僕を呼んでいた。目が覚めると、彼女は――そう、僕は確かに覚えている。あの言葉は決して、忘れることは出来ないだろう…しかし、あれから二日間、なまえは医務室に現れなかった。ただの一度も、僕の前には。確かめたいと思う感情も含め、僕は彼女が心配になった。医務室を抜け出すのは難しくない。危険は付き物だが、ここを出る前にはどうでもいいように思えた。僕自身の体裁など、とるに足らない些細なことだ。理性よりも先に行動力が働いた。ハリーの髪を手に入れるのには苦労したが――これも教師の特権で、上手く談話室に忍び込めた。ハリーに眠り薬が効いている一時間だけは、絶対に安全だった。そして、僕は彼女を見つけた。嫌な予感というものは、本当によく当たるらしい――"変人!"…確かに、彼女に恋した僕でさえ否定は出来ない事実だ。だが…あんな仕打ちは許せない。あんな風に一方的に軽蔑される姿を、黙って見ている事なんか出来ない。爪先から突き上げる様な怒りに、僕は逆らえなかった。スリザリン生の取り巻きを残して、二人を連れ大広間を出た後、僕はすぐに医務室へ戻ろうと思った。なまえに呼び止められなければ、僕は最後の理性に従うところだっただろう…なまえが僕に訊きたがった事――ハリーである僕に、訊きたがった事。それがどんな事なのか、気にならなかったと言えば嘘になる…彼女の言った言葉は、僕が最も欲していた"確信"に繋がった。

彼女は"恋"をしている――二日前の記憶は、夢なんかじゃなかったのだ…しかし、それがわかったとして、一体何になる?


「……」


僕は無意識に、備え付けのテーブルに手を伸ばした。真新しいチョコレートの包み紙を二つ折りにし、一口だけ食べる。目を閉じて、少しの間だけ眠ってしまおう――今は何も考えず、この眠気に身を任せた方が良い。起きていればいる程、余計な考えに頭を占拠されてしまう…もうじき、僕は"変身"してしまう。無理に足掻くこと無く、身体を休めなければならない――しかし、いつもよりは幸運だと言える。セブルスが調合してくれる"脱狼薬"は、僕にとってはこの上なく有効で、有り難い代物だ。あの薬を一週間飲み続けることによって、僕は誰にも危害を加えぬ、無害な存在で居られるのだ。そして僕は、一日を身を隠してやり過ごす。誰にも見つからないように、誰とも会わない場所で…


「おやすみ――」


* * *


古びた木立の合間を、縫う様にして歩く。今の僕には、外気の冷たさ等は微塵も感じられない。地に足を付きながら、森の奥へと進んで行く。この辺りは奇妙なほど静かで、生き物たちの鳴き声や、風が唸る音すら聴こえない。僕はまた、一歩一歩と奥に進んでいく。体温が異常に熱く、寒さは涼しさとなって僕を癒していた。普通の狼らしく、四足で歩いた方が良いのかもしれないが…僕の外見では、そのような努力もあまり意味を成さない。"狼""狼人間"は、似て非なる生き物だ。僕はそう認識していたが、変身した後の自分の姿をしっかりと観察したことは無い。僕は湿った土を踏み締めながら、湖の畔を見た。ここには誰も居ない――僕一人だ。湖の側に近寄りながら、僕は自分の姿を覗き込んだ。月光の明かりしか無い森奥では、はっきりとした姿形は確認出来ない。満月が浮かんだ湖面には、ぼんやりと灰色の頭が浮き上がっている。恐ろしい形相の――"人狼"。今にも飛びかかりそうな目つきで、こちらを睨みつけている。僕は一度目を閉じ、再び開いた。哀しげな顔の狼が、細い目を瞬いて自分を見つめていた。凄惨で醜い、の姿で…


「ルーピン先生?」


僕は湖面から目を逸らし、後ろを振り向く。なまえが、肩で息をして僕を見ていた。当惑した。何故こんな所に彼女が居るのか――僕はどうしても理解出来なかった。


「いや…来ないで」


彼女に話し掛けたかった。僕は絶対に、君を傷つけたりしない。薬を飲んだから…僕は誰にも、危害を加えたりはしないのだと。しかし、今の僕は人間の言葉を喋れない――獣になってしまった今では、彼女に何も伝える事が出来ない…僕は、彼女に手を伸ばした。


化け物…!!


違うんだと伝えたかった。君を傷つけるつもりは無い、君を悲しませるつもりも無い――僕は、ここで一人身を隠していただけなんだ。そう言いたかったのに…それだけだったのに…僕の願いは、届かなかった。彼女は恐怖に眉根を顰め、真夜中の森を駆け出して行った。僕を残して――僕一人を残して。声を上げ、待ってくれと言いたかった。どんなに微かでも、僕の意思を知っていて欲しかった。けれど僕の声は、人々を怯えさせる遠吠えにしか成り得なかった。暗闇に消えていくなまえの背中…辺りを見回しても、夜が更けた森には、生物の気配すら感じ取れない。


行かないで…くれ…!


僕の叫び声は、狼の唸り声となって山に木霊した。返ってくる声が頭の中に反響し、僕は気が触れそうになった。聴きたくない、この声は僕のものじゃない――きっと、見知らぬ狼が鳴いているのだ。僕のじゃない――



行かないで!!


二度目の絶叫で、聞き覚えのある叱咤が耳に入った。僕は急いで目を開けた。意識は曖昧だが、視界に飛び込んできたのは真っ暗な――成長し過ぎたコウモリの様な影。瞬きの隙に、口元に冷たい金属製の物体が触れる。独特の香りと煙から、それが何なのかはすぐに判った。飲むのは気が進まなかったが、僕の拒否が了承される訳が無い。大人しくそれを喉に流し入れた。ポリジュース薬とは比べ物にならないくらい、絶望的な味がした。


「…飲み干せ」


セブルスは急き立てて、湯気を発したゴブレットを喉元へぐいと近づけた。乱暴な腕を突き返したかったが、定められた用量を守らなければ、効き目が無くなる事も知っていた。そのまま飲み続け、中身が半分ほどに達した時、僕はつい弱気になって、以前薬を受け取ったときと同じ質問をした。


「本当に、砂糖は入れられないのかな?…その、ほんの少しだけでも――」

「我輩はそれでも構わないが。…その代わり、薬効の保証も出来ないがね?ルーピン」


皮肉めいた笑みを向けて、セブルスは再度ゴブレットを傾けた。僕は殆ど零すこと無く、残りの全てを飲み干した。嗚咽が込み上げて来そうになるほど、過激な味のする薬だ――咳き込みを抑える為、肺の辺りを擦りながら、僕はセブルスにお礼を言った。


「ありがとう、セブルス」

「何を見ていたのだ?」


セブルスはゴブレットを掴みながら、静かな声で訊ねた。何について訊いているのか、一瞬解らなかったが――僕は、つい先程まで夢を見ていたのだ。恐ろしい悪夢を。


「嫌な夢を見ていたみたいだね」

「ほう…どんな夢かね?」

「……」

「随分と、魘されていたが」


彼らしい探り入れだ、と僕は思った。答えるつもりも端から無いが――僕は何でもない顔をして、大袈裟に首を傾げて見せた。


「内容までは覚えていないけど――確かに、酷い夢だったような気がするよ」

「…またその様な夢を見ないよう、気をつけることだな。医務室は私室では無い」


やはり、僕は何か余計なことを口走ったのかも知れない。夢の中での出来事だが――最後の叫びは、僕自身の声で届いたような気がしたのだ。狼の遠吠えではなく、しっかりとした自分の声色で。僕は、セブルスに短く返事をした。


「ああ…注意するよ」


彼は返事も反応も示さず、黒いローブを翻して医務室を出て行った。あと三日間、薬を飲み続けなければいけない。そして、満月の夜に僕は――完全に姿を変えてしまう。


――あなたが好きってことです。


なまえの言葉が蘇る。夢では無く…内実を知らない彼女が言う言葉。しかし、もし真実を知ったならどうだろうか?幼い自分を置いて居なくなった父親と同じ――僕が、狼人間だったと知ったら?


――化け物…!!


随分長いこと眠ってしまったから、きっと今すぐには休めない――明かりを消して目を瞑っても、記憶は簡単には途絶えてくれないだろう。僕は左腕で両目を覆い隠し、脳裏に焼き付いた彼女の…残酷な顔を思い出した。




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