ふんどしを締めて 2


「いらっしゃいませ、優馬様」

「……あの、いい加減その呼び方やめてくれない、です? せめて、君とか」

「いえ、そんなわけにはまいりません。優馬様は、大切なお客様ですから」

 そう言って赤ふんさんは、にっこりと微笑んだ。相変わらず素敵な営業スマイルだ。今日も皺ひとつないスーツに身を包み、きっちりとネクタイを締めている。髪の毛も一部の隙もない綺麗な七三分けだ。パッと見、二十代後半から三十代前半くらいに思えるけれど、実際何歳なのかは訊いていない。

 恥ずかしくて身体中が痒くなりそうだからやめてほしいと、会うたびに言っているのだけれど、赤ふんさんは呼び方を変えてはくれないらしい。にこにこと笑う顔を見つめながら、心の中だけでため息をついた。

 俺が赤ふんさんに初めて会ったのは、じいちゃんの還暦祝いを探していた時だった。たまたま通りかかった――というか、実際は知らない間に迷い込んでいたらしい――この「からうり通り」で、赤ふんさんは「ふんどしどころ」という店を構えている。その名前の通り、売っているのはふんどしだ。しかも赤いふんどししか置いていないという、ちょっと、いや、随分とマニアックな店だと思う。

 勧められるがまま、じいちゃんにふんどしを買おうとしたのだけれど、偶然赤ふんさんの正体が、一反木綿という妖怪だと知ってしまった。前から見たら普通の人間の姿をしている赤ふんさんは、横から見たらペラペラな紙みたいに薄かった。

 どうやらこの「からうり通り」に住むもの達は、皆人間ではないらしい。

 最初はもちろん信じられなかったけれど、どんなに歩いても帰れなくて――通りから出るには「通行証」が必要になるらしい――結局、赤ふんさんに泣きつく羽目になった。

 赤ふんさんの店の通行証は、それはもう見事に真っ赤なふんどしだった。それを身につけなければ帰れないと言われ、ふんどしの穿き方、もとい締め方を教えてもらった。ものすごく恥ずかしかった。健全な男子高校生で赤いふんどしを締めた奴なんて、そうそういないと思う。

 もうきっと会うこともないと思っていたけれど、結局買って帰ったふんどしを、じいちゃんがいたく気に入ってしまった。何枚か替えがほしいと言われたけれど、他にふんどしを売っている店なんて知らないし、仕方なくまたこの「ふんどしどころ」の扉を叩いたのだった。

 普通に替えを買って帰って、こんどこそ終わり。そうなるはずだったのに。

 どういうわけか、事あるごとに、赤ふんさんの笑顔が脳裏に浮かぶようになってしまった。理由なんて、さっぱりわからない。なんだかそわそわして落ち着かなくて、結局この店に通うようになってしまった。

けれど、ここに来て帰るためには、通行証を身につけなければいけない。だから仕方なく、毎回ふんどしを締めている。何回締めたって慣れることなんかなくて、やっぱり恥ずかしい。今だって恥ずかしい。外から見てわからなくても、ふんどし締めてるってだけで恥ずかしい。自分でもなんでこんなに恥ずかしい思いをしてまで、通ってきているのかわからないのだ。もらった赤いふんどしに、呪われているとしか思えない。そうでなければ説明がつかない。

 買い物もせずにただ遊びに来るだけの俺を、赤ふんさんは毎回お馴染みの笑顔で出迎えてくれる。この笑顔が素のものなのかそうでないのか、俺にはわからない。基本的にいつもにこにことしていて、綺麗な言葉遣いや姿勢が崩れることなんて滅多にないからだ。それこそ、初めて会った日に俺がふんどしを「そんなもん」呼ばわりした時に、ちらっと悲しそうな顔を見せたくらいだと思う。

 それにしても、いつ来てもこの店は大体静かだ。こうまで他に客の姿を見ないと、ちょっと不安になってくる。

「ねぇ、赤ふんさん。この店って、売れてんの?」

 何でも考えなしに口に出してしまうのは、俺の悪い癖だと思う。言ってしまった後に、何て失礼なことを訊いてしまったんだろうと後悔したけれど、赤ふんさんの笑顔は崩れないままだ。

「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ。ここに住む方々は、皆様ふんどしをご愛用しておいでですから」

「ホント?」

「開店記念に、通りの皆様にふんどしをお贈りしたのです。皆様に気に入っていただけたようで。何しろうちのふんどしは素晴らしい品ばかりですからね。一度この店のふんどしを締めると、虜になってしまうようなんですよ」

 赤ふんさんは自慢げにそう言って、うふふと笑う。

「例えばカラメル堂の皆様は、ここのふんどしでないと座りが悪いとおっしゃって、定期的に買いに来てくださいますし」

「へぇ、そうなんだ」

 赤ふんさんの笑顔に、ちょっとほっとした俺の脳内に、からうり通りの他のひとたちの姿が浮かんだ。そうか。皆、ふんどし締めてるのか。

「――こんにちは……」

 ぼそりとした声とともに、白衣を着た目つきの悪い店員が店の中に入って来た。近くで薬屋を営む、くずさんだ。ペラペラの身体をひとに見られないように、店の外に出ない赤ふんさんのため、染料や薬剤を届けに来てくれているらしい。もう何回も顔を合わせている。

 目つきは悪いし、ぼそぼそと喋るけれど、悪いひとではないと思う。

 ちょこんと彼の肩に乗っかっているオコジョの白と目が合った。もう少し仲良くなったら、撫でさせてもらえるだろうか。

「……どうぞ」

「いつもありがとうございます」

 薬品の入った袋を差し出したくずさんに、赤ふんさんはにこにこと笑いながら頭を下げた。

 それじゃ、と素っ気なく踵を返したくずさんが入り口を出かけたところを、追いかけて捕まえた。いきなりこんなことを訊くなんて、きっと変態だと思われる。それはとても嫌だけれど、好奇心には勝てなかった。

「変な事訊いてごめんなさい! あの、……くずさんもふんどし締めてるんですか?」

 くずさんは、首を傾げながら、眉間に深い皺を寄せた。いつも悪い目つきがさらに胡乱げなものになる。ほんの少し考え込むように言いよどんだ。

「……何故、そんなことを……?」

 それでも無視をすることなく口を開いてくれるから、やっぱりいいひとだと思う。

「あっ! いきなりごめんなさい! ……なんていうか、赤ふんさんがここの皆はふんどし締めてるって言うから、ちょっと気になって」

「いえ……。俺は、トランクスですけど……」

「一緒だ! 俺も俺も! ん? じゃあやっぱり、皆が皆、ふんどしなわけじゃない……?」

「……ええ。おそらく……」

「――あれ? 葛葉と優馬君じゃない? そんなところでどうしたの?」

 店の入り口で話をしていると、涼やかな声が後ろから聞こえてきた。振り返るとイケメンが手を振っている。雪さんだ。

 彼は雪女と人間のハーフらしい。そのせいか近くに寄ると、少しだけひんやりとした冷たい空気が漂ってくる。雪さんがふんどしを締めているところなんて、想像できない。

 くずさんが答えてくれたんだから、この愛想のいいイケメンが、答えてくれないわけがない。

「あの、雪さん! つかぬ事をお伺いしますが、パンツは何を穿いていますか?」

 単刀直入に訊くと、雪さんは一瞬、きょとんと目を丸くした。けれど、イケメンはどんな顔でもイケメンだ。その後すぐに、楽しそうに小首を傾げて笑った。

「俺の下着が知りたいの?」

「はいっ! 教えてください!」

 力強く頷くと、イケメンは笑顔のままくずさんに向き直った。

「……葛葉も知りたい?」

「えっ?」

 いきなり質問を振られたくずさんは、困ったような声を出した。マスクからはみでた頬が、心なしか赤い。動揺したように、うろうろと視線を彷徨わせている。

「ちなみに、俺とくずさんはト――、ぶっ!?」

「や、やめてくださいっ!」

 言葉と同時に手のひらで口を塞がれた。言うな、と声には出さずに目つきだけで訴えかけられる。鬼のような形相で睨んでくる彼の背後から、どす黒いオーラが立ち上っていて正直怖い。

 押し付けられた厚めの手袋の下で、大人しく口を噤むことにした。小さく頷くと漸く口から手が離れたけれど、しばらくはこのまま黙っていようと思う。

「葛葉が、何?」

「何でもないです……!」

 くずさんは、焦ったように首をぶんぶんと振っている。さっき聞いたときは、何も気にした様子を見せずに言ってくれたのに。雪さんが、悲し気に眉を寄せた。

「俺には教えてくれないの?」

「えっと、あの……」

「俺が言ったら、葛葉も教えてくれる? 俺はねぇ――」

「だ、駄目です!」

 雪さんの言葉を遮るように、くずさんが大きな声をあげた。なんだか必死に見える。

「ダメ? どうして?」

 ねぇ? と小首を傾げながら、ふんわりと笑う顔を近づけてくる雪さんを目の前に、くずさんは少したじろいだ。雪さんの醸し出す空気が妙に甘ったるくて、直接微笑みを向けられたわけでもないのに、俺までなんだか顔が赤くなりそうだった。イケメンは怖い。

「……」

 くずさんは完全に固まってしまったようだ。その様子を見た雪さんが、くすりと笑って俺に向き直った。

「……それじゃ、俺も秘密ね」

 そう言うと、立てた人差し指を唇にあてて軽くウインクをした。こんな気障なポーズが似合うなんて、イケメンは本当に怖い。

 それじゃまたね、そう言って雪さんは手を振りながら、空いている方の手で固まったままのくずさんの手を引いて去って行った。

 結局、イケメンが何を穿いているのか、わからなかった。二人をぼんやりと見送って、店の中に戻る。

 さっきまで、すぐそこに立っていたはずの赤ふんさんの姿が見当たらない。

「あれ? 赤ふんさん、どこ?」

 耳を澄ませると、カウンターの方から微かに洟をすするような音が聴こえてきた。

「……皆様、ふんどしがお好きではないんですね……」

「え、赤ふんさん、……もしかして泣いてんの? ――って、わぁ!? な、何してんの?」

 びっくりしすぎて思わず飛び跳ねてしまった。

 赤ふんさんはカウンターの中で、ひっそりと床に蹲って、まるで折りたたまれた布みたいに、ぺっちゃんこに潰れていた。いや、一旦木綿だし、実際布なんだろうけれど。

 危なかった。もう一歩進んでいたら踏むところだった。

「私は、驕っておりました……。皆様、日頃からこの店のふんどしをご愛用していてくださるとばかり思っておりました……」

 赤ふんさんは小さな声でぐすぐすと洟を鳴らしている。腕だと思われる部分を掴んで抱き起した。ぴっしりとセットされていた髪の毛は乱れているし、スーツも全体的によれよれしていて、ネクタイも曲がっている。

 いつも笑っているせいか、弱ったように八の字になった眉がなんだか新鮮で、可哀想で、ちょっとかわいい。そんな風に思ってしまう俺は、性格が悪いのかもしれない。

「あの、えっと、ごめんね。俺のせいで、なんか……」

「優馬様のせいではありません……。ひとえに、私の力不足です。私がもっとふんどしの素晴らしさを伝えられていれば……。優馬様も本当は、ふんどしがお嫌いなんでしょう……?」 

「や、そんなことないって!」

 勢い任せに首を横に振った。好きか嫌いかって言われたら、実際のところよくわからない。やっぱり恥ずかしいし、友達にも家族にも絶対に知られたくないけれど、締め心地がいいのは事実だし。

 それにふんどしを締めていないってきちんと聞けたのはくずさんだけだし、もしかしたら雪さんはふんどしかもしれない。ないとは思うけど、一応、可能性は捨てきれないし。別に嫌いってことはないだろう。たぶん。

「ねぇ、元気出してよ。ちゃんとふんどし締めてくれてるひとたちだっているんでしょ? ほら、俺だって一応、ここに来るときはふんどし締めてるんだし。……ええっと、俺でよければ、何でも手伝うから。宣伝とかさ」

「本当ですか……? 何でもよろしいんですか?」

 赤くなった目でじぃっと見つめてくるのは、卑怯だと思う。頷くしかない。

 赤ふんさんは、ぱぁっと花が咲くように微笑んだ。

「では、優馬様。是非新作のふんどしを締めていただきたいのですが――」

 困った顔も泣いた顔もちょっとかわいいと思ってしまったけれど、やっぱり笑っててほしいって思っちゃったから、もうダメなんだと思う。だから、仕方ないと思うことにした。別に減るもんじゃないし。もう何回も締めてるし。恥ずかしいのも今更だし。

 赤ふんさんが笑ってくれるなら、ふんどしの一つや二つ、締めてやろうじゃん?




 実は毎回仕方なく締めていた通行証が、身に着けなくても持っているだけで効果があると、俺が知ることになるのは、また後日の話。



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