だから私は何も信じない

あ、


と呟いた時には、もう消えていた。


呟いたその一文字だけが
ただ空中にゆらゆらと揺れて、そして見えなくなった。


山道をフェイタンと連れ立って歩きながら
私は空を見上げていた。

煩いくらいに、今日は満天の星空だった。

流れ星を見たのは何年振りだろう。


そして、こんなに胸が痛くなるのは
いつ振りだろう。


鋭利なナイフで刺されたように、胸がズキズキと痛む。

先を歩くフェイタンは
昨日洗濯したばかりの青いパーカーを肩にかけて
少し寒そうに肩をすくませた。


仕事の帰り道だったからかもしれない。
感傷的な気分になってしまったのは。

そんな自分に少し腹が立って
落ち着かせようと煙草に火をつけた。


それでも。
どんなに苛立っても
嫌になったとしても
まだ忘れていないんだ、と思って少し安堵している自分がいるのも事実だった。




さっき蚊に刺された腕が痒くて
無意識に掻き毟っていたらしい。

爪の間は血だらけだった。


砂利の上にはスニーカーが一揃い。
一昨日おろしたばかりの新品。
足によく馴染んでいて、素敵だった。


そこら中で虫の大合唱。
汗ばむTシャツの襟元をパタパタと扇ぎながら
もう一度、夜空を見上げる。






これって



誰に言うともなくつぶやいた。



これは、いつか見た空だ。



瓦礫の山の中で
ゴミとひしめき合うようにそれは在った。


ハエがたかっているのは分かっていたが
まさか蛆まで湧いているとは思わなかった。

だから、この腐敗した物体を見たときは
まず吐き気がしたし
死体だと気付くまでには少し時間がかかった。


どうして死んでるの


私の言葉には答えず
フィンクスはただぼんやり見つめていた。



彼の表情はよく思い出せない。


初めて人の死に触れた瞬間。
この経験のおかげで、私は人の死とセットで
腐敗臭と蛆虫を連想するようになった。
これを人はトラウマと呼ぶのだろう。


だから、初めて人を殺したときも
罪悪感なんて一つもなかった。

あるのは
ドブの中に落っことされたような
そういう類の不快感。




お前、人殺しか?


フェイタンが無表情で私を見つめる。
その目は暗く、何も見ていないような色だった。


ワタシの国でたくさん見たよ。


フェイタンは今しがた
私が首の根を掻いたそれを指差した。

ボロ布をただ巻いただけのフェイタンの服が、風にはためく。
風はそのまま、遠い青い空の中に吸い込まれていった。



なぜ殺した?


驚いたような表情で尋ねるフェイタンに
私は答えなかった。


善も悪もない世界で
正解なんて存在しない。


その概念を
私が受け入れ始めている目の前の少年と
共有できていない事実を
受け入れたくなったのかもしれない。


風は私の髪の毛までさらっていった。


だから
フェイタンが初めて人の命を奪ったとき
私達は心からやっと分かり合えた気がした。


その夜は、いつもより沢山の星が降っていた。


返り血を浴びて
目を充血させて此方を見据える彼が

今にも泣き出しそうな顔をしていたことは
気にしないふりをした。

助けを求めるような
悲しい表情で少しだけ笑ったことは
気にしないふりをした。



瓦礫の中で
小さく震える少年が

こちら側の人間だと

血生臭い風と腐敗臭が教えてくれた。







フェイタン。


私はフェイタンの背中に問いかけた。


フェイタンは歩みを止めず、前を見据えたままだ。
相変わらず少しだけ寒そうに肩をすくませている。


おろしたばかりの私の白いスニーカーは
暗い砂利道でも淡く光っている。


昔フェイタンが言ったこと覚えてる?

あの街に見える流れ星が、



突然彼は止まる。


勿論機嫌が悪くなったんだろうし
この話を続けた先の展開が見えているので
私は素早く謝罪を口にした。


虫が命を削るように、懸命に鳴いている。
それが耳の奥まで響いて、飽和する。

フェイタンが再び歩き出したけど
私立ち止まって、もう一度だけ空を見上げた。



フェイタン。
流れ星はどこにもなかったね。




ああ、言葉がまた、ふわりと空中にはじけて


消えた。









くだらないと思てたね


この世は暗くて
寒くて
空腹なのだと思てたよ

でも、オマエ
知てたか


闇の中にも
ずと遠くへ、遙か先のあの場所まで行けば
星が降てるよ。











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