燃え盛る烈火の緋、流れ出す鮮血の赤、馨しい薔薇の紅。
そのどれよりも遥かに烈しく鮮やかで、気高い色をしたふたつの瞳。その瞳と目が合った瞬間を、生涯忘れることはないのだろう。
“あれ”は永遠に、おれだけのものだ。
◆
商談を終えての航海中、船がエンジントラブルに見舞われた。機械室の様子を見てきたヴェルゴ曰く、少し停めてメンテナンスすれば直るとのことで、船は近くにあったさほど大きくない島の浅瀬に停泊した。
「少し周りを見てくる」
港どころか桟橋すらない島に人がいるとは思えなかったが、敵になりうる存在がいないとは限らない。
おれは船を任せ、ひとりで島を調べることにした。そう広くはない。時間はかからないだろう。
船を停めた浅瀬の浜辺から林を抜けて少し歩いた頃、ふと瑞々しい香りが鼻を掠めた。花の香りだろうか。足を進めると、やがて道が開け、建物らしきものが見えてきた。どうやら村があったらしい。
「……ずいぶんと派手にやったみてェだな」
村は、あった。しかしそこに生命を感じさせるものは何も残ってはいなかった。
数えるほどしかない民家はぼろぼろに崩れ、そこかしこにどす黒い染み、刃物の跡、銃の跡が残っている。山賊、または海賊にでも襲われたか。
生々しく残された襲撃の痕を眺めていると、漂っていた馨しい香りがぐっと強まった。惹かれるように視線をそちらへ向けると、まるで幼い頃読み聞かされた童話のワンシーンのような光景が目に入る。
「薔薇……と、女…?」
村の中心であろう広場のようなそこには、悲惨な光景とは対照的に、薔薇の花が見事に咲き誇っていた。根元が不細工に盛り上がっている。何かを埋めた跡のようだ。
薔薇の垣根の中央にはそう高さのない木の台があり、女が横たわっているのが見える。自然と足がそこへ向かった。
「ああ? 何だ…まだガキじゃねェか…」
不思議なことに、遠目で見たときには妙齢の女に見えたその影は、近付いてみると年端も行かないガキだった。血の気のない白い顔をして固く目を閉じている。死んでいるのだろうか。
「……」
なぜそうしようと思ったのか、自分でもわからない。
ただ、おれは近くに咲く薔薇の棘で指を刺し、ぷくりと湧いて出た血をガキの唇に引いていた。
着ている服は血と泥で汚れて散々だったが、雪のように白い顔に血の赤が際立って、ぞくりとする美しさがあった。
しばらくその顔を見つめていると、ふと、血で彩られた赤い唇がわずかに開く。見間違いかと思ったが、開いた口からは赤い舌が覗き、おれが引いた血をかすかに舐め取った。
「! 生きてたのか」
独り言めいた呟きに答えるよう、固く閉ざされていたガキの目が、ぱちりと開いた。
日を浴びて煌めくふたつの赤が鈍いまばたきを何度か繰り返したあと、おれに向けられる。目が合った瞬間、おれは惹き込まれるような感覚に息を呑んだ。
「…っ、おまえが、村の奴らを殺したのか?」
理性を引き戻すように、何とかそう言葉を紡いだ。質問に意味はなかった。村の人間の最期になど、興味はない。それでも何か話さなければ気をやってしまいそうだった。
ガキは起き上がろうと身じろいだものの、顔をしかめてそれを諦め、静かに首を振る。
『海賊に…殺されたの…』
掠れた声が絞り出される。
そのときのことを思い出しているのか、身を起こしかけたときと同じように、白い顔が歪められた。憎しみはなく、深い悲しみだけが伝わってくる。もっと憎めばいいものを。
『あなたが…何者かはわからないけれど…村に用があったのなら、無駄足だったね…』
「…ここに来たのは偶然さ。船のトラブルでな」
『あら…そう…』
幾分冷静さを取り戻すと、今度は見た目の歳のわりに腹の据わった会話をするガキに、少しずつ興味が湧いてきたのがわかった。こんな辺鄙な島の孤立した村で生きていたにしては、育ちが悪くない印象を受ける。
「なァお嬢さん。この島に他に村は? ここ以外に人間はいるか?」
『村は…もうここだけ…島にいるのも、きっと…私だけだと思うわ…』
「…そうか」
ガキの言葉を鵜呑みにする気はなかったが、確かに、こいつの言う通り人の気配はまったく感じられない。敵になりそうな存在はないらしいことが判明した以上、このまま島を見て回る必要もないだろう。ならば早く船に戻るほうがいい。
そう思いながら目の前のガキを見やれば、唇に残ったおれの血を、かろうじて動かせたらしい指先に取って眺めていた。白い指先の赤い血を見つめるその表情はやけに物憂げで、胸の奥の興味が更に首をもたげる。
「おれと来いよ」
ガキのふたつの瞳がじっとおれを見上げて、訝るように眉がひそめられた。
『おかしなひとね…急に、何を言い出すの…』
「ここで会ったのも何かの縁だろう? 助けてやるよ」
深い瞳と見つめ合った瞬間に、おれはもう、囚われてしまっていたのだろうと思う。そうでなければこんな死にかけのガキに執着する心に説明がつかない。ただどうしても、こいつを手元に置きたかった。
「一緒に来い。ただ死んじまうなんてつまらねェだろ」
『…行かないわ……でももし、死にゆく私に何かしてやりたいと思うのなら…ひとつ、お願いを…聞いてほしい…』
「…何だ?」
『ここを出るとき…村を燃やして…』
「!」
突拍子もない頼みに、おれは正直面食らった。しかし、ガキは至って真面目な顔だった。それどころか、わずかに笑みさえ浮かべている。死期を悟ると、こんなガキでも、かくも穏やかでいられるものなのか。
『すべて燃やして…荼毘に付して…』
“おねがいよ”
囁くようそう言って、ふたつの赤は閉ざされた。
思わず首筋に手を伸ばすと、弱々しくも、まだ脈はあった。
「……仕方ねェな」
◆
船に戻ると、エンジンは息を吹き返していた。
おれの帰りを待っていたファミリーたちが、甲板から不安げな顔を覗かせる。
頬を機械油で汚したヴェルゴがおれに歩み寄って肩をすくめた。
「ドフィ! 心配したぞ。おまえが向かって行った林のほうが急に燃えて…」
「ああ、悪かった。色々あったんだ」
「敵か?」
「いや。問題ない。もう出航できるのか?」
「あァ、いつでもできるぞ。…ところで、“それ”は?」
お互いサングラスのせいで定かではないが、ヴェルゴの目がおれの腕のなかに留まったらしい。
「拾いモンさ」
「…そうか。また変わったものを拾ってきたな」
それは船のエンジントラブルがなければ出会うことのなかった存在。
こいつにとってはそのほうがよかったのだろう。まあもう遅い話だ。おれは言いようのない蠱惑的な瞳を、知ってしまったのだから。
かすかに身じろぐやわらかな温もりに、知らずのうちに舌なめずりをしていた。
知ったら最後title by
愛執
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